芸術は心のごはん🍚

家族泣かせ・多趣味女のブログです。浅田真央ちゃん・バレエ・映画・読書(小説・漫画)・アニメ(主に昔の)大好き。主に書評・映画・音楽等の芸術の感想、紹介文を書いています。時々、子育て記録・懐メロ替え歌、素人イラストもアップします。

親子関係の負の連鎖  〜 母と父 〜

こんにちは!

今日は、私の両親の生い立ち等について、私が知る事を書こうと思います。

なぜ両親が両親になってしまったか、少し説明させて頂きたいと思いました。

出来るだけ、客観的に書くよう努力します。

 

 

随分と自分の人生について、長々と書かせて頂いています。

私は元来「私小説」というジャンルが苦手でした。

 

中学高校時代は、自分の人生が苦しくてしょうがないのに、なんで現実的すぎる本を読まなければならないのかなと思っていました。

でも、今は、そういう文章を書かざるを得なかったのかなあと、想像しています。

 

私の生い立ちは、ある意味、特殊なケースだったと思います。

 

母も父も戦前の一地方に生まれ、戦中戦後に青春時代を奪われた人たちです。

 

母の生い立ちも、ある意味特殊だったように思います。

 

戦前、田舎ですが、本家農家の(ようやく授かった)一人娘として生まれ、戦争前までは、どちらかというと「蝶よ花よ」と育てられたようです。

が、戦争が始まり、たくさんのものを奪われました。戦争中に母親(私の祖母)が亡くなり、おそらく父親(私の祖父)にとって「大事な一人娘」から「ただ一人の女家族」と一変し、戦後で貧しかったため、学業も途中で断念して、家事の切り盛りと、働いて稼ぐ事を強いられるようになったようです。

そして、当然のごとく強いられるようになったのが、

「婿をとること」

「家系を絶やさないこと」

「土地・家屋を守ること」

だったようです。

 

父は同じ地方の、農家の大家族の「次男」でした。

父の特殊なケースは、やはり自身の母親(私の祖母)が、婿取娘だった事ではないかと思います。

 

やはり時代的、環境的に、学業もおそらく中学くらいまでしか許されず、その後は親の働きもあったようで、ある種の堅実な仕事につきました。

 

そんななか、私の両親は、

両家のお家事情のための

結婚を強いられたようです。

 

二十代前半で(おそらく)結婚したにもかかわらず、なかなか子供に恵まれなかったようです。

そして私の祖父が他界。

両親が三十過ぎでようやく私の姉が生まれました。

そして「もう自分たちには子供はできないだろう」と(おそらく)思っていたら…40才近くに私を産み育てる事になったようです。

(50年ほど前は、そういうケースは少なかったようです)

 

そのようなわけで、

母は、親・兄弟がおらず、その家の跡取り娘として、そこに暮らさねばならず、頼れるのは数少ない親戚と、ご近所さん、友達だけだったようです。

一方、父は、すでに兄弟が家督を継いでいる実家に戻る事もできず、婿として暮らさねばならなかったようです。

 

そして、私が生まれた頃は特に、我が家には、はたから見て、農家らしい部分は、ほとんどなくなっていました。母は内職、父はサラリーマン。おそらく傍目からは、普通の「サラリーマンの核家族」的状態でした。

 

数年前に私の父が他界した時、お葬式の席で、父方の親戚から、次のような事を言われた事が、私は忘れられません。

 

「あんたのお父さんは、結婚するまで、自分のお給料を、全額、あんたのおばあちゃんに渡していたんだよ。だから、あんた(私の事です)は、お父さんに感謝しなさいよ」

 

私は、その言葉を、どう受け止めていいか、わかりませんでした。

かといって、ショックも受けました。

 

「…あー…そうだったんですね…」と、どうにか、受け答えたのを、覚えています。

 

少し脱線ですが、こちらの本を紹介いたします。 

 

この本の中に

感動と意欲の源泉  根拠のない自信を育てる大切さ(P26)

という章があります。

 

私は今もなんとなくですが、

 

自分たちの親たちは、なにか

(親として)根拠のない自信に満ち溢れていた…

様に思えてしまうのです。

 

やはり、親が子供に何かを強いたり、親が子供を所有物とみなす場合は、その親たちが、その親から同じような扱いを受けていた場合が多いのではないかと、改めて感じる、今日この頃です。