芸術は心のごはん🍚

家族泣かせ・多趣味女のブログです。浅田真央ちゃん・バレエ・映画・読書(小説・漫画)・アニメ(主に昔の)大好き。主に書評・映画・音楽等の芸術の感想、紹介文を書いています。時々、子育て記録・懐メロ替え歌、素人イラストもアップします。

幼女時代  〜 親が子についてはいけない種類の「うそ」 〜

こんにちは。

今日はまた、自分の頭の中の記憶の海で、漁をしたいと思います。

えんやー とっとー えんやー とっとー

 

1番古い記憶なので、深海魚の如く、グロテスク、かつ、色を失い白くなっているかもしれません。

 


 

 今日はまず、幼児期の私に、母がついた「うそ特集」です。

 

3歳

①家族旅行で東京にいき、はとバスに乗っていたときのこと。

私 (マドから大きくて楽しそうな公園が見えたので)

   「お母さん、あの公園に行きたいよー」

母  「あー、もうすぐあの公園につくから、おとなしく座ってな!」

そこで、私はおとなしくマッテいました。やがてバスが止まり、オリテみるとそこは、「東京タワー」でした。

私  「お母さん、あの公園は?」

母  「ああ…あんなとこ、行くわけないでしょ!東京タワーだよ!」

    (開き直り!)

私  「だってお母さん、さっきあそこに着くってイッタじゃん!」

母  「うるさいねー あんたは、そうでも言わないとあばれたでしょ!」

その後、泣きながら強引にのせられた東京タワーのエレベーターは、ビビリー3歳のワタシにはとても恐ろしい乗り物でした。(「処刑台のエレベーター」並みに💦)以来私はいちども東京タワーに行ったことがありません。

 

②当時のテレビドラマ「赤い靴」にはまり、すっかり「バレエ」に魅せられた私。

私  「お母さん私どうしても、バレエ習いたい!!」

母  「この辺にバレエの教室はないから、ムリだよ!あきらめな!」

   (3歳児の夢、秒殺・・・)

  この時私は、バレエ教室のない地域に生まれたことを、心の底から悲しみました。実際は自転車で15分ほどのところに昔から教室があったことを知ったのは、高校生のころでした。

 

4歳

①母と二人で、デパートに行ったときのこと。エスカレーターから、おもちゃ売り場を見かけた私。

 

私  「お母さん、おもちゃ売り場がみたい」

母  「買い物の最後によってやるよ」

ところが、おもちゃ売り場には最後までいかず、母は私を帰りのバス停まで連れて行きました。

私 「お母さん、おもちゃ売り場は?」

母 「うるさいね、もうバス来ちゃったから、乗って帰るよ!」

そして無理矢理バスにのせられたのですが、どうしても納得できず、バスの中で母に怒りをぶつけました。人の目をきにした母は、かなり手前のバス停でバスを降りました。

母  「もう!あんたのわがままのせいで、こんなところで降りるはめになったよ!バス代がもったいない!💢」(逆ギレ)

 

5歳のある日

母  「ちょっと出かけるからついておいで」(突然のこと)

私  「…もしかして、注射じゃないの?」(ビクビク)

母  「チガウからついてきなさい」(かなり強引)

そして、着いたところは保健所でした。

私  「やっぱり注射じゃん!!!嘘つき!!」

母  「あんたは、嘘でも着かないと動かないでしょ!!」(開き直り)

うそをつかれたコトへのショックと怒り、注射への恐怖(子供にうそをつく必要があるほど痛いものなのだと思いました)で、パニックになった私。暴れながら注射されたので、痛かったし、お医者さんと看護婦さんにも呆れられました。

母は、自分のうそは棚に置き、こう言いました。

母  「あんたの臆病のせいで、私はまた、恥をかかされたよ💢」(逆ギレ)

 

その後私は、小学校で注射をうけるようになってから、注射は、じっとしていれば、それほど痛くもないし、すぐ終わることだと認識しました。

明らかに、注射への恐怖を倍増したのは「母のうそ」でした。

 

それ位来、私は注射で泣いたことは、いちどもありません。

 

母が私にうそをついた後の一貫した主張は

「あんたが私の言うことを聞かない悪い娘だから、私はうそをつかざるを得ないのだ」 

ということでした。

 

不愉快な話で、申し訳ありません。

お付き合い、ありがとうございましたm(_ _)m