芸術は心のごはん🍚

映画・小説・漫画・アニメ・音楽の感想、紹介文などを書いています。

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第十五章  春、夏、秋、酉の市、そして冬と悲しみの訪れ

 十一月に入りました。皆様、いかがお過ごしでしょうか?

今回は「たけくらべ」第十五章の解説を失礼します。

 

先日、少し調べましたら、今年の大鳥神社の酉の市は、

たけくらべ」の作中の年と同じく、三日間ある年なのだそうです。

 

そして、今年の一日目は、「十一月二日」

つまり、今日なのだそうです。

そういう事もわかり、今日、十五章を記事にしようと思いました。

 

第十四章の続き、大黒寮の場面です。

 

前回、記事の中で紹介しました映画「SAYURI

高畑勲監督の「かぐや姫の物語

そして、樋口一葉の「たけくらべ

には、やはり共通点がある様に、私は感じます。 

かぐや姫の物語 北米版 / Tale of the Princess Kaguya [Blu-ray+DVD][Import]

 

たけくらべ 第十五章 (酉の市 大人に成るは厭な事)

 

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 美登利は悲しく恥ずかしく、人に知られたくない事が自分の身にあるので、人々の褒め言葉は、かえってあざけりの言葉に聞こえるだけ。島田の結い髪の美しさに振り返る人達があると、その視線も、かえって自分を蔑む目つきに思えた。居たたまれぬ気持ちになり、

 

「正太さん、私はうちへ帰るよ」

と言うと、

 

「なぜ、今日は遊ばないのかい?お前、何か小言を言われたのか?大巻さんと喧嘩でもしたのじゃないか?」

 

と、正太に子供らしい事を尋ねられたけれど、何と答えたらよいのか……何も言えず、顔が赤らむばかり。

 連れ立って団子屋の前を通り過ぎた時、トンマが店から大声で

 

「お仲がよろしゅうございます!」

と、大げさにはやし立てたのを聞くと、美登利は益々、泣き出しそうな顔つきをして、

 

「正太さん、一緒に来ては嫌だよ」

と、正太を置き去りにして、一人足を早めたのだった。

 

 お酉様の祭りへは、一緒に行こうと言っていたのに、そちらへの道ではなく、自宅の方へと美登利が急ぐので、

 

「お前、一緒には来てくれないのか?なぜそちらへ帰ってしまうんだい?あんまりだぜ」

 

と、正太がいつもの様に甘えてかかるのを、美登利は振り切る様に、物も言わずに言ってしまう。

 何が原因かはわからないけれど、正太が呆れて追いすがり、袖を捕まえては怪しがると、美登利は顔だけ真っ赤にして

 

「何でもない」

と、一言。それには何か訳がある様だった。

 

 美登利が大黒寮の門をくぐって入っていく。正太は前から遊びに来慣れていて、さほど遠慮する必要がある家でもなかったので、美登利の後から続いて、縁側からそっと家の中に上がり込むと、美登利の母親がそれを見つけて言った。

 

「おお正太さん、よく来て下さった。今朝から美登利の機嫌が悪くて、みんな、どうしたら良いかわからず、困っています。遊んでやってくだされ」

と、言ったので、正太は大人の様にかしこまって、

 

「体の具合が悪いのですか?」

と、真面目に尋ねた。すると

 

「いいえ」と、母親は、怪しい笑顔をした。

 

「少し経てば治りましょう。いつでもこの通りのわがままさん。さぞ、お友達とも喧嘩しましょうな。ほんに扱い切れないお嬢様であります」

と言って振り返った。

 

 美登利は、いつの間にか小座敷に布団とかい巻きを持ち出していた。そして帯と上着を脱ぎ捨てると、布団に入り、うつ伏して、ものも言わない。

 正太は、恐る恐る枕元へ寄って行き、

 

「美登利さん、どうしたの、病気なのかい?気分が悪いとか、一体どうしたの?」

 

と、むやみには近寄らずに、しゃがみこんだ膝に手を置いて、心ばかりを悩ませていると、美登利は、やはり返事もせずに、顔を押さえつけた袖に、忍び泣きの涙。

 まだ結こまない前髪の先が濡れて見えるのにも、何か事情があるように思えるのだけれど、子供心にも正太は、何も慰めの言葉も出て来ず、ただ、ひたすらに困り果てるばかり。

 

「何がそんなに腹が立つの?」

と、覗きこみ、途方に暮れながら尋ねると、美登利は目を拭って言った。

 

「正太さん、私は怒っているのではありません」

 

「それなら、どうして?」

と、正太に問われても、憂鬱で情けない事情がいろいろある。これはどうしても話せない、人に知られたくない事なので、誰に打ち明けて話す事もできない。

 しかし言葉はなくても、おのずと頬は赤くなり、特に何も答えなくても、だんだんと心細い思いになる。

 すべては、昨日の美登利の身には覚えがなかった気持ちが宿っていて、事態の恥ずかしさは言い様がない。

 

(できる事なら、薄暗い部屋の中で、誰にも声をかけられず、自分の顔を眺める者もなく、朝から晩まで一日中、一人気ままに時を過ごす事ができれば良いのに。

 そうすれば、この様な憂鬱な事があっても、人目を恥ずかしがる事も無いので、ここまで思いつめる事も無いだろうに。

 何時までも何時までも人形とお雛様を相手にして、ままごとばかりしていられたら、どんなにか嬉しいだろうに。

 ええ、嫌や嫌や!大人になるのは嫌な事!何故この様に歳をとる?もう一度、七月、十月、一年も前にもどりたい!)

 

 と、年寄りじみた考えをしていて、正太がここにいる事にも気遣うことが出来ず、正太が何か言いかけても、それをことごとく蹴散らして言った。

 

「帰っておくれ、正太さん。お願いだから帰っておくれ!

お前がいると、私は死んでしまうでしょう。

話しかけられると頭痛がする、口を利くと目が回る。

誰も、誰も、私のところへ来ては嫌だから、お前もどうぞ、帰って!」

 

と、何時もに似合わぬ、愛想尽かしの言葉。正太は、何故なのか訳も分からず、まるで煙の中にいる様なので、

 

「今日のお前は、どうしても変てこだよ。いつもなら、そんな事をいうはずはないのに。変な人だね!」

 

と、これは少しがっかりした思いだったので、落ち着いて言いながらも、目には気弱な涙が浮かんでいた。にも関わらず、今日の美登利は、正太の、そうした様子にすら、気遣う事も出来ない。

 

「帰っておくれ、帰っておくれ!

これ以上いつまでもここにいるのならば、もう、お友達でも何でもない。

嫌な正太さんだ!」

 

と、憎らしそうに言われたので、正太は

 

「それならば帰るよ。お邪魔さまでございました!」

 

と、言い捨てて、風呂場で湯加減を見ている母親には挨拶もせずに、プイッと立って、正太は庭先から駆け出したのだった。

 

 

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

この章の心のBGMは、「かぐや姫の物語」より「わらべ唄」でした。


かぐや姫の物語 わらべ唄 高音質

 

 

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かぐや姫も「たけのこ」とあだ名されて、無邪気に元気に山の子供たちと遊んでいた頃が、一番幸せだったのだろうなと、改めて思いました。

 

お付き合い、ありがとうございます。

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第十四章 酉の市の人混みを彷徨う正太と、島田結いになった美登利の心細さ

もうすぐ11月ですね。皆様、いかがお過ごしでしょうか?

 

今回は、「たけくらべ」第十四章解説失礼します。

最終章まで、後、三章となりました。

 

辛く悲しい三章なのですが、それだけではない内容だと思います。

第十四章は、

 

それまで信じていた事が、突然信じられなくなった事がある皆様

ある事がきっかけで、突然、自分への自信を失った事がある皆様

現実の厳しさを突きつけられて、絶望しそうになった事がある皆様

 

に、読んで頂きたい章です。

 

 

今回の心のBGMは、巨匠ジョン・ウィリアムズの映画音楽でした。 

映画「SAYURI」は、「芸者」になった日本女性の物語です。

美登利には「花魁」としての未来が待つようですが…

 

「SAYURI」オリジナル・サウンドトラック

 

たけくらべ 第十四章  (酉の市 蝶よ花よと育てられ)

 

 

 

 この年は、十一月の酉の市が、三日間ある年であった。中日は雨でつぶれたが、前後の二日は天気に恵まれ、大鳥神社の賑わいは凄まじいものだった。

 

 この祭りにかこつけて、検査場の門から遊郭の店内に押し入る若者たちの勢いといったら……天を支える柱が砕けて、大地が隠れるかと思える様な笑い声のどよめき。

 

 中之町の通りは、突然に方向が変わったかの様に思われて、角町京町、あちらこちらの跳ね橋から、さあさあ押せ押せと、遊客を運ぶ、猪牙舟の船頭の様に威勢の良い掛け声に、人の波を分けて進む群れもある。

 

 河岸の小店の遊女達の呼び声から、最も立派な遊女屋の上階まで、弦の音、歌声が様々に沸き起こる様な面白さは、たいていの人が後々まで思い出し、忘れられない出来事だろうと、思う人もあるだろう。

 

 

 正太はこの日、日がけの集めを休ませてもらい、三五郎が出している、大頭と呼ばれる、縁起担ぎの芋料理の店を見舞ったり、団子屋のノッポの家族の、愛想のない汁粉屋を訪れた。

 

「どうだ、儲けがあるか?」

と、尋ねると、

 

「正さん、お前良いところへ来た。

俺んところは今、餡子が材料切れになってしまって、もう今からは何を売ったらいいだろう?

すぐに次を煮れる準備はしておいたのだけれど、途中のお客は、今更断れないよ。どうしたらいいかな?」

と、相談を持ちかけられた。

 

「知恵のないヤツだな。大鍋のまわりに、それっくらいの無駄な餡子がついているじゃないか。それへお湯をまわしかけて、砂糖で甘くすれば、十人や二十人前は、浮いてくるだろう?どこでも皆そうするのさ。

お前のとこばかりじゃないよ。何、この騒ぎの中で、味の良し悪しを言う人もいないだろう。

そうやって売りなよ、売りなよ」

と言いながら、先に立って砂糖のつぼを引き寄せると、片目の、ノッポの母親が驚いた顔をして、

 

「お前さんは本当に、商人に出来ていなさる。恐ろしい知恵者だね」

と、褒めた。

 

「なんだ、こんな事が知恵者のものか。今、横町のひょっとこ顔のところで、飴が足りないって、こうやったのを見てきたので、俺の発明ではない」

と、言い捨てた。そして

 

「お前は知らないか?美登利さんのいるところを。

オレは今朝から探しているのだけれど、どこへ行ったのか、筆やへも来ないんだ」

と言う。

 

「廓の中だろうかな?」

と、尋ねると、

 

「うむ、美登利さんはな、今さっき、俺の家の前を通って揚屋町のはね橋から入っていったよ。

本当に正さん、大変だぜ。

今日はね、髪をこういう風に、こんな島田に結ってね……」

と、ヘンテコな手つきをして、

 

「きれいだねぇ、あの子は」

と、鼻を拭きながら言った。

 

「大巻さんより、もっと美しいや。だけれども、あの子も花魁になるのでは、かわいそうだ」

と、下を向いて正太が答えた。するとノッポのトンマが、

 

「いいじゃあないか、花魁になれば。

俺は来年から際物屋(注釈一)になって、お金をこしらえるがね。それを持って、あの子を買いに行くつもりだよ」

と、トンマな事を言い出したので、

 

「しゃらくさい事を言っていらあ!そんな事をすれば、お前はきっと振られるよ!」

 

「なぜなぜ?」

 

「なぜでも、振られる理由があるんだよ!」

と、顔を少し染めて笑いながら言った。

 

「それじゃあオレも、一回りして来ようかな。また、後で来るよ!」

と、捨て台詞を残して、門を出た。

 

「十六、七の頃までは、蝶よ花よと育てられ……」

と、怪しげな震え声で、この頃のここら辺の流行歌の一節を言って、

「今では勤めが身にしみて……」

と、口の中で繰り返し、例の雪駄の音が高く浮き立つ、人ごみの中に混ざって、小さな体は、たちまち隠れてしまった。

 

 もまれながら出てきた廓の角で、向こうから年増の女番頭のお妻と連れ立って話しながら来る人を見ると、それは紛れもなく大黒屋の美登利だった。

 

 

 誠にトンマが言っていた通り、初々しい大島田結いに、綿のように絞りばなしを、ふさふさとかけて、べっ甲の櫛を差し込み、房付の花かんざしをひらめかせている。

 いつもよりは極彩色の、まるで京人形を見るように思われて、正太は、あっとも言わずに立ち止まったまま。

 いつものようには抱きつきもせずに、じっと見守っていると、

 

「そこにいるのは正太さんかい?」

と言って走り寄ってきた。

「お妻どん、お前、買い物があるのなら、もう、ここでお別れにしましょ。私はこの人と一緒に帰ります。さようなら」

といって、頭を下げると、

 

「あれまあ、美いちゃんたら現金な。もうお見送りは入りませぬかえ?そんなら私は、京町で買い物しましょう」

と、チョコチョコ走りで、長屋の細道へ駆け込んでいった。

 

 そこで正太は、初めて美登利の袖を引いて、

「よく似合うね。いつ結ったの?今朝かい?昨日かい?なぜ早く見せてくれなかったの?」

と、恨めしそうに甘えると、美登利はしょんぼりして、言いにくそうに

「姉さんの部屋で、今朝結ってもらったの。私は嫌でしょうがない

と、うつむいて、行き来する人々の目を恥じるのだった。

 

 

注釈一

その時の流行品を売る商

 

 

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 


今日の心のBGMは、巨匠ジョン・ウィリアムズ氏の「Memoris of a Geisha」でした。


Memoirs of a Geisha | John Williams and Yo-Yo Ma | Live

 

この映画も、一度、観たい映画です。

曲の方は「フィギュアスケート」の曲として、よく聴いたことがありました。

とても美しい曲だと思います。

 

お付き合い、ありがとうございます。

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第十三章「きみなき」格子門の外に「捨ててき」てしまった大切な物を…解説🍁

 こんにちは!

今回は「たけくらべ」第十三章の解説を失礼します。

格子門前で起きた一大事の後編です。

 

 

好きな人に、格好悪い所を目撃されてしまった事がある皆様

好きな人の素っ気無い態度に、少なからず傷ついた事がある皆様

 

に、ぜひ読んで頂きたい章です。

 

 この章も、私の個人的なBGMは、ユーミン・ソングの1曲でした。

 

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たけくらべ 第十三章  (雨に濡れた紅入りの友仙)

 

 

 

 ここが大黒やの前だと思った時から、信如は自然と恐ろしくなって、左右を見ずに、ひたすら歩いていた。しかし、あいにくの雨、あいにくの風。

 その上、下駄の鼻緒すらも踏み切ってしまい、仕方なく格子門の下で、こよりをよっている時の心中といったら……

 心配な予感予測が色々浮かんできて、どうにも耐えられない思いだった。

 

 そこに飛び石を踏む足音が聞こえて来た事は、まるで背中から冷水をかけられたのも同じであった。振り向いて見なくても、それが美登利その人だとわかれば、ワナワナと震えて顔色も変わるはずである。

 後ろ向きになって、それでもまだ鼻緒に集中しているふりをしながら、半分は上の空で、その下駄はいつまでかかっても履ける様にはなりそうにない。

 

 

                    

 

 

 一方、大黒寮の門内にいる美登利は、格子越しに、その様子を伺っていた。

 

(ええ、なんて不器用な……あんな手つきをして、どうなるものか。こよりは逆よりだし、わらしべなんかを前つぼにあてがっても、長持ちするはずがない。

 それそれ、羽織の裾が地面に着いて、泥がついているのはご存知か?

あれ、傘が転がる!

あれを畳んで立てかけておけば良いのに!)

と、一々もどかしく、歯がゆくは思っても、

(ここに切れがござんす。これでおすげなさいな)

と、呼びかける事もできず、こちらも立ち尽くして、降る雨が袖をわびしく濡らしているのを避ける事もせず、そっと格子越しに伺っているばかり。

 

  そうとは知らない母親が、はるか屋内から声をかけてきた。

 

「火のしの火がおこりましたぞえ。これ、いったい美登利さんは、外で何を遊んでいるのかい?雨が降っているのに、表へ出てのいたずらは、なりませんよ。また、この間のように風邪を引きますよ!」

 

と、呼びたてられたので、

 

「はい、今行きます!」

 

と、大きく返事をした。

 その声が信如に聞こえたであろう事が恥ずかしく、胸は、ワクワクと上気する。

 そして、どうしても開ける事が出来ずにいる門の横で、それでも見過ごす事もできない、この状況である。

 いろいろと思案を巡らせたあげく、美登利は格子の間から、手に持っていた布切れを、物を言わずに門の外側へ思い切って投げ出してみた

 

 すると信如が、それを見ない様に見て知らぬ顔を作った様に、美登利には見えたので、

(ええい、いつもの通りの根性悪め!)

と、やるせない思いを瞳に集めて、少し涙の恨み顔になった。

(何が憎くて、私に、その様な冷たいそぶりをするの?言いたい事はこちらの方にあるのに。あんまりだわ、本当にひどい人!)

と、怒りと悲しみがこみ上げて来て、心が詰まる。

 けれど、母親の呼び声が、しばしばかかるのも辛くなり、仕方なく一足、二足踏み出し、それから

(ええい、何よ未練がましい!こんな自分の思惑が恥ずかしい!)

と、身を翻し、カタカタと音を立てて飛び石伝いに走り去った。

 

 

                    

 

 

 信如がその時、やっと寂しく振り返ってみれば、紅入りの友仙の、雨に濡れて紅葉の美しい模様が、自分の足の近くに落ちていた。

 それを見た信如は、そわそわして心が惹かれたのだが、手に取り上げる事もせずに、空しく眺めて、うちしおれていた。

 

 自分の不器用を諦めて、羽織のひもの長いものを外し、結わえつけにクルクルとみっともない間に合わせをして、これならどうかと踏んで試してみると、歩きにくいと言わざるを得なかった。

 この下駄で田町まで行くのかと、改めて困ったと思ったのだが、仕方なく立ち上がった信如。

 小包を脇に抱え、二歩ばかり門から離れたのだが、友仙の紅葉が目に残って、そのまま捨てて過ぎるのも耐え難く、心残りで見かえった。

 

 するとその時、

 

「信さんどうした、鼻緒を切ったのか?そのなりはどうだ!みっともないなあ。」

 

と、不意に声をかける者があった。

 驚いて振り返ると、暴れ者の長吉がいた。今、ちょうど遊郭からの朝帰りと見えて、浴衣を重ねた唐桟のしゃれた着物に、柿色の三尺帯を、いつもの様に腰の先に巻き、黒八丈の立派で新しいはんてんという装いである。

 

おまけに、遊郭の店の印のついた傘をさしかざして、高下駄の雨よけ革も、今朝下ろしたてだとわかり、漆の色も際立って見えて、いかにも誇らしげである。

 

「僕は鼻緒を切ってしまって、どうしようかと思っている。本当に困っているんだ」

と、信如が意気地のない事を言うと、

「そうだろう、お前に鼻緒は直せるまい。いいや、俺の下駄を履いて行きねえ、この鼻緒は大丈夫だよ」

と、言ったので

「それでは、お前が困るだろう?」

「何、俺は慣れたもんだ。こうやって、こうする…」

と、言いながら、慌ただしく着物の裾を、七分三分に端折って帯にはさむと

「そんな、その場しのぎなんぞよりも、これがさっぱりだ!」

と、下駄を脱ぐので

「お前、裸足になるのか?それでは気の毒だよ」

と、信如が困り切っていると、

「いいよ、俺は慣れた事だ。信さんなんぞは、足の裏が柔らかいから、裸足で石ころ道は歩けないよ。さあ、これを履いておいで」

と、一足を揃えて出す親切さである。

 人には、疫病神の様に嫌われながらも、毛虫眉毛を動かして、優しいセリフを口にしたのが、何だかおかしい。

「信さんの下駄は、俺が下げていこう。家の台所へ放り込んでおけば、差し支えないだろう?さあ、履き替えてその下駄を出しな」

と、世話を焼き、鼻緒の切れた下駄を片手に下げた。

「それじゃあ信さん、行っておいで。あとで学校で会おうぜ!」

と、約束し、信如は田町の姉のもとへ、長吉は我が家の方へと別れたのだった。しかし、美登利信如の思いを残した紅入りの友仙は、そのいじらしい姿を、空しく格子門の外に止めたままだった。

 

 

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

この章の心のBGMは、ユーミン様の「きみなき世界」でした。

私は、この曲を「松任谷由実:隠れた名曲」と言うアルバムで、数ヶ月前に知りました。


きみなき世界 松任谷由実

 

 

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アルバムの曲で聞くとわかりやすいのですが、リズムが「レゲエ」なんです。

私は今まで、「レゲエ」には、「明るい」イメージしか持っていませんでした。

こちらの曲で私は「哀愁」とか「傷心」とか「かっこよさ」「可愛らしさ」を感じます。

ギターのメロディーがかっこいいです。

 

 

お付き合い、ありがとうございます。

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第十二章「ミルク色」をした雨と風の中で起こった一大事を…解説☂️

こんにちは!

皆様、いかがお過ごしでしょうか?

私の地方は、結構、強い風が吹いています。

 

たけくらべ」第十二章、私なりの現代語訳、解説を失礼します。

 

雨風の中で、とても困ってしまった経験がある皆様

 

に、ぜひ読んで頂きたい章です。

 

なぜなら、この物語のクライマックス・シーンの前編だからなのです。

 

敬愛するユーミン様のファースト・アルバム「ひこうき雲」のイメージで失礼します。

季節や天候を歌詞に含んでいる曲が多く、名曲揃いです✨

ひこうき雲

 

たけくらべ 第十二章  (時雨の朝 格子門の前 前編)

 

 

 信如がいつも田町へ通う時に、本当は通らなくても事は済むのだけれど、言うなれば近道なので通る土手前に、偶然にも格子門がある。

 この門をのぞけば、京都の鞍馬の石灯籠に、萩の袖垣の、しおらしく美しい様子なのが見られて、家の縁側近くに巻いてあるすだれの様子も、親しみが持てて心惹かれる。

 

 中ガラスの障子の内側には、今風の按察の後室(注釈一)が、数珠を指先にかけて手を合わせており、そこに、おかっぱ頭の幼い若紫も、不意に現れるのではないかと思われる佇まい。その一構えの建物が、美登利の住む大黒寮なのであった。

 

 昨日も今日も時雨の空なのだが、

 

「田町の姉から頼まれていた長胴着が仕上がったので、親心としては少しでも早く着させてあげたいから、ご苦労だけれど、学校の前の少しの間に、あなたが持っていってくれないかい?

きっと、姉のお花も、待っているだろうから。」

 

との、母親からの言いつけを、特に嫌とも言い切れない、おとなしい真如。ただ、

 

「はいはい」

 

と、小包を抱え、ねずみ小倉の鼻緒をすげた、朴の木の下駄を履き、ひたひたと、信如は雨傘をさして出かけたのだった。

 

                  

 

 お歯黒どぶの角から曲がって、いつも行き慣れた細道を歩いていると、運悪く、大黒やの前まで来た時、さっと吹く風が、大黒傘の上を掴んで、宙に引き上げるかと疑うばかりに激しく吹いた。

 

(これはいかん!)

 

と、力一杯足を踏ん張った途端、大丈夫だと思っていた下駄の鼻緒がズルズルと抜けてしまい、傘よりも、これこそが一大事になった。

 信如は困って舌打ちをしたけれども、今更、何とも方法がないので、大黒やの門に傘を寄せかけて、降る雨を門のひさしの下に避け、鼻緒を直そうとしたが、普段そうした事に慣れていないお坊さまである。

 

(これは、どうしたらいい事だろう)

 

 心ばかりは焦っても、どうしても上手くは、すげる事ができないので、悔しく自分でもじれて、焦れて、もどかしい。

 

 仕方なく袂の中から、文章を下書きしておいた大半紙をつかみ出し、急いでそれを割いて、こよりをよっていると、意地悪い嵐が、またもや襲って来て、立て掛けていた傘が、ころころと転がりだした。それを、

 

「いまいましい奴め!」

 

と、腹立たしげに言いながら、引き止めようと手を伸ばしたら、今度は膝に乗せておいた小包が、意気地もなく落ちてしまい、風呂敷は泥まみれ、自分の着物の袂まで汚してしまったのだった。

 

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 見かけて気の毒といえば、雨の中で傘がなく、道中で下駄の鼻緒を踏み切った人ほど、気の毒な状況はない。

 美登利は、障子の中ながら、ガラス越しに遠くを眺めて、その様子に気がついた。

 

「あれ、誰か鼻緒を切った人がある。

母さん、布切れを使ってもようござんすか?」

 

と、たずねて、針箱の引き出しから友仙ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭下駄を履くのも、もどかしい様子で駆け出し、縁側の外のコウモリ傘をさすよりも早く、庭石の上を伝って、急ぎ足でやって来たのだった。

 

                  

 

 門前のその人が信如だとわかった途端に、美登利の顔は赤くなった。どの様な一大事にあったのかという様子で、胸の鼓動の早い響きを、人に悟られはしないかと後ろを気にしながらも、恐る恐る門のそばへ寄った。

 

 その時、信如も、ふっと振り返ったが、こちらも無言のまま。脇を冷や汗が流れるのを感じて、恥ずかしさに、いっそ裸足になって逃げ出したい気持ちになっていた。

 

 

 いつもの美登利なら、信如が困っている様子を指差して、

「あれあれ、意気地のない人!」

と、笑って笑って笑い抜いて、言いたい放題、憎まれ口を叩いた事であろう。

「よくも、お祭りの夜には、正太さんをやっつけるといって、私達の遊びの邪魔をさせたわね。

 罪のない三ちゃんを叩かせて、お前は高みで采配を振るっていたのでしょう?

 さあ、謝りなさいよ!さあ!どうでござんすか!

 私の事を女郎女郎と、長吉なんぞに言わせるのも、どうせお前の指図でしょう?女郎でも良いでしょ?何が悪いのよ!ほんの少し、ちり一本だって、お前さんの世話にはならないわ!

 私には父さんも母さんもあり、大黒やの旦那も姉さんもある。

 お前の様な生臭坊主のお世話には、絶対にならないのだから、余計な女郎呼ばわりは、やめてもらいましょ!

言いたい事があるなら、陰でクスクス笑っていないで、ここでお言いなされ!

お相手には、いつでもなって見せまする。さあ、どうでござんす?」

と、袂を掴んで、まくし立てる勢いのはずである。

 

 本当にそうであったなら、信如も反論しづらい状況だっただろうに。

 実際は物も言わずに、格子の影にそっと隠れて、そうかと言って立ち去るでもなく、ただ、もじもじと胸をどきどきさせているのは、いつもの美登利の様ではなかった。

 

 

  

注釈一

源氏物語の登場人物で、若紫の祖母

 

 

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

という訳で、心のBGMは、ユーミン様の「雨の街を」でした。

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余談で・・余談で失礼しますが、

個人的に、歌詞の2番を聴いていて、魔法魔術学校の校長先生が、脳裏をよぎってしまった、

土曜日の昼下がりでした。

 

クライマックスは、次回(後編)に続きます。

 

お付き合い、ありがとうございます。

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第十一章 夜の「雨だれ」は知っていたかもしれない、思春期心を解説

こんにちは!

今回は「たけくらべ」第十一章、私なりの現代語訳を失礼します。

 

今日は、少年少女3人の、目には見えない「三角関係」が・・切ない章です。

 

3角関係は、辛そうだなあ…と思っている皆様

3角関係は、辛かったよなあ…と思っている皆様

3角関係は、辛いよなあ…と思っている皆様

 

に、読んで頂けたら…と感じる章です。

 

中村紘子さんのピアノ演奏「雨だれ」のイメージで失礼します。 

雨だれのプレリュード~ショパン名曲集(期間生産限定盤)

  

たけくらべ 十一章 (秋雨の夜 信如、美登利、正太郎)

 

 

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 正太が、くぐり戸を開けて、

 

「ばあ!」

 

と言いながら顔を出すと、その人が二、三軒先の軒下をたどって、ポツポツと歩いていく後ろ姿が見えた。

 

「誰だ、誰だ?おい、お入りよ!」

と、正太が声をかけ、美登利が足下駄を急いで突っかけて、降る雨を構わずに駆け出そうとしたのだが、

 

「ああ、あいつだ!」

と、ひと言いった正太が振り返り、

 

「美登利さん、呼んだって来はしないよ、例のヤツだもの」

と言って、自分の頭を丸めて見せたのだった。

 

「信さんかえ?」と、受けた美登利。

 

「嫌な坊主ったらない。きっと筆か何か買いに来たのだけれど、私達が居るものだから、立ち聞きをして帰ったのでしょうよ!

 本当に意地悪の、根性曲がりの、ひねくれ者の、どんもりの、歯っ欠けの、嫌なヤツめ!

 入ってきていたら、思いっきり、いじめてやったのに!帰ってしまったとは、惜しい事をした。どれ、下駄をお貸し!ちょっと見てやる!」

 

と言って、正太に代わって外に顔を出すと、軒の雨だれが前髪に落ちてきた。

 

「おお、気味が悪い!」

と、美登利は首を縮めながら外を見て、四、五軒先のガス灯の下を、大黒傘を肩で支えながら、少しうつむいている様で、トボトボと歩く信如の後ろ姿を、

何時までも、何時までも、何時までも、

見送っていた。すると

 

「美登利さん、どうしたの?」

と、正太が怪しがって、美登利の背中をつついた。

 

「どうもしない」

と、気の無い返事をして部屋へ上がって、きしやごの数を数えながら美登利は言葉を続けた。

 

「本当に嫌な小僧ったらない。表向きには、いばった喧嘩は出来もしないで、大人しそうな顔ばかりして、根性がいじけているのだもの。憎らしいに決まっているじゃないの。

 ウチの母さんが言っていたっけ。はっきりとモノを言う、ガラガラしている人は、心が良いのだと。

 それだから、グズグズしている信さんなんかは、心が悪いに違いない。ねえ正太さん、そうでしょう?」

と、口を極めて信如の事を悪く言ったので、正太は

 

「それでも龍華寺は、まだ物が分かっているよ。それに比べて長吉ときたら、あれは、いやはや、あきれるよ」

と、生意気に大人の口を真似たので、

 

「およしよ、正太さん。子供のくせに、ませた様でおかしいわ。お前は本当にひょうきん者だね」

と言って、美登利は正太の頬を突いて、

 

「その真面目顔ったら!

と、笑い転げた。すると正太は

 

「おいらだって、もう少し経てば大人になるんだ!蒲田屋の旦那の様に、角袖外套か何かを着てね。

 お祖母さんがしまっておく金時計をもらって、それから指輪もこしらえて、巻きタバコを吸って、履き物は何がいいかな・・おいらは下駄よりも雪駄が好きだから、三枚裏にして、しゅちんの鼻緒と言うのを履くよ。似合うだろうかなあ?」

と聞くと、美登利は、クスクス笑いながら

 

「背の低い人が角袖外套に雪駄姿・・まあ、どんなにかおかしいでしょうね!目薬のビンが歩いているみたいでしょう!

と、からかうと、正太は

 

「バカを言っていらあ!それまでには、オイラだって大きくなるさ。こんなちっぽけのままではないさ!」

と、いばった。なので

 

「それじゃあ、まだいつの事だか知れはしない。あの天井のネズミを見てごらんなさい!」

と、天井に指をさしたので、筆やの女房を始め、部屋にいた人達みんなが笑い転げたのだった。

 

 正太は、一人真面目になって、いつもの様に目玉をぐるぐるとさせながら言った。

 

「美登利さんは冗談にしているんだね?

誰だって大人にならない人はいないのに。おいらの言う事は、なんでそんなにおかしいのさ?

 おいらが大人になったら、綺麗な嫁さんをもらって、連れて歩く様になるんだけどなあ。

 おいらは何でも、綺麗なのが好きだから、せんべい屋のお福の様な痘痕顔、薪やのおデコの様な娘がもしお嫁に来たとしたら、すぐに追い出して、家には入れてやらないや。オイラは痘痕としつかきは大嫌いさ!」

と、力説した。それを聞いた筆やの女房が吹き出して、

 

「それでも正さん、よく私の店へ来て下さいますね。おばさんの痘痕は見えないのかえ?」

と、笑うと、

 

「だって、あなたは年寄りだもの。

おいらの言っているのは、嫁さんの事さ。年寄りは、どうでもいいんだよ」

と、正太が答えたので、

「それは大失敗だね。失礼しました」

と、筆やの女房は、面白そうに正太坊ちゃんのご機嫌をとった。

 

「町内で顔の好いのは、花屋のお六さんに水菓子やの喜いさん。それよりもそれよりも、ずっと好い子は、お前さんの隣に座っておいでだけれど、正太さんは、まあ、誰にしようと決めているのかね?

お六さんの眼つきか、喜いさんの美声か、まぁ、どれなのかい?」

と、問われた正太は顔を赤くした。

 

「なんだ、お六や喜い公の、どこがいいもんか!」

と、釣りランプの下から少し離れて、壁際の方へと後ずさりをすれば、

 

「それでは美登利さんが好いのでしょう?そう決めてござんすの?」

と、図星を指されて、

 

「そんな事、知るもんか!何だそんな事!」

と、くるりと後ろを向いて、壁の腰張りを指で叩きながら「廻れ廻れ水車」を小声で歌い出した。

 一方の美登利は、たくさんのきしやごを集めて

 

「さあ、もう一度初めから」

と、こちらは、顔をも赤らめはしなかった。

 

 

参考文献はこちらです。 

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

という訳で、心のBGMは、ショパンの「雨だれ」 でした。

こちらは、中村紘子さんの演奏です。ずっと尊敬しております。


中村紘子 ショパン作曲 プレリュード第15番変ニ長調「雨だれ」

 

天気予報だと、私の住んでいる地方は、明日は雨ではない様です。

 

余談ですが、こちらの「たけくらべ」解説記事は、もうしばらく「雨」が続く予報です💦

 

お付き合い、ありがとうございます。 

 

 

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第十章「Autumn」の情景と秋雨の夜を「憧れ・愛」を込めて解説🎹

こんにちは!

今回は「たけくらべ」第十章解説を失礼します。

 

秋🍁ですね。

 

秋も、深まってきたなあ・・と、感じている皆様に

 

お薦めの章です。 

 

という訳で、ジョージ・ウインストンさんのアルバム「Autumn」より「longing love」

のイメージで失礼します。こちらは歌ではなく、ピアノ・ソロの名曲です✨

Autumn

 

 

たけくらべ   第十章 (夏祭りから秋 格差、生活の情景)

 

 

 

 祭りの夜は、田町の姉の所へ使いを命じられていたので、信如は夜更けまで家に帰らなかった。

 そのため、筆やの騒ぎの事は全く知らず、翌日になってから丑松、文次、その他の仲間の口から、

 

「かくかくしかじか……だったんだ」

 

と、伝えられたのだった。今更ながら長吉の乱暴ぶりに驚いたのだけれど、済んでしまった事なので、責め立てる意味もなかった。

 信如はただ、自分の名前を使われた事ばかりが、つくづく迷惑に思われて、自分がした事ではないのに、被害者である美登利や三五郎たちへの罪を、一身に背負ったような気持ちである。

 長吉も少しは自分の失態を恥じているのか、信如に会えば文句を言われるだろう……と思ったらしく、その後の三、四日は姿も見せなかった。

 そして、ややほとぼりの冷めた頃に、信如のところにやってきた。

 

「信さん、お前は腹を立てているかもしれないが、時の拍子だったんだ。だから、堪忍しておくれよ。

 誰もお前、正太のやつが留守だなんて、分かる訳がないじゃあないか。

 何も本当はさ、女郎の美登利の一匹ぐらいを相手にして、三五郎を殴りたかった訳ではなかったのだけれど。万燈を振り回しながら駆け込んで見りゃあ、ただでは帰れなかったんだよ。ほんの景気づけのつもりが、つまらない事をしちまった。

 そりゃあ、俺がどこまでも悪いさ。お前の忠告を聞かなかったのは悪かっただろうけれど、お前に今怒られては形無しだ。

 お前と言う後ろ盾があったんで、俺は大船に乗った気持ちだったのに、見捨てられちまっちゃあ困ってしまうじゃないか。

 嫌だといっても、この横町組の大将でいてくんねえ。そうドジばかりは踏まないからさ」

 

と言って、面目なさそうに謝られてみれば、それでも自分は嫌だとも言いづらい。

 

「仕方がない、やる処までやるさ。しかし弱い者いじめは、こっちの恥になるから、三五郎や美登利を相手にしても仕方がないよ。

 これからは正太に取り巻きがついたら、その時はその時の事だ。決してこっちから手出しをしてはいけないよ」

 

と、言い留めて、信如はそれ以上は長吉を叱りとばさなかったけれど、心の中では、再び喧嘩のないようにと祈るのだった。

 

 

 罪のない子は、横町の三五郎である。存分に叩かれ、蹴られて、その二、三日は、立っても座っても身体中が痛くて、夕暮れごとに、父親が空の人力車を五十軒先の茶屋の軒先まで運ぶ時にさえ、

「三公はどうしたんだ?ひどく弱っているようだな」

と、顔見知りの仕出し料理屋に咎められる程だった。

 

 しかし三五郎の父親は「おじぎの鉄」と言われ、目上の人に頭を上げた事がない男である。廓内の旦那は言うまでもなく、大家様である長吉の父、地主様である信如の父の、どちらにも

「ご無理ごもっともな事です」

と、受け入れるたちなので、息子の三五郎が

「長吉と喧嘩して、これこれの乱暴にあいました」

と、訴えたところで、そんな父親なので

 

「それはどうにも仕方がないよ。大家さんの息子さんじゃあないか。こっちに理由があろうが、先方の方が悪かろうが、喧嘩の相手になるという事はできないよ。お前の方から謝ってこい。謝ってこい。全く困ったやつだ!」

 

と、自分の息子の方を叱りつけて、長吉の所へ謝りに行かせるに決まっているので、三五郎は悔しさを噛み殺していた。

 

 それでも七日、十日と過ぎてくると、体の痛いところが癒えるとともに、その恨めしさもいつしか忘れる三五郎。頭である長吉一家の赤ん坊の子守をして、二銭のお駄賃を貰えば素直に喜び、

ねんねんころりよ、おころりよ」

と、おんぶして歩いている。

 歳はいくつだと問えば、生意気ざかりの十六歳にもなりながら、その一方では、その大きな体で恥ずかしげもなく、横町組の敵地である表町へも、ノコノコと出かけてくるので、いつも美登利と正太の、いじられ役になっている。

「お前は性根をどこへ置いてきたのかい?」

と、からかわれながらも、遊びの仲間からは外れた事がないのだった。

 

 春は桜の賑わいから始まり、夏の亡き玉菊の灯籠の頃、続いて秋の新仁和賀(注釈一)には、十分間に人力車が走る数は、この通りだけで七十五りょうと数えても二の替り、つまり秋のにわか三十日間の後半さえもいつしか過ぎて、赤とんぼが田んぼに飛び交い、内堀にウズラがなく頃も近付いた。

(春の桜、夏の灯篭、秋の仁和賀が、吉原の三大行事の風物詩だった)

 

 朝夕の秋風が身に染み渡るようになり、上清の店先の蚊取り線香が当時のカイロの灰にその座を譲り、石橋の田村やが粉を引くウスの音も寂しくなった。

 角海老の時計の響も何となく悲しげな音を伝えるようになれば、四季の一年中絶え間ない、日暮里の火の光も、

「あれが人を焼く煙なのか」

と、うら悲しい。

 

 茶屋の裏の土手下の細道に、落ちてくるような三味線の音色を仰いで聴けば、仲之町の芸者が、冴えた腕に

「君がなさけの仮寝の床に……」

と、何やら歌っている一節の趣も深い。

 この時節から吉原に通いはじめる人々は、浮かれ浮かれた遊び目的の客ではなく、身にしみじみと人柄に中身のあるお方である。

 

 遊女上がりの、ある女が言うには、

「そんな事ごとを書こうとするのは、くどくて煩わしい。それよりも、大音寺前での最近の出来事といえば、盲目の按摩師で二十ばかりの娘が叶わぬ恋をし、身投げをしたそうだ」

と言う噂。

「八百屋の吉五郎と、大工の太吉が、さっぱりと姿を見せないが、どうしたのかい?」

と、誰かが訊ねると、

「この件であげられました」

と、顔の真ん中の鼻を指して、花賭博が原因である事を伝える。

 そうした事以外は他には、これといってうわさ話をする者もいない。大通りを見渡せば、幼い子供達が三、五人、手を繋いで

「ひーらいたーひーらいたー なーんのはーながひーらいたー」

と、無邪気に遊んでいるのも自然と静かな様子で、廓に通う人力車の音だけが、相変わらず勇ましく聞こえるのだった。

 

 

 秋雨が、しとしと降るかと思えば、サッと音がして運ばれてくる様な寂しい夜の事。

 通りすがりの客など待たない店なので、筆やの妻は、日暮れからは店の表の戸を閉めていた。その中に集まっているのは、いつもの様に美登利と正太郎、その他には小さな子供達の二、三人がいて「きしやごおはじき」と言う幼げな事をして遊んでいた。

 美登利が、ふっと耳をたてて、

「あれ、誰かが買い物に来たのではないかしら?ドブ板を踏む足音がするよ。」

と言ったので、

「おや、そうか?おいらはちっとも聞かなかった」

と、正太も「チュウチュウタコカイ(注釈二)」の手を止めて、誰か仲間が来たのではないかと嬉しがったのだが、門の人は、この店の前まで来た時の足音が聞こえただけで、それからは、ふっと気配が耐えて、音も沙汰もない。

 

 

注釈一

初秋の行事で茶番狂言の事

 

注釈二

すごろくなどでの、数の数え方

 

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
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という訳で、今回の心のBGMは、ジョージ・ウインストンさんのピアノ曲

「憧れ・愛(邦題)」でした。 


George Winston - Longing from his solo piano album AUTUMN

 

余談ですが、私はこの曲を高校生の頃に、テレビのCMで知り、憧れました。

そこで、級友からこの曲の楽譜をコピーしてもらいました。

小6でピアノ教室を挫折していた私でしたが、

「この曲だけは、弾けるようになりたい!」

と、頑張ったのですが・・頑張って、3分の1くらいは弾けるようになったような記憶が💦

 

今夜は、秋雨になりそうですね。

 

お付き合い、ありがとうございます。

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第九章 家族の実情が「間違いだらけ」じゃないか?と思う少年の苦悩を解説

こんにちは!

今日はこちらはお天気ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか? 

 

今日は「たけくらべ」第九章を解説いたします。

この章は、信如の家族、つまり「藤本家」の「家族の肖像」と申しましょうか・・

信如の両親、姉、龍華寺の様子、家庭における信如の苦悩などが書かれています。

 

特に

本音を心の中に秘めてしまいがちな、シャイでデリケートな皆様

寡黙で内向的で、ミステリアスな友人、知人がいらっしゃる皆様

 

に、お薦めの章です。

 

 

という訳で、勝手ながら、名曲「まちがいさがし」のイメージで失礼します。m(_ _)m

 

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たけくらべ 第九章 (龍華寺の人々 思慮深い少年) 

 

 

「如是我聞(かくのごとく、我聞けり)」

仏説阿弥陀経大乗仏教の経典一つ)」

 

 声は松風に調和して心のチリも吹き払える様にありがたいはずの、お寺様の台所の建物から、生魚をあぶる煙がなびいたり、墓場に赤ん坊のオムツが干してあるとは。

 お宗旨によって、あまり構わない事なのだろうが、そこに暮らすお方が、法師を木のはし(注釈一)と、心得ている者の目から見ると、なんだか軽率で、生ぐさく思える。

 

 信如の実父である龍華寺の和尚さまは、財産と共に肥え太ったお腹も、いかにも見事で、その色艶の良い事には、いかなる褒め言葉を差し上げたら良いのだろうか?

 肌の色は桜色でもなく、ひももの花の様に濃い紅色でもない。剃りたてた頭から顔、首筋に到るまで銅色の照りに、一点の濁りもなく、白髪も混じっている太い眉毛をあげて、遠慮のない大笑いをなさる時は、本堂の如来様が驚いて、台座から転び落ちなさりはしないかと危ぶまれる程である。

 

 和尚さまの奥さまは、まだ四十歳の上をいくらも超えていない。色白で髪の毛が薄く、丸髷も小さく結んで見苦しくなくする人柄で、参詣者へも愛想がよい。 

 お寺の門前の花屋の口が悪いおカミさんも、この奥さまについて、あれこれ陰口を言わないところを見ると、着古しの浴衣や、お惣菜の残り物などのご恩を受けているのだろう。

 

 この奥さまは、元は檀家の一人であったのだが早くに夫を失い、頼れる親類もない身で、しばらくここ、龍華寺にお針子の様な扱いで住み込んでいた。

 始めは、食べさせて貰えればそれで良い、という状況で、洗濯から始まり料理はもちろんの事、墓場の掃除にも男達の手助けをするまで働いた。そのため和尚さまは、経済的な面でも考えて、自分にとっても徳であり、その女を不憫にも思い情けをかけたのだった。

 

 年が二十ほど離れているのでみっともない事は、女も心得ていたが、他に行く所もなかったので、結局ここが良い死に場所だろうと、人目を恥じない様になった。

 檀家の者からすれば不愉快な事であったが、女の人柄が悪くなかったので、檀家の者もさしては咎めなかった。

 

 第一子の「花」という子供を身籠った頃、檀家の中でも世話好きで名の知れた坂本という油屋のご隠居さまが、仲人というのも変なものだが、事を進めて表向きのもの、つまりは正式な夫婦にしたのだった。

 

 信如も、この母親から生まれた。蓮華寺の子供は、男の信如と長女の花の二人。

 一人息子の信如は、元からの偏屈者で、ほとんど一日中部屋の中でイジイジとしていて陰気な性分の少年なのだが、姉のお花は、美肌で二重あごがかわゆらしく、人柄も愛嬌がある人。美人という訳ではないが、お年頃で人からの評判も良く、素人として捨てて置くのは惜しいと、周囲からも思われていた。

 

 だが、かと言って、お寺の娘が芸者というのはどうだろう?お釈迦さまが三味線を弾くなどとは、知られていない世の中。

 人の噂が憚られるので、田町の通りに葉茶屋を小綺麗にしつらえ、店先に、この娘を据えて、お茶の葉と愛嬌を売らせてみた。

 すると、秤の目盛りはとにかく、勘定を気にしない若者などが、何気なくこの店に寄るので、大抵は毎晩十二時を過ぎるまで店に客の影が耐えた事がない。

 

 忙しいのは大和尚。貸金の取り立て、娘の店への見回りに法要のあれこれ、月の幾日かは、説教日の予定もある。帳面をくくるやら、お経を読むやらで忙しい。

 

 これでは体が持たないと、夕暮れの庭先に花むしろをしかせて、片肌を脱いでうちわであおぎながら、大きな杯に泡盛をなみなみとつがせて、酒の肴の好物は鰻の蒲焼なので

 

「表町の武蔵家で鰻の大串を買って来い!」

 

と言って買いに行かせるのだった。

 その買い物を仰せ付かるのはいつも信如だったが、信如はその役目が骨に染みて嫌であった。鰻屋への道を歩くにも、上を見る事ができない。鰻屋の筋向こうにある筆やの店に子供達の声を聞くと、友人知人、特に表町組の彼らに目撃されて、自分の事を悪く言われはしないかと不安で、情けなくなる。

 そ知らぬ顔をして鰻屋の角を過ぎてから、辺りに人がいない隙を伺い、急いで戻って鰻屋にかけ入る時の心地と言ったら。そんな訳で信如は、自分は絶対に生臭いものを食べるまいと思うのだった。 

 

 

 父親の大和尚はどこまでもさばけた人。もともと少しは欲深で名が知られていたが、人の噂に左右されるような小心者ではない。手が暇であれば商売繁盛祈願商品の熊手を作る内職もしてみようと言う性格である。

 

 そのため霜月の酉の市には、例外なく門前の空き地にかんざしの店を開き、奥さんに手ぬぐいをかぶらせて

 

「縁起の良い品物をいかがですか?」

 

と客を呼ばせて、儲けの算段。奥さんも、始めは恥ずかしい事に思っていたが、ご近所の素人の商売で大儲けがあったと聞けば、

 

「この混雑の中だし誰にも気づかれない事だろうし、日暮れ以降は、人目にもつかないだろう」と考えた。

 

 昼間は花屋の女房に手伝わせて、夜には自ら店先に立って客呼びをしているうちに、欲が出たのか、いつの間にか恥ずかしさも失せてきたらしい。

 

「負けましょ!負けましょ!」

 

と、人の後を追って叫ぶようになったのだった。

 人波に揉まれて、買い手の目もくらんでいる時であれば、今いる場所が、来世のお参りに一昨日来た、お寺の門前であることも忘れて、お寺の奥さんが

「かんざし三本七十五銭!」

と高めに値段をつければ、

「五本まとめて七十三銭ならば買いましょう!」

と、お客も値切っていく。

 

 そんな闇の様な世の中で、その闇に紛れたインチキ商売でのボロ儲けは、この他にも有るだろうが、信如にはこうした事でも、とても心苦しい。たとえ檀家の人たちの耳には入らなくても、近所の人々からの評価や、自分の友人知人、特に表町の子供達の噂でも

 

「龍華寺では、かんざしの店を出して、信さんのお母さんが狂った様な顔をして売っていたよ」

 

などと言われるのではないか、と恥ずかしいので、

 

「そんな事はやめた方が良うございましょう」

 

と、親に言って止めた事もあったのだが、大和尚は大きく笑い捨てるだけ。

 

「黙っていろ!黙っていろ!貴様などには分からぬ事だわ!」

 

と言って、全く相手にはしてくれない。平然と朝は念仏、夕べは勘定という毎日。日々、ソロバンを手にして、ニコニコしている顔つきは、自分の親ながら浅ましく映って、なぜ、その頭を丸めなさったのだろうか?と、恨めしくもなるのだった。

 

 もともと実の両親と姉弟の中で育っていて、他人の混じらない穏やかな家の中なのだから、さしてこの息子を、陰気な少年にしてしまう原因などないはずなのだが。

 生来はおとなしいのに、自分の言い分が聞き入れられなければ、とにかく面白くなく感じる性格。

 

 父のやる事も、母の振る舞いも、姉の育てられ方も、皆、全て間違いの様に思えてならないのに、どうせ言っても聞いてもらえないのだと諦めると、何となく悲しく思えて情けない。

 友達や学校の仲間特に美登利達からは、偏屈者だの意地悪だのと見られているけれど、どうしようもなく沈んでしまう、心の弱い自分なのだ。

 

 本当は自分の陰口を、少しでも言う者がいたと聞いても、出かけていって喧嘩口論をする勇気もなく、部屋に閉じこもって人に顔を合わせられない、臆病極まりない身なのだが、学校での学業の優秀ぶりと、身分が卑しくないために、それほどの弱虫だとは知るものがいない。

 

「龍華寺の藤本は、生煮えの餅のように真があって気になる奴だ」

 

と、正太の様に、彼を憎らしく思う者もいる様だった。

 

 

 

 

注釈一

特に僧侶や尼のこと。一説によると、とるにたりない者の意

 

 

 

参考文献はこちらです。 

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

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  • 発売日: 2004/12/11
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という訳で、今回の心のBGMは「まちがいさがし」でした。

余談ですが、私は菅田将暉さん、米津玄師さん、どちらのバージョンも大好きです。

www.uta-net.com

 

 

信如も、この環境に生まれなかったら、美登利には出会えなかったのではないか?

と思った、火曜日の午前でした。

 

お付き合い、ありがとうございます。

 

 

 

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第八章「Night & Day」🏮「はれるや」な吉原情景と無邪気な少女を…解説💦

こんにちは!

今日は雨で、私は少し肌寒いですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

家事がひと段落したので、やはり今日も、こちらの続きを失礼します。

 

たけくらべ」第八章は・・・

 

「吉原」って結局、どういう場所だったの?

と思っている皆様

どんちゃん騒ぎが好き!

サザンオールスターズの、はっちゃけた曲が好き!

という皆様に、特にお薦めの章です。

 

 補足ですが、暮らしに困っていた樋口家当主の一葉さんは、亡くなる数年前、吉原近くに「駄菓子屋」を開いていて、お店をやりながら創作をしていた頃もあった様です。しかし、その時期があったからこそ「たけくらべ」という作品が生まれたのかもしれません。

 第八章は特に、当時の一葉さんの女性視点からの、かなりシニカルなウィットのパンチが効いている文章だと、個人的に思います。

 

今回は、どの曲のどんな写真を選ぶか、非常に悩みました💦

結局、サザンオールスターズのこの曲しか浮かびませんでした💦

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 たけくらべ 第八章   (吉原の情景 無邪気な少女)

 

 

「走れ!飛ばせ!」

の、夕方の勢いに比べて、明け方の、ご贔屓の遊女との、別れの一夜の夢を乗せて走る人力車の寂しさよ。

 

 帽子を深くかぶり、人目を避けるお方もいる。手ぬぐいをとって、それを頬かぶりしているお人は、女が別れぎわにくれた、なごりのひと打ちの痛さが身に染みていて、思い出す度に嬉しいのか、薄気味の悪いニタニタの笑い顔のお人もある。

 

「坂本通りまで出たら、用心しなされ。千住帰りの青物、果物を積んだ車にぶつかりそうで、お足元が危ないねえ。三島様の角までは、まるで気違い街道だ。

 お顔の締まりが、どちら様も緩んでいて、恐れ多い事かもしれませんが、お鼻の下を長々と伸ばしておいでだと、そんじょそこいらの場所では、立派な紳士で通っていても、本来の値打ち、評判が台無しだ」

 

 などと道角に立って、吉原へ通う男達について、陰口を言う者もいた。

 

 

 楊家の娘(楊貴妃)が君(唐の玄宗皇帝)寵を受けて・・と「長恨歌」を引き出すまでもなく、娘という存在は、いづこでも貴重がられる、この頃だけれど、この辺の裏家から「かぐや姫」が生まれる例は多い事。

 

 築地の、ある置屋に今は移って、御前様方のお相手をし、踊りの上手な「雪」という美女がいた。

「ただいまのお座敷でお米のなります木は……」

などと、とてもあどけない事を言っていても、元は、ここの町内の仲間内で花カルタの内職をしていた者である。

 

 評判は一時は高くても、すぐに去るもの。うかうかしている間に、名物の花……つまり、売れっ子の女性が一つ姿を消して、二度目の花は、紺屋の末娘という次第。

 今、千束町に新しく建った置屋の売れっ子をほのめかす、小吉と呼ばれる公園の貴重な娘も、生まれ育ちは、同じここの土地の者……

と、明け暮れの噂の中でも、このあたりで出世と言えば女に限った事で、男は「塵塚探す黒斑の尾」といって、ゴミの山を漁る野良犬の様に、居ても役に立たない者とみなされている。

 

 この界隈で「若い衆」と呼ばれる街並みの青年たちは、生意気ざかりの十七、八歳からのグループ、五人から七人組で行動している。

 腰に尺八をつけるような、粋な派手さはないけれど、何やら、厳しい名前の親分の手下になり、揃いの手ぬぐいと長ちょうちんを持ち、サイコロを振る事を覚えない間は格好が悪くて、冷やかしに吉原名物の格子先で、思い切っての冗談も言いづらいと見える。

 真面目に勤めている家業は昼間の間ばかりで仕事を終えて、一風呂浴びて日が暮れれば、下駄をつっかけ、気楽な七五三の丈の着物で外に繰り出し、

 

「どこそこの店の新しい娘を見たか?金杉の糸屋の娘に似ていて、ちょっと鼻が低い」

 

などと、頭の中をそんなことでいっぱいにして、店の一軒ごとの格子にタバコの無理とり、ちり紙のおねだり。

 そうしたやり取りの中での男女間の打ちつ、打たれつを、人生の名誉だと心得ているので、堅気の家業の相続息子が、地元のヤクザに改名して、大門のそばで喧嘩を買いに出た……などという事もあり、

 

「見てくれ、売れっ子の遊女の様な勢いだろう!」

 

と、言わんばかりの男もいる。季節の移り変わりを知らないように思える、五丁町の賑わい。お客のための見送り提灯は、今は流行らないが、茶屋が廻す女中の雪駄の音に響く歌舞音曲。

 浮かれ浮かれて、吉原にやって来る人達に

 

「何がお目当て?」と尋ねてみると、

 

「赤襟、赭熊の髪型に、打ち掛けの裾が長く、にっと笑う口元目もととかさ。どこが良いとか美しいのかは、言いにくいけれど、花魁たちとは、ここでは敬うもの。離れていては、お知り合いになれないからね!」

 

 

 この様な環境の中で朝夕を過ごせば、白い衣が紅色に染まるのも無理はない。

 美登利の眼には、男というものが、さして怖くも恐ろしくも映らず、女郎という者を、それほど卑しいお務めとも思っていないので、昔、故郷を出発する当時の、姉を泣いて見送った事が、今は夢の様に思えている。

 

 姉が今日この頃の全盛で、両親に親孝行できている事を羨ましいとさえ思う売れっ子で居続ける姉の身の、本当の苦しみの数も知らないので、遊女たちのお客を呼ぶための鼠泣き格子の呪文、別れぎわの背中を叩く手加減の秘密までも、ただ、面白く耳に聞いて、廓言葉を町で使う事も、それほど恥ずかしく思えないのも、哀れである

 

 美登利は歳はようやく数えの十四歳。人形抱いて頬ずりする心は、華族のお姫様とも変わらないけれど、修身の学問、家政学のいくらかでも学んだのは、ただ学校でだけ。

 

 誠に、明けても暮れても耳に入ってくる事といえば、好いた好かないの客の噂話。お仕着せ積み夜具、茶屋への行き渡りなど、吉原特有の派手な事は魅力的に、そうでないものは見すぼらしく見えて、他人の事と自分の事の分別がつくにはまだ早い年頃。

 少女心には、目の前の花にばかり目が行くし、持ち前の負けず嫌いの性格が勝手に暴走して、頭の中に雲のような世界をこしらえているようだ。

 

 

  気違い街道。寝ぼれ道。朝帰りの殿方がお帰りになり、一仕事が済んで、朝寝坊していたの町人達も、門に箒の後が波模様を描いて、打ち水がほどよく済んだ表町の通りを見渡すと……

 来るは来るは、万年町、山伏町、新谷町辺りを寝床にしている、一能一術があるので、芸人と呼ばれる者たち。飴屋、軽業師、人形使い大神楽、住吉踊り、角兵衛獅子など。思い思いの扮装で、ちりめんすきやの洒落者もいれば、薩摩かすり洗い着に、黒繻子の幅の狭い帯などなど。

 

 いい女もいれば男もいる。五人、七人、十人ひと組の、大所帯もあれば、ひとり寂しく痩せた老人が、破れた三味線を抱えて歩いている事もある。そうかと思えば五、六歳の女の子に赤たすきをさせて、紀の国を踊らせているのも見る。

 

 そうした芸人達のお得意様は、廓内に居続けている客と、憂さ晴らしを求める遊女達である。

 あの廓内に入っていく芸人達は、生涯やめられない程その場所で儲けているらしいと知られていて、来る者来る者、このあたりの町角での、少ない儲けは気にも留めない。 

 着物の裾が海草のように破れた、いかがわしい乞食でさえ、町角には立たないで行き過ぎるものである。

  

 ある日、器量の良い太夫が、笠をとって品のある頬を見せながら、のど自慢、腕自慢をしながら通り過ぎた。

 

「あれあれ、あの美声を、この町の自分たちには聞かせないのが憎らしい!」

 

と、筆やの女房が舌打ちをして言うと、店先に腰をかけて往来を眺めていた、風呂帰りの美登利。はらりと落ちる前髪を黄楊の鬢櫛にちゃっとかきあげて、

 

「おばさん、あの太夫さんを呼んできましょう!」

 

と言って、ぱたぱたと駆け寄って女太夫のたもとにすがり、たもとの中に何かを投げ入れた。その一品が何だったのか、美登利は誰にも笑って言わなかったが、好みの明烏(あけがらす)をさらりと歌わせて、

 

「 またご贔屓に」

と、愛嬌あるお礼の言葉を言わせたのだった。

 

「これはたやすく買えるものではない。あれが子供の仕業か?」

 

と、寄り集まっていた人たちが舌を巻いて、太夫よりも美登利の顔を眺めたのだった。そんな大人達の反応に得意になった美登利は

 

「粋な事だと思うから、通り過ぎる芸人たちを皆、町内にせき止めて、三味線の音、笛の音、太鼓の音、歌わせて踊らせて、そんな人がしない事をしてみたい」

 

と、その時に美登利が正太に、ささやいて聞かせると、正太は呆れて、

 

「俺らは嫌だな!」 

 

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 という訳で、今回の心のBGMは、ドインパクトのある、こちらの曲でした!

「愛の ために 生きりゃ いいじゃーん ♪」

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サザンオールスターズ - 愛と欲望の日々(Short ver.)

 

今回も、野暮な挿絵はいらない章だと思いました💦

 

お付き合い、ありがとうございました。

 

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第七章 信如と美登利が「🧲のNとNの様」になった経緯を解説🚣‍♂️

こんにちは!

引き続き「たけくらべ私なりの現代語訳、失礼します。

 

この章は、特に

「すれ違いラブ・ストーリー」が好き!

ガラスの仮面」が好き!

と言う女性の皆様と

「俺はどうも好きな女性に素直になれない💦」

と言う男性の皆様に

お薦めしたい章です。

 

そして、私個人にとっては、

「スレ違いLOVE・ストーリー漫画の金字塔✨」

と言えば、

 

ガラスの仮面」🌹   です💦

 

私は、30数年前に、

たけくらべ」のストーリーを、こちらの漫画の劇中劇を通して、

初めて知るに至りました。

 

 

美内すずえ先生、大変お世話になっております!

大変、尊敬しております✨💐

 

と言う訳で、私のガラスの仮面」愛も込めつつ、第七章を失礼します。

 

ガラスの仮面 47 (花とゆめCOMICS)

 

 

たけくらべ 第七章  (春から初夏 信如と美登利)

(※第七章の始まりは、物語の場面が、一旦その年の春🌸に戻ります。)

 

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 龍華寺の信如大黒屋の美登利。二人とも、学校は育英舎である。

 今年の四月の末ごろ、桜が散って青葉のかげに、藤の花見という頃、春の運動会を、水の谷の原で行った。つな引き、まり投げ、縄跳びなどの遊びに、日が暮れるのも忘れて夢中になっていた時の事だった。

 

 信如は、どうしたことか、いつもの落ち着きに似合わず、池のほとりの松の根元につまづいてしまった。赤土の道に手をついたので、羽織りの袂(たもと)にも、泥がついて見苦しくなった所に、(ちょうど)居合わせた美登利が、みかねて自分の絹のハンカチを取り出した。

 

「これで、お拭きなさいな」

 

と、お世話をしたところ、それを見ていた友達の中の焼き餅やきが、

 

「藤本は坊主のくせに、女と話をして、嬉しそうに礼を言ったのは、おかしいじゃないか?」

「きっと美登利さんは、藤本のおかみさんになるのだろう?」

「お寺の女房なら、大黒様(注釈一)と言うんだよ!」

 

などと、からかわれたのだった。

 

 信如は元々、このような事を、他人の事で聞くのも嫌いで、苦い顔をして横を向く性格だから、自分がそんなことを言われれば、尚更に我慢ができるはずがなかった。

 

 それからというもの信如は「美登利」という名前を聞く度に何だか恐ろしくなる様になった。また誰かがああした、からかい事を言い出すかと思うと、胸の中がハラハラして、何とも言えない嫌な気持ちになるのだ。でも、だからと言って、その度に怒鳴りつける訳にもいかなかった。

 

 なるべくは知らぬふりをして、平静を装い、難しい顔をしてやり過ごそうと思うのだけれど、美登利に直接向かい合って、ものを問われる時の動揺と言ったら。

 たいていは

「知りません、わかりません」

の一言で済ませるのだが、本当は苦しい汗が体中に流れて心細い思いになっていた。

 そんな事とは知らない美登利は、はじめは

 

「藤本さん、藤本さん」

 

と、親しげに言葉をかけていた。

 学校帰りに、自分が一足先を歩いていて、道端にめづらしい花などを見つけた時、美登利は後から歩いてくる信如を待っていて、

 

「ほら、こんな美しい花が咲いているのに、枝が高くて私には折れません。信さんは背が高いから、手が届くでしょ?

お願いだから、私の代わりに折ってくださいな」

 

と、居合わせた一群の中では、信如が年長だと思って頼んだ事もあった。

 

 さすがの信如も、この時ばかりは、知らないフリをし、袖を振り切って通り過ぎる事も出来なかったのだが、だからと言って、また人から勘ぐられるのは益々いやだった。

 

 そこで手近の枝を引き寄せて、花の善し悪しをよくも確かめず、申し訳ばかりに折って、投げつける様にして、スタスタと行き過ぎたのだった。

 そうした信如の態度に美登利は、何とまあ、愛想の無い人だろうと、呆れた事もあった。しかし、そうした事が度重なった末には、おのずから、わざとの意地悪の様に思われて来た。

 

 他の人にはそうでもないのに、私にばかり、冷たいそぶりを見せる。

物を尋ねれば、ろくな返事をしてくれた事がないし、そばへ行けば逃げる。話をすれば怒る。本当に陰気で、息が詰まる。

どうして良いやら、機嫌の取りようもない。

 あんな気難し屋は、好きなだけ、ひねくれて怒って、意地悪がしたいのだろうから、友達と思わなければ、口を聞く必要もないわ。

 

 そう感じ、少なからず傷ついた美登利。そんな訳で美登利からも用がなければ、すれ違っても話しかける事もなくなり、偶然会っても、挨拶すら思いもしなくなった。

 そんな風に、いつしか二人の間に、目には見えない大きな川が一つ横たわり、船も筏もこの川の行き来はご法度、二人とも、それぞれの岸に沿って、それぞれの道を歩く様になったのだった。 

 

 

 夏祭りは昨日に過ぎて、その次の日から美登利が学校へ通う事が、ふっと途絶えたのは、聞くまでもなく、洗っても消すことのできない額の泥の屈辱が身に染みて悔しかったからだろう。 

 

 表町だから、横町だからといっても、同じ学校内の教室に並んで座れば、学友に変わりは無いはずなのに。

 おかしな分け隔てをして、いつも意地を張り合っている。私が女なので、力がかなわない弱みに付け込んで、祭りの夜の仕打ちは、なんて卑怯だっただろう。

 長吉がわからずやなのは皆が知っていて、前から、この上ない乱暴者だけれど、今度の事は信如の後押しがなければ、あれほどに思いきって、表町に暴れ込まなかっただろう。

 人前では物知りらしく、大人しそうに振る舞っているのに、陰でカラクリの糸を引いたのは、藤本の仕業に違いない。

 たとえ学年は上にしても、勉強はできるにしても、龍華寺様の若旦那にしても、大黒屋の美登利、紙一枚のお世話にもなりはしないものを。あのように乞食呼ばわりされる筋合いはない。

 龍華寺に、どれほど立派な檀家があるのか知らないけれど、私の姉様三年のおなじみ様には、銀行の川様、兜町の米さまもある。議員の短小様などは、見受けして奥様にとおっしゃったのを、心意気が気に入らなかったので、姉様は嫌ってお受けしなかったのだけれど、あの方だって世には名高いお人だと、やり手衆が言っていた。

 嘘だと思うなら聞いてみるがいい。大黒屋に姉の大巻がいなかったら、あの楼は闇だと聞いている。だからこそお店の旦那様すらも、父さん、母さん、妹の私の身だって、粗末には扱わない。 

 いつも大切に床の間に飾っていった瀬戸物の大黒様を、私がいつだったか、座敷の中で羽つきをすると言って騒いだ時、その横に並んでいた花瓶を、そちらに倒して散々に壊してしまった時も、旦那様が隣の座敷でお酒を召し上がりながら、

 

「美登利はおてんばが過ぎるなぁ」

 

と、言われただけで、それ以上の事はなかった。

「他の人であったら普通の怒られ方では済まなかっただろう」

と、寮の女性達に後々まで羨ましがられたのも、すべては姉様のご威光であろう。

 私は寮住まいで留守番はしたりするけれど、姉は大黒屋の大巻、長吉なんかに負けを取るべきではないし、龍華寺の坊様にいじめられるのは心外だ。

 

と、それから学校へ通うことも面白くなくなった。わがままの本性をあなどられたのも悔しかったので、美登利はその後、硯を捨て筆を折って墨も捨てて、本も算盤もいらない物にして、仲の良い友達と気まぐれに遊ぶばかりになったのだった。

 

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注釈一

大黒は僧侶の妻を指していう蔭語

 

 

参考文献はこちらです。 

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

そんな訳で、今回の心のBGMは、アニメ「ガラスの仮面」ED曲のこちらでした。

Splash Candy さんの「素直になれなくて」です。

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補足ですが、「たけくらべ」は、第十六章まであります💦

お付き合い、ありがとうございます。

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第六章 十三歳、正太郎の「🌱少年時代🌱」 「おいらの心は夏模様」  

こんにちは!

もう10月も半ば、秋ですね。

今回も、現代語訳の続きを、失礼します。m(_ _)m

 

たけくらべ」 第六章の主役は 正太郎 です。

正太郎が、ひたすらに かわゆい 章なのです。

 

暑さバテ、秋バテ、お疲れ気味の皆様に、

特に読んで頂けると嬉しいです🌾

 

正太郎が、大人になっても思い出す、

初恋のお姉さんと二人で過ごした「少年時代」の大切なひと時だったのではないかと、

想像してしまいます。

 

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たけくらべ   第六章  (夏祭り翌日 正太郎と美登利)

 

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「めづらしい事もあるものだ。この炎天下に、雪が降りはしないだろうか?

美登利が学校を嫌がるとは、よくよく不機嫌なのだろう。

朝食がすすまないなら、後で(やすけ)でも出前を頼もうか?

風邪にしては熱もないし、おおかた昨日の疲れなのだろう。

太郎稲荷神社への朝参りは、母さんが代理してあげるから、神様には勘弁して頂きなさいよ。」

 

と、母が言ったのだが、

 

「いえいえ、姉さんが繁盛する様にと、私が願掛けを始めたのだから、自分でお参りしなければ気が済みません。お賽銭を下さい。行ってきます」

 

と、家を駆け出して、田んぼの中のお稲荷様のところで鰐口を鳴らして手を合わせた。いったいお願いは何だったのか?

 行きも帰りも、首をうなだれて、田んぼのあぜ道づたいに帰ってくる姿を、美登利と気づいて、正太郎が遠くから声をかけた。

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 正太は駆けよって、美登利のたもとを押さえて、

 

「美登利さん、昨夜はごめんよ」

 

と、出し抜けに謝ると、

 

「何も、お前に謝られる事はないよ」

 

「それでも俺が憎まれているのだし、俺が喧嘩の相手だもの。

お祖母さんが呼びにさえ来なければ、帰りはしなかったし、そんなにむやみに三五郎を打たせはしなかったのに。

今朝、三五郎のところへ見に行ったら、アイツも泣いて悔しがっていた。俺は、聞いているだけでも悔しかった。

お前の顔へ、あの長吉め!草履を投げたと言うじゃないか!

あの野郎、乱暴にもほどがある。だけど美登利さん、堪忍しておくれよ。

俺は、知りながら逃げていたのではないんだ。飯をかっ込んで、表へ出ようとすると、お祖母さんがお風呂に行くと言ったんだ。留守番をしているうちの騒ぎだろ?

本当に知らなかったんだよ」

 

と、自分の罪の様に、平謝りに謝罪して、痛みはしないかと美登利の額際を見上げれば、美登利はにっこり笑って

 

「何、ケガというほどでは無いよ。

だけど正さん、誰が聞いても、私が長吉に草履を投げられたと言ってはいけないよ。

もし、万一に、おっかさんが聞きでもすると、私が叱られるから。

親でさえも、頭に手はあげないものを、長吉なんかの草履の泥を額に塗られては、踏まれたも同じだからね」

 

と言って、背ける表情が何ともいとおしい。

 

「本当に堪忍しておくれ、みんな俺が悪い。だから謝る。機嫌を直してくれないか?お前に怒られると俺が困るんだよ」

 

と、話している間に、いつしか正太の家の裏近くに来たので、

 

「うちに寄っていかないか?美登利さん。誰も居やしないよ。

お祖母さんも日がけをを集めに出ているだろうし、俺一人で寂しくてならないよ。

いつか話した錦絵を見せるから、お寄りなよ。色々のものがあるからさ」

 

と、袖を捉えて離れないので、美登利は無言でうなづいて、侘しい折戸の庭口より入ると、広くは無いけれども鉢植えが綺麗に並んでおり、軒には釣り荵が。これは正太郎の、午の日(注釈一)の買い物だと見える。

 

 事情を知らない人は、小首をかしげて意外に思うだろうが、町内一の財産家なのに、家の中は祖母と孫の正太郎の二人きり。

 腰に巻いているたくさんの鍵で下腹が冷えているだろうに、留守の時は、周りが全て長屋なので、さすがに玄関の錠前を壊す者もいなかった。

 

 正太は先に家に上がって、風通しの良い場所を見つけて

 

「ここへ来ないか?」

 

と言いながら、うちわも用意する気の使いよう。十三歳の子供にしては、ませ過ぎていておかしい。古くから家で受け継がれている錦絵の数々を取り出して、美登利に褒められる事を喜ぶ正太。

 

「美登利さん、昔の羽子板を見せてあげる。

これは俺の母さんが、お屋敷に奉公している頃に、頂いたのだとさ。

おかしいだろう?この大きい事!人の顔も、今のとは違うね。

ああ、この母さんが生きていたら良いのだけれど。俺が三つの歳に死んで、お父さんは、いるのだけれど、田舎の実家へ帰ってしまったから、今はお祖母さんだけさ。

お前は家族がいて羨ましいね」

 

と、何とはなく親の事を言い出す正太郎。

 

「それ、泣いたら絵が濡れるよ。男が泣くものでは無いよ」

 

と、美登利に言われて、

 

「俺は気が弱いのかなあ?

時々、色々の事を思い出すよ。

まだ今時分は、いいんだけれど、冬の月夜なんかに田町のあたりを集金に回っている時、土手まで来て幾度も泣いた事がある。

なに寒いくらいじゃ、泣やしないよ。なぜだか自分でも分からないけど、いろんな事を考えるよ。ああそうさ、一昨年から、俺も日がけの集めに回っているさ。

お祖母さんは年寄りだから、そのうちにも夜は危ないし、目が悪いから印鑑を押したり、何かと不自由だからね。

今まで、何人も大人の男を雇ったけれど、うちが老人と子供だけの家庭だから、馬鹿にして、みんな思うようには働いてくれないのだと、お祖母さんが言っていたっけ。

俺がもう少し大人になったら質屋を出させて、昔の通りでなくても田中屋の看板をかけるといって、楽しみにしているよ」

「よその人たちは、お祖母さんをケチだと言うけれど、俺のために倹約してくれているのだから、気の毒でならないよ。

集金に行く家でも、通新町や何かに、随分と可愛そうな人達がいるから、さぞ、お祖母さんを陰で悪く言っているだろう。

それを考えると、俺は涙がこぼれる。

やっぱり気が弱いんだね。

今朝も三公の家へお金を取りに行ったら、アイツったら、体が痛いくせに、親父に知らせるまいとして働いていた。

それを見たら、俺は口がきけなかったんだ。

男が泣くって言うのは、おかしいじゃ無いか」

 

 だから横町の長吉の奴らに馬鹿にされるのだ……と、言いかけて、自分の弱々しいのを恥じるような顔色と、何気なく美登利と見合す目つきのかわゆさ

 

「お前の祭りの姿は、とても良く似合っていて私は羨ましかった。

 私も男だったら、あんな格好がしてみたい。他の誰よりも格好良く見えたよ」

 

と、美登利に褒められた正太郎。

 

「何だ俺の事なんて。お前こそ美しいや。

廓中の大巻さんよりも綺麗だと、みんなが言っているよ。

お前が姉だったら、俺はどんなに誇らしいだろう。

どこへ行くにもついて行って、大威張りに威張るんだけどなあ。

一人も兄弟がいないから、仕方がないね。

ねえ美登利さん、今度一緒に写真を撮らないか?

俺は祭りの時の格好で、お前は透綾のあら縞の着物で粋な姿をして、水道尻の加藤写真館で写そうよ。

龍華寺のヤツが羨ましがるようにさ。」

「本当だぜ、アイツはきっと怒るよ。真っ青になって怒るよ。

アイツは大人しそうに見えて、実は癇癪持ちだからね。

赤くはならないだろうな。それとも笑うかなあ?

俺は、アイツに笑われても構わないさ。

大きく撮ってもらって、店の看板に出たらいいな。

お前は嫌かい?嫌そうな顔だもの」

 

と、恨むような正太郎の様子も可愛らしい

 

「変な顔に写ると、お前に嫌われるから」

 

と言って美登利が吹き出した。その高く美しい笑い声の響きで、美登利の機嫌が直った事がわかる。

 朝の涼しさはいつしか過ぎて、日ざしが暑くなってきたので、

 

「正太さん、また晩にね、私の寮へも遊びに来なさいよ。

とうろう流して、お魚を追いましょ。

池の橋が直ったから、怖い事は無いよ」

 

と、言い置き、立ち去る美登利の姿を、正太は嬉しそうに見送って、やはり美しいと思ったのだった。

 

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注釈一

稲荷神社の縁日の日

 

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 と言う訳で、第六章の心のBGMは、井上陽水さんの名曲「少年時代」でした。

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お付き合い、ありがとうございます。

 

皆様、季節の変わり目、ご自愛ください。