芸術は心のごはん🍚

家族泣かせ・多趣味女のブログです。浅田真央ちゃん・バレエ・映画・読書(小説・漫画)・アニメ(主に昔の)大好き。主に書評・映画・音楽等の芸術の感想、紹介文を書いています。時々、子育て記録・懐メロ替え歌、素人イラストもアップします。

少女のころ  〜 自分らしさ 〜

こんにちは!

今日も記憶の続きです。

 

 

私はおそらく、1990年の2月ごろに、ある施設に、飛び込んでしまいました。

実家が「針のむしろ」状態だったからです。

そこでの生活は、大きな束縛はなく、比較的内外の出入りは、自由なほうだったと思います。

私にしてみれば(今だからこそ思うのですが)実の家のほうが、よほど病的な過干渉、閉塞感、暴言に満ちていたと思います。

 

そこでの生活の主なルールは、

 

規則正しい生活。

朝食後〜夕食の時間までは、出来る限り、自主的に(施設付近で)仕事を見つけ、働くこと。

夕食後から就寝時間までは、部屋での自由時間。

毎晩、日記を書き、提出すること。

定期的なカウンセリング。

 

そのような生活だったと思います。

私は、それを実践すれば、自分の問題を解決できるかもしれない…と言う一心で、出来る限り努力をしたと思います。

とは言え、はじめのうちは「仕事」「働く」といっても、何をすれば良いのか、わからなかったので、そこの方々に聞いて、仕事を見つけて、していました。

 

主にやっていたことは、

建物内外の掃除、片付け。

植物の世話。

食堂の手伝い。

などです。

 

植木の剪定もやった記憶があります。

自分でも意外だったのですが、私はこの作業がわりと好きでした。

もくもくとできるし、ある意味「芸術的」要素があったからだと思います。

 

夜の自由時間は、やはり私は、絵を描いたり、本(小説、漫画)を読んだりしていました。

 

前々から疑問に思っていたことがあります。

体裁や外聞をひどく気に病む私の両親が、浪人や他県への進学、就職を、かたくなに拒否していたにも関わらず、この場所へ娘が入ることを、なぜ許可したのか?

 

おそらく、自分たちにとっては「気弱でわがままな」困った娘の性根を直すには、他人様の力をかりるしかなさそうだ…という心境だったのではないかと思います。

そして、もう一つは、そこの方針が

「働けるようになること」を、目指していたからだと思います。

 

当時(の日本?)は、おそらく、(今がどうなのか、わかりませんが)

「働かざるもの食うべからず=(極端な話)存在の価値なし」

レベルの価値観が、広く根深くはびこっていたように思います。

 

私は、当時も、今も、「働きたくない(かった)」わけではありません。

労働意欲は、常に、ずっとあったと思います。

 

ただ私が常に求めていたことは

 

「可能な限り、多くの選択肢から、可能な限りの準備・時間をかけて、自分で仕事・人生を選択する」

 

ことだと思います。

 

今日の心のBGMは、シンディー・ローパーさんのこちらの曲です。


Cyndi Lauper - True Colors {Live} (FullHD)

 

和訳は、私は、こちらのページで知りました。

studio-webli.com

 

当時の自分がいかに

「大丈夫だよ」「あなたにも長所があるよ」

といった言葉に飢えていたか、

改めて考えました。

 

手紙については、次回に書こうと思います。

 

お付き合いありがとうございます。