芸術は心のごはん🍚

家族泣かせ・多趣味女のブログです。浅田真央ちゃん・バレエ・映画・読書(小説・漫画)・アニメ(主に昔の)大好き。主に書評・映画・音楽等の芸術の感想、紹介文を書いています。時々、子育て記録・懐メロ替え歌、素人イラストもアップします。

少女(園児・児童)時代 〜 「疑うべきは自分の事から」 〜

こんにちは。

今日は、また、幼いころの記憶の漁をします。

深刻な話も書きます。

ですが、これを書かないと、その先のことを書くことができない気がするので

申し訳ありませんが書かせて頂きます。

私から息子へ、負の連鎖をしないために。

 

 

関連の過去記事はこちらです。 

obachantoarts.hatenablog.jp

 

今日はまず、母の生い立ちについて先に書こうと思います。

昭和ひとケタの時代に、農家の本家夫婦の遅い子供として生まれ、一人娘として育ちました。当時では珍しいケースだったと思います。ある意味「貧乏お嬢様」だったようです。

しかし戦争がはじまり、母は空襲で家をなくし、戦中戦後の混乱の中で青春時代をおくり、(14歳で)母親もなくし、通っていた女学校も辞めさせられ、家事と働くことを強いられたようです。

そして20代で、農家の次男だった父と、婿とり娘としてお見合い(家の都合のための)結婚をしました。

30代初めに姉を、30代終わりに私を授かりました。

父と結婚してすぐに、父親(私の祖父)も亡くなったそうで、娘たちが生まれたときには、少ない親戚以外には、家事、育児などについて相談できる人は、ほとんどいなかったのかもしれません。

 

次は、私のことです。

 

私は、4歳の春に母によって保育園に入園させられました。

母は、私が物心着いたときから、家の離れで、内職の仕事をしていました。

保育園に私を入れるまでは、母は、テレビに私の子守をさせていました。

母は、だいたい離れにおりましたし、姉は小学生でしたので、昼間の私は、だいたい1人でテレビを見ていました。園に入れるより、そのほうが安上がりだったからではないかと私は推測しています。

 

十分に心、頭、体の準備もできていない状態で、私は突然「保育園」と言う環境にほうりこまれました。母は私に、集団生活をするための基本的、最低限の「しつけ」もしていませんでした。

初めての集団生活に、なかなかなじめない私は、ベテラン保育園児たちの中で、「いじめ」の標的になりました。

 

小学校に入学し、1、2年生では、それなりに楽しい学校生活だったのですが、3年生以降は、再び集団生活が苦しくなってきました。

成績はそれほど悪くはありませんでしたが、通信簿ではいつも、

「協調性、積極性にかけます」といったことを、担任の先生に書かれていました。

 

家でも、母から日常的に、たくさんの短所については

「それでは困るから、直しなさい」

「あんたは、お父さんと私の悪いところばかり似てしまって困る」

(母はよく、父のいないところで私に、父の病弱さ・神経質・臆病なところを嘆いていました。そして自分のそこつさについても)

などと言われ続け、長所について認められ、褒められることは、ほとんどありませんでした。

何か、したいことや、欲しいものを要求すると、大抵こう言われました。

「戦争のない平和な時代に生まれただけで、ありがたいと思いなさい」

「衣食住に不自由していないのだから、それだけでありがたいと思いなさい」

「私は、14歳で母に死なれた。親が生きているだけでありがたいと思いなさい」

「それ以上のものを望むのは、わがままだ!」

「あんたには、感謝の気持ちが足りない!」

「足るを知りなさい!」

「不満があっても、まず自分のことから疑いなさい!」

 などなど。

 というわけで、私は幼いながら、

「自分は親不孝な悪い娘らしい」と、認識するしかありませんでした。

 

そして5年生の夏休み、ある事件が起こりました。

私は同い年の親戚の女の子と一緒に、当時の「古本屋」に行きました。その店内で、私は、とても悪質な痴漢被害にあいました。

 

今日はここまでにしておきます。

不愉快な話で申し訳ありません。