芸術は心のごはん🍚

家族泣かせ・多趣味女のブログです。浅田真央ちゃん・バレエ・映画・読書(小説・漫画)・アニメ(主に昔の)大好き。主に書評・映画・音楽等の芸術の感想、紹介文を書いています。時々、子育て記録・懐メロ替え歌、素人イラストもアップします。

少女のころ(18才) 〜「若葉のころ」〜

こんにちは!

今日は、5月、6月のころの記憶について書きます。

 

 

 

正直、何十年も経った今でも、私は高校卒業後、大学または専門学校に行きたかったのだと思います。それも、高校時代からずっと、漠然とながら、地元ではなく、東京の学校に行くことを望んでいました。

年の離れた姉も、県外の都会的な大学にいかせてもらえていたたこともあり、妹の自分にも、大学の間だけでも、地元をはなれることを許可されるものと思っていました。

 

しかし、両親はそれを許してくれませんでした。

2人の主張は、私という、育てづらい娘が

 

「高校卒業と同時にそれを達成できなかったから」

「希望する学校が、芸術系で、非現実的だったから」

「気力も体力もなく、しっかり者でない娘に、親元を離れて一人暮らしできるのか?」

etc というか、言わせておけば endless という感じでした。

 

当時の我が家は、親子してわかっていたはずなのです。

私の状況が、一般的でない、特殊な状況だということが。

ある意味、世間体、体裁を重んじる両親だったのに、とも思いました。

 

今から30年前の時代には、私が通っていた高校(一応進学校)でも、中学の同級会においても、たとえ女子であろうと、就職も進学も決まっていない宙ぶらりんの同学年生は、一人もいませんでした。

 

私本人は、自信がないのにもかかわらず、進学希望でした。

しかし、両親が二人して一致していた意見は、

「いつまでも、うだうだしていないで 働け(ただし、地元で)

というものでした。

 

しかし、当時の私は、拒食症で、対人恐怖症でした。そんな状態で、学業さえも難しい、自信のない18歳の私には、働くことに積極的になることも、できませんでした。

 

 しびれを切らした母が見つけてきたアルバイト先に、尻を叩かれて、行くことになりました。

その職場は、18歳の私には、とても不本意な職場でした。

 

 そのような頃、おそらく、5月か6月初旬ごろだったと思うのですが、

彼の方から、最初の手紙が、私の元に届きました。

 

本来なら、私から出すべきだったと思います。

4月の間は、新生活でバタバタしているだろうという遠慮から、出しませんでした。

でもその後は、自分の現状があまりにも惨めで、書きたくても、書けませんでした。

 

手紙を手にした時、すぐに彼からだとは、わかりませんでした。

最初は、高校の女子友達からかと思いまいした。

確か、赤系か、緑系の、シンプルな封筒だったと思います。

 

今日の心のBGMは、こちらの曲。ビー・ジーズの「若葉のころ」でした。


Bee Gees - First Of May

 

私は、映画「小さな恋のメロディ」を、20代前半で、一度だけ見た…ような気がします。

正直、ストーリー的に共感できたとは言えません。当時の私は、かなり心がやさぐれちゃっていたので。

それでも、(映画の内容は、おいといて)使用された曲の

「若葉のころ」

「メロディ・フェア」

の2曲の素晴らしさは、心に響きました。

英語苦手なので、歌詞は、部分的にしかわからないのですが。

 

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「アップル ツリー」も

大きな「クリスマス・ツリー」も

私のみじかにはありませんでしたが。

 

18歳初夏の私が

「過去の行動の理由」

「現在の自分になってしまった理由」

などについて、

「訳を聞かないで」

という心境だったのは、間違いないと思います。

 

お付き合いありがとうございます。