マロー作「家なき子」について 〜永遠の傑作だと思います〜
今日は、ずっと書きたいと思っていた児童文学について書きます。
「家なき子:エクトール・マロー=作/二宮フサ=訳 偕成社文庫」です。
私はこの本を、最初、結婚前に図書館で借りて読みました。
そして、結婚・出産してから、改めて購読しました。
そして、改めて感じた感想は、
このお話は、「物語」としても大変面白い「児童文学」なのですが、子供を育てるようになってから読んだ後では、
「この本は、『児童書』のコーナーだけじゃなくて、実用書の『育児書』コーナーにも置いてもいいんじゃないか?という事です。
物語の主人公は、「レミ少年」です。舞台は、(主に)フランスです。
彼は8歳まで、乳児で捨て子だった彼を拾った「バルブラン」の妻である、「バルブラン夫人」によって、貧しい農村で育てられます。が、その後レミ少年は、怪我のため失業したバルブランにより、夫人の留守中に、旅芸人の「ビタリス老人」に売られてしまいます。
親代わりであり、師匠であるビタリスにより、厳しい旅の中で、レミは、音楽とお芝居の修行、学問、旅の術、生きる術を吸収していきます。
ある日、理不尽な事件によって、ビタリスは刑務所に入れられます。仲間の動物たちとともに、健気に「ビタリス一座」を続けていたレミの努力と芸の素晴らしさに感動し、一座に仕事と衣食住を与えてくれたのは、イギリスの貴族である、「ミリガン夫人」と、その息子の「アーサー」でした。
ミリガン夫人は、女性らしい愛情と、芸術への敬意をもって、レミたちを保護してくれました。アーサーは、レミにとって、初めての「友達と呼べる存在」だったかもしれません。
その後、刑務所の勤めを終えたビタリスと再会したレミと一座は、ミリガン母子とお別れをし、冬に備え、パリへと向かいます。容赦なく襲ってくる寒さと飢えの中で、一座は、大事な動物の仲間たちを次々に失っていき、ようやくパリに着いた時には、動物は、賢く優しい犬の「カピ」だけになっていました。
お金も底をつき、非常な危機感を自覚していたビタリスは、パリに着くと、レミを知り合いの「ガロフォリ親方」の所に一時預け、その間に、自分一人で働いて、春までに一座を立て直おそうと考えます。
「ガロフォリ親方」の部屋に行き、不在だったガロフォリを、一人で待つように、ビタリスに言われたレミは、そこで、留守番をしていた「マチア少年」と出会います。
しかし、「ガロフォリ」の、幼い弟子達の扱い方の残酷さを知ったレミとビタリスは、彼と彼の弟子たちの部屋を去り、吹雪の中を、少しでも寒さをしのげる寝床を求めて歩き出します。
その後も、様々な困難の中、レミは、様々な人々と巡り会い、愛情と信頼の絆を育み、頼もしく成長していきます。
「花作りのアキャン一家」
「マチアとの再会」
様々な出会いと別れ、再会があり、レミの旅は続きます。
「フランス」「イギリス」そして「スイス」と旅を続け、レミはとうとう、
産みの母であり、実の弟であった、ミリガン夫人とアーサーの元へ、たどり着くのです。
レミは、最終的に、血の繋がる家族の元へたどり着くのですが…
彼は農村の育ての母によって幼少期に、健全な愛情を注がれて育ちました。
その後は、ビタリスという、素晴らしい師匠であり、育ての父とも言える男性に育てられ、その後も、(血の繋がりを知らない状況で)ミリガン母子、アキャン一家、マチア少年らと、深い愛情の絆を深めていくのです。
私は、この物語を知ることで、
「家族とは、血の繋がりだけで、健全に成り立つわけではない事」
「血の繋がりはなくとも、愛情と信頼の関係、絆と言うものは、育む事も可能なのではないか」と考えるようになったと思います。
あと最後に、書きたい事があります。私はずっと疑問に思っていた事があります。
この物語はフィクションですが、
いろいろな事情があったにせよ、ビタリス師匠が「晩年の生き方」を、過酷な「旅芸人」として生きる事にした(というか、作者のマローさんがそのようにお書きになった)のは、なぜなのかという事です。
これは私の勝手な解釈ですが、「名歌手、カルロ・バルザー二」から「ビタリス」になった彼は、音楽やお芝居の楽しさを、より多くの、農村や庶民の人たちにも、伝えたかったからなのではないかと思うのです。
目指せ!ARU ARU 60 ♪ 〜シブがき隊の替え歌いってみます〜
皆さま、こんにちは、最近、自分でも何がやりたいんだか、頭の中が、混乱してきてしまいました。本当に、雑記ブログで申し訳ありませんm(_ _)m。
ちょっと、落ち着くためにも、頭の中を整理するためにも(?)、
またしても、昭和の懐メロの替え歌を作ってみたいと思います。
「NAI ・NAI 16」(シブがき隊)の替え歌、いってみます。
「(目指せ!)ARU・ARU 60」(なんちゃって・オバ・バカ隊)
ナイナイナイ! 勤勉じゃない!
ナイナイナイ! 気力ない!
ナイナイナイ! でーも 若さあった〜(かこけー)
ナイナイナイ! お金ない!
ナイナイナイ! 学歴ない!
ナイナイナイ! そーこがあぶなっい〜!
笑っちゃうよ 通信簿 いつもかーかーれーてた〜♪
消極てーき 協調性なーい もっとがーんばーりなさいー♪
授業中に 手を上げて 発表しーなーけりゃー♪
罰として〜 か・ん・じ・ドーリル〜♪
ジタバッタ し・て・もね♪
世紀末は・すーぎた(とっく)
いやなーら い・ま・すぐ♪
きーめーてー じっこー !
アルアルアル 情熱ある!(たぶん)
アルアルアル プランある!(たぶん)
イロイロアル けーど 若さ(と行動力)・なっい〜♪
1日1日を、できるだけ楽しく過ごしたいです。
そして、気がついたら、いつの間にやら
心身健康で、還暦過ぎちゃってた!…みたいな、事になっていたら、嬉しいです。
どんな時も♪どんな時も♪ 〜余談ですが、花も団子も好きな私〜
今週のお題「卒業」いってみます。
学校の卒業については、私は、これといった思い出話がありません。
ただ、最近、「もういい加減、卒業しても、いいんじゃないかな?」と、思っていることがあります。それは、
「エンターテイメント・芸術・文学を愛さずにはいられない自分に対する、罪悪感」
からの卒業です。
幼い頃から、私はテレビっ子でした。もしかすると、テレビを見ることにさいていた時間を、勉強なり、他のことに捧げていたら、もう少しマシな大人になっていたのかなあ…と、思うこともあります。ですが、そう思う反面、当時観ていた番組のことを思うと、学校や家庭でどんなに嫌なことがあっても、「欽ちゃん」や「ドリフ」や「ひょうきん族」などを見て、心の底から大笑いできたから、なんとか、日々の苦痛をリセットして、明日に臨めていたようにも、感じます。
それから「アニメ」も大好きでした。女子のくせに、「ヒーロー」ものも、結構好きでした。
小学校に上がった頃から、少女漫画も読み始め、どっぷりハマりました。好きな漫画の絵を真似して描く事から、私の「お絵描き熱」は始まりました。
その後「文学」、「映画」に目覚め、大人になってから「ミュージカル」「バレエ」「フィギュアスケート」を見るようになりました。
家族からもよく呆れられました。私が若い時代には、今以上に、
「芸術とは、娯楽であり、お金と時間と、確かな素質の持ち主にのみ許されるもの」
という価値観が、強かったように、私は感じます。
田舎の、決して裕福ではない家に生まれ育った私は、なんとなく「また、そんなものにうつつをぬかして!」といわれやしないかと、ビクビクしながら過ごしてきたように思います。
槇原敬之さんの「どんな時も」の歌詞のように、
「すーきーなものは すーきーとー 言える気持ち〜 抱きしめてたい♪」
って、思います。この曲が流行っていた時は、あまり感じなかったのですが、
「確かに、好きなものを好きというのに、勇気がいる時もあるなあ」
と、改めて感じる、今日この頃です。
アニメ「アタックナンバー1」の、オープニングの、梢ちゃんではないですが、
「だって、女の子…じゃなくて…だって、好きなんだもん」
と、言ってみたくなる、オバさんでありました。
私は「芸術」「学問」「スポーツ」が、万人のものである事を願っています。
槇原敬之- Encore Sing Out Gleefully Medley2 2010 日本武道館
映画「おっぱいバレー」 〜この素晴らしき、ピュア・エロ男子中学生達〜
皆様こんにちは。
オペラ界の「可憐な大和撫子」についての記事の次に、この話題持ってくる自分て…
やはり、「突飛」とか「変」とか、言われても仕方がないのかなと思うのですが…
(因みに、家族からも、会話の話題がコロコロ変わる事、黙っていたと思ったら、いきなり「⚪️⚪️ってすごいよね!」とか、話題を振られる事に「ついてけねー」と、日々言われています💧)
画面にに向かった瞬間、「これ書きたい」と思ったので、行ってみます。
邦画「おっぱいバレー」について書こうと思います。
この映画は、2009年公開された映画ですが、私は、その数年後に、DVDで鑑賞しました。
映画の冒頭からの数分間…「この子達は、いったい何をしているんだろう?」
と、不思議に思いつつ観ていて、更に数秒後、彼らの行動理由がわかった瞬間、
オバさんは、正直「コケッ」と、なってしまいました。そして思いました。
「やはり、男子中学生の頭ん中って…こういうもんなの?」
彼らは、中学のバレー部員なのですが、全然やる気が無く、他生徒達からもあきれられている存在。そんな中、綾瀬はるかさん演じる、転任してきたばかりの、若く美しい女性教師が、彼らの顧問になる事に…
転任前の学校で、ある事件によって生徒の信頼を失い、教師としての自信を失いかけていた彼女。新しい学校で、再び教師として、がんばろう、生徒達と真摯に向き合おうと思っていた彼女は、部員達を鼓舞するためにこう言うのです。
「本気で頑張るなら、先生、何でもするから」
しばし、5人でこそこそ相談したのち、彼らのリーダーは、こう言いました。
「試合に一勝したら、先生のおっぱいを見せてください!」
先生
「え…」
困惑するも、今度こそ生徒達の信頼を失いたくなかった彼女は、はっきりしない態度しかできなかったため、生徒達は、すっかりその気になり、
「先生のおっぱいみるぞー!おー!」的な展開に…
それまでとうって変わって、練習に励む部員達。
その姿に感心しながら、遠慮がちに、
「もう、おっぱいの約束なしでもがんばれるよね?」
と訊ねた先生に、やはり、無邪気に、明るく
「いえ、全然✨(あっけらかん)」
と答える少年達。
確かに、彼らは、エロいけど、バカだけど…なんか可愛い、憎めません!
そしてオバさんも思いました。
そうだよねえ…私も、もしも自分が男に生まれ、中学のバレー部に入り、
彼らと同じ立場になったとしたら…同じようにモチベーション急上昇したのかも…?
だって、やっぱり、綾瀬はるかさんは、美しく魅力的な女性ですものね♡
こちらは主題曲の動画です。
モチベーションが何であれ、彼らは、しっかり青春してます✨
まったくもって、
「ナイス・おっぱい!」ですね!
三浦環さんについて 〜元祖じゃぱにーず・蝶々さんだと思います〜
今日は、日本人オペラ歌手の、三浦環さんについて、書かせて頂きます。
三浦環さんは、1884年(明治17年)〜1946年、東京都出身。
日本で初めて国際的に活躍したオペラ歌手です。
私は、個人的に、明治、大正、昭和初期あたりに活躍された音楽家の方々に興味があったので、三浦環さんについても、少し調べました。
私が読んだのは、
の、3冊です。
⑴の底本は、吉本明光編「お蝶夫人 三浦環自伝」によるものだそうで、三浦環さん自身の言葉で、ご自身の体験が語られている感じの本です。
⑵は、1940〜1963年まで、音楽プロデューサーとしてご活躍されていた、高橋巌夫さんが、ご自身が実際にお会いし、仕事もされた三浦環さんについて、憧れ、親しみ、敬意を込めて書かれた本だと思います。
(個人的に、本のカバー最後の、著者紹介のフィギュア・スキーをされている高橋氏のお写真は、すごいと思います!)
⑶は、現在の瀬戸内寂聴さんが、1969年に出版された本です。私は、寂聴さんの著書を、この一冊しか読んでいないので、余計かもしれませんが、個人的に、三浦環さんの人生を、スキャンダラスに書かれ過ぎているような印象があり、ちょっとショックを受けました。
まず、三浦さんご本人の「ある晴れた日に」を紹介したいと思います。
次に私が読んだ関連本を、ご紹介します。
高橋氏の著書は、残念ながら見つかりませんでした。
あと、私は個人的に皆さんに聴いて頂けたら嬉しいなと思うのは、
「没後50周年記念 三浦環全集」(CD5枚と、歌詞の冊子)の
2枚目の中の19、20番目の「ある晴れた日に」と「かわいい坊や」の日本語バージョンです。
日本語で歌われているのです。
歌詞自体もメロディーにあわせつつ、内容が大体イタリア語の歌詞に近い言葉で歌われていると、私は感じました。
日本語で聴くと、日本人にとっては、すごい説得力だと思うのです。
私は、オペラにあまり詳しくないのですが、噂によると、ただでさえソプラノ泣かせ(?)の、この歌を、日本語で歌うことは、イタリア語で歌うよりも、ある意味難しい点があるのだと、聞いた事があります。
この全集は、結構なお値段なので、ご興味のある方は…よろしかったら…
どうぞ…💦
3冊と、CDを聴き、CDの歌詞カードの三浦環さんについての紹介文を読んだ私の感想は、三浦環さんという人は、とても情熱的で、愛情深く、ものすごいチャレンジャーで、気さくで可愛らしいお人柄で、お茶目で、素晴らしい音楽家であり、
「その当時にしては、超ウルトラぶっ飛んだ、ハイカラさん」だったのではないかと思います。
日本に帰国後、ご自身のお母様の事を「ママちゃん」と呼んでいるあたりを読んで、「お茶目さんだな〜」と思いました。
私は、三浦さんは、日本のオペラ界のパイオニア、母のような存在なのではないかと思います。
浅田真央「蝶々夫人」 〜ざっつ 大和撫子〜
「蝶々夫人」のイラストに、色を塗ってみました。
やはり、ムラムラ紫になってしまいました。
今回は、頭ん中の「バカボンのパパ」が、いつの間にやら、フーテンの寅さんのように、ふらりと何処かへ行ってしまいました。
「(バカボンの)ぱぱー! かんばーくう!!!」
このキャプチャをお手本にしました。
やはり大好きなプログラムなので、動画アップさせていただきます。
Mao ASADA - 2016 World Championships - LP (CBC)
「ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ」 〜子供のうなじって…〜
またまた、絵本の紹介です。
「ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ」です。
この本は、マーガレット・ワイズ・ブラウンという方がお書きになった
「Wilie's Adventures」に収められた3編の短いお話の中の 「 Wilie's Walk」
をもとに、作られたそうです。(本の最後のページに説明書きがあります。)
日本語文の作者は 坪井郁美さん
イラストは、林明子さんです。
お話の流れは、非常にシンプルです。が、こちらは、
男の子の、初めて冒険物語です。
男の子のところに、おばあちゃんから電話がかかってきて、かれは、一人ではじめておばあちゃんのお家に行く事にするのです。
まず、やはり、絵がとても可愛らしく、自然の描写も美しく、素晴らしいです。
シンプルな文章の中に、幼い子供の素直で無垢な可愛らしさ、子供ならではの心の柔軟さが溢れています。無駄な文章が、一切ないのです。
あと、私がいつも思ってしまうのは、
「子供のうなじって、どうしてこうも可愛いんだろう」という事です。
- 作者: マーガレット・ワイズ・ブラウン,坪井郁美,林明子
- 出版社/メーカー: ペンギン社
- 発売日: 1984/11
- メディア: 大型本
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「こんとあき」 〜だいじょうぶ、だいじょうぶ〜
大好きな絵本の紹介です。
「こんとあき 林明子:作」です。
林明子さんの作品は、本当に不朽の名作揃いだと思うし、50年後にも100年後にも、読み継がれていて欲しいと願う作品が多いです。
物語ももちろんなのですが、私は、とにかく林明子さんの描く可愛らしい子供たちや美しく優しい風景が、大好きなのです。
「こんとあき」では、とにかく、「こん」が大好きです。最近、久しぶりに読み返して、私にしては珍しく泣いてしまいました。
このお話は、とても楽しいお話で、泣くような場面は基本ありません。
あきのおばあちゃんに作られて、赤ちゃんのあきのところにやってきた、ぬいぐるみのこん。それからずっと二人は一緒でした。あきの成長とともに、少しずつこんは古くなり、ある日、腕がほころびて綿が出てきてしまいました。
砂丘町のおばあちゃんのとことに行って、直してもらってくるというこんに、あきは「私も行く」といい、二人で出かける事になりました。
可愛らしい冒険物語とも言えると思います。
私も、昔何度も子供に読み聞かせていた時には、この本で泣いた事などありませんでした。今回は、旅行中、トラブルに出会うたびに、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、可愛らしく繰り返す「こん」の穏やかな頼もしさに、感動してしまいました。
女の子にも男の子にも、絵を楽しみながら読み聞かせたい、素晴らしい本だと思います。
「蝶々夫人」真央イラスト 〜また下描きです〜
今、「蝶々夫人」のイラストを描いています。
悩みましたが、やはり、ラストのこのポーズを描きました。
やはり今回も、難しかったです。でも、楽しかったです。
今回も、斜線付きの下書きを先にアップさせて頂きます。
やはり今回も、(真央ちゃん描くのには)斜線は大事かなと思いました。
色塗りがまともにできますように🍀
「覚醒」記念日 〜真央ちゃんありがとう〜
三年前、私の中の、それまで眠っていた、大事な何かを、目覚めさせてくれたのは、浅田真央ちゃんでした。今も問題は色々ありますが、あの日、あなたの演技をライブで見届けられて、本当に良かったと思います。
浅田真央 ソチオリンピック FS ~ タチアナ・タラソワさん" 涙の解説 "
キャプチャうまくできませんでしたが…このポーズを見習いたいです。