こんにちは。
今回は、「たけくらべ」内容説明 ラストです。
16 祭りの後 霜の朝
美登利の急激な変化、言動にショックを受け、大黒屋の寮から駆け出した正太郎。
真一文字に駆けて(原文より)
人混みをかき分け、(溜まり場の)筆屋の店に飛び込んだ。
そこでは、三五郎が、酉の市の商売で稼いだ小金を前掛けにチャラつかせ、弟妹たちと買い物をしていた。
正太が来たのを見て、得意げに今日は俺が奢ってあげようか、などという。
動揺していた上に、(普段、見下している)三五郎にそう言われた正太は、
馬鹿にするな、俺は今はそれどころではない・・と塞ぎ込むと、三五郎は
喧嘩か?
相手は龍華寺か、長吉か、場所はどこだ、
今度は俺だって、前の様にはやられないよ・・などと言い出した。
ゑゑ気の早い奴め、喧嘩では無い、(原文より)
と言ったものの、本当の心配事は言いかねて、口を噤むと、
(三五郎)
だけど正さん、これからはもう喧嘩は起こりそうに無いね(長吉の片腕の)
信さんはもう近々何処かの坊さん学校へ這入(はい)るのだとさ、衣を着てしまへば手が出ねへや、(原文より)
・・来年からは横町も表もお前の手下だよ・・などと言って、正太郎をおだてた。
(正太)
よしてくれ・・お前なんてあてにしてない・・
己れは人は頼まない真(ほん)の腕ッこで一度龍華寺とやりたかつたに、他処(ほか)へ行かれては仕方が無い、藤本は来年学校を卒業してから行くのだと聞いたが、(原文より)
急にどうして・・などと残念そうに舌打ちしながらも、
(正太郎は)それよりも美登利のその日の素振りが繰り返し思い出されて、筆屋に転がったまま、酉の市の祭り気分も吹っ飛び、今日は何がなんだか、訳がわからない事だらけ。
その日を境に、美登利は以前の快活さをすっかり失った。出かけるのは廓の姉のところくらいで、以前の様に町で遊ばなくなり、友達が誘いに来ても空約束ばかりで、仲良しだった正太の事さえも避ける様に。
近所の人々は快活だった美登利が見られなくなった事を惜しみ、病気かと心配したが、
母親一人ほほ笑みては、今にお侠(おきゃん)の本性は現れまする、これは中休みと子細(わけ)ありげに言はれて、(原文より)
知らぬ者には意味がわからず、大人らしくなったと褒める人もいれば、あんなに面白い娘だったのにと、残念がる人も・・
表町は火が消えたように淋しくなり、
正太の美声を聞くことも稀で、ただ夜な夜なの弓張提燈(ゆみばりちょうちん)、あれは日がけの集めとはっきりしていて土手を行く影が何とも寒そうで、(現代語訳)
たまにお供をする三五郎の声だけが相変わらず滑稽に聞こえるのだった。
以前の出来事(?)の意地も封じ込め(?)、自分の身の上も恥ずかしくて、人を避けていた美登利は、信如の噂も、ずっと知らなかったのだが、
或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有りけり、(原文より)
誰のした事か知るすべはなかったが、
美登利は何ゆゑとなく懐かしき思ひにて違い棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが、(原文より)
聞くともなしに伝え聞いたそのあくる日は信如が例の学校に入り袖の色を変えてしまったまさに当日であったこと。(現代語訳より)
「たけくらべ」最終章、ここでおしまいです。
16章の季節的な事ですが、
酉の市が11月です。
私は個人的に、霜の朝は、12月か、1月あたりではないかと推測しています。
結末までお話を辿ってみて改めて思ったのは、正太郎という少年の存在の大きさです。
今日は、最後という事もあり、3曲選んでみました。
こちらは正太郎のイメージでした。
美登利のイメージはこちらでした。
そして最終章の信如のイメージは、こちらの曲でした。やはり佐野元春さんでした。
もう少し要約するつもりだったのですが、
略せる部分が、わかりませんでした。
皆様に「樋口一葉文学」の、そして「たけくらべ」の素晴らしさが、少しでも伝わりましたら、嬉しいです。
参考文献は、こちらです。
お付き合い、ありがとうございまいた。