樋口一葉「たけくらべ」〜 水仙の作り花 〜
こんにちは!
昭和の文化(アニメ)について書くつもりだったのですが・・・
その前に
明治の文学について、書かせて頂きます。
私は大体毎日、近所を散歩しているのですが、最近、水仙の花が美しく咲いています。
そんな訳で、最近、樋口一葉さんの「たけくらべ」を、昔の文体で読みました。
正直、昔の言葉に不慣れな私は、まだよく理解できていない部分があると思います。
そもそも、私がこの作品の内容を(ざっくりと)知ったのは、
漫画「ガラスの仮面」の劇中劇として描かれたお話として読んだのがきっかけです。
漫画での描かれ方も素晴らしいのですが。
正直、漫画は何度も読み返しているものの、原作を読むということは、していませんでした。
最近、子供の「まんが 日本の 歴史人物事典」という本を、ザーッと借りて読んでいて、樋口一葉さんの人生と偉業について、2ページ分で知り、
「ええええ そうだったんだ」
と思うに至り、もっと知りたくなりました。
そのこともあり、文庫を読むに至りました。
ちなみに、子供は樋口一葉さんのことを「五千円札のひと」と言います。
が、何年に生まれ、何年に亡くなったかは知っていました。
・・あなた、それよりも知るべき大事な事があるでしょうと💧
本題に戻ります。
それで、「ガラスの仮面」での劇中劇のシナリオと、原作の、少々違う部分と、細部が改めてわかった事がありますので、それについて書きたいと思います。
まず、前半の重要シーン。
劇中劇では、
信如の家庭の問題を匂わすような出来事の中で、道で転んで泥がついてしまった信如に、美登利が 自分のハンカチを差し出します。
原作では
二人が通う学校の、春の大運動会の(おそらく競技中?)時に、転んで泥がついた信如を見て、美登利が「みかねて我が紅のはんけちを取出し(原文)・・」となっています。
また、劇中劇では、大事なシーンとして、
「美登利が信如のところ(家であるお寺)に、(信如が買いそびれた)筆を届けに行った際、まだ花の季節ではない水仙が庭にある事に気づき『春になったら一本ください』的なお願いをする」
場面があります。
これが、ラスト・シーンへの大事な伏線として描かれているのですが。
原作では、このシーンに重なる(と思われる)部分に、水仙の花は出てこないのです。
信如と話をするきっかけを作るために、美登利は学校の帰り道、待ち伏せして
木の枝に咲いている花が綺麗なのだが、自分は手が届かない。代わりに枝を折ってくださいな…とお願いする。
的な描写があるのですが、花の名前はなく、木に咲く花のようです。
ラスト・シーンの描写ですが。
漫画の劇中劇では、ラストの季節については、特に触れられていません。
ただ、早朝、美登利が、自宅の格子門に、一本の水仙の作り花がさしてあるのを見つけます。
原作では、
「或る霜の朝 水仙の作り花を・・・」
と、書かれています。
「霜の朝」と書かれているだけで、何月かははっきり書かれていません。「寒い冬」なのかもしれません。そして「霜月」は、11月のことのようですが、昔の暦は一月ほどづれているようなので、12月なのかもしれません。が、
原作には、「霜月」と、書かれているわけでは、ありません。
「霜の朝」だけです。
そして、
「水仙」ですが。
冬から初春にかけて咲く花のようです。
球根の花です。
美しい花ですが、茎がとても長い花です。
ラスト・シーンで、信如が、
「水仙」の「造り花」を「格子門」にさして、いった。
ことには、とても深い理由があるのではないかと思いました。
まず原作からは、
「水仙」という花を選んだのも、それを「作り花」にした(作った)のも
「信如」自身の意志によるものである…と、推測されます。
次回に続きます。