芸術は心のごはん🍚

映画・小説・漫画・アニメ・音楽の感想、紹介文などを書いています。

ミヒャエル・エンデ愛   〜 audible 2冊めは児童文学の名作「モモ」 〜

皆さま、こんにちは。

12月31日、夕方にこの記事を書いています。

 

前回、オーディブルについて書きました。

 

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私が2冊目に選んだのは、こちらです。

 

モモ

モモ

 

 

こちらも、高山みなみさんの朗読が、本当に素晴らしかったです。

長編かつ、たくさんの登場人物が出てくるのですが、声の使い分けが、本当に素晴らしいです。

 

モモ

掃除婦のベッポ爺さん

観光ガイドの若者、ジジ

近所に住む大人、子供…つまり、モモの大切な友人たち

灰色の男たち

マイスター・ホラ

 

現代の若い人たちには、活字で読むのは難しい作品なのではないかと思っていたので、こうした新しい技術によって、昔の物語が多くの人に再び注目される事が、とても嬉しいです。

 

「モモ」の原作本は、私にとって、やはり特別な思い出のある作品です。

14歳の時、「ネバーエンディング・ストーリー」という映画を観て夢中になり、

原作「はてしない物語」を読みました。

それがきっかけで、私は「映画」と「児童文学」に目覚めました。

 

そんな流れで、中三の時、読書感想文を、「モモ」を読んで書いた事を覚えています。

どんな事を書いたかは、やはり全く覚えていないのですが。

 

とにかく、ミヒャエル・エンデさんの「モモ」と「はてしない物語」は特に、

高校受験の事で悩んでいた私を、精神的に励ましてくれた、とても大切な作品です。

 

「モモ」以上に長編なのですが、「はてしない物語」も、朗読で聴ける日がくると、非常に嬉しいです。

 

今年は特に、私は人の話を聞く事が難しい一年でした。モモを見習いたいです。

 

皆さま、今年も大変お世話になりました。

 

 

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皆さま、良いお年を🍀

audible 体験してみました  〜 一冊めは「日の名残り」に 〜

こんばんは!

 

私は、今月から、Amazonのこちらのサービスを体験しています。

 

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最初に聞いた小説は、こちらです。

 

日の名残り: ノーベル賞記念版

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 今年の初めに読み始めたのですが、途中になっておりましたので、とても嬉しかったです。

 数年前、映画を見て、あらすじは知っていました。

 

 今回、オーディブルで原作を聞いて、とても良かったです。

 

 田辺誠一さんの朗読が、とても素晴らしかったです。

 

 登場人物のセリフ、主人公の男性のセリフも、彼が会いに行く女性のセリフも、素晴らしいと思いました。

 個人的に私は、田辺誠一さんの、「ミス・ケントン」のセリフの朗読が、とても好きです。

 

田辺誠一さんは、以前から大好きな俳優さんなのですが、こちらの朗読を聞いて、ますます好きになりました。

 

 

関連過去記事は、こちらです。

obachantoarts.hatenablog.jp

 

 

今年もあと一週間ですね。

皆さま、ご自愛ください。

 

ドラマ「坂の上の雲」について   何事も単純明快に…

こんにちは。今日は過去記事を失礼します。

 

 

 

 

obachantoarts.hatenablog.jp

 

今日個人的に思ったのですが、

このドラマの登場人物、秋山家のお兄さんが弟にアドバイスした事と、

前記事のマザーテレサの価値観には、どこか共通点があるように感じました。

 

お付き合いありがとうございます。

 

 

映画「マザー・テレサ」 〜 白いサリーの天使 〜

こんにちは。

 

先日、こちらの映画を鑑賞しました。

 

 

マザー・テレサ (字幕版)

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  • メディア: Prime Video
 

 

マザー・テレサには、個人的に特別な思い出があります。

小学4年生の夏休み。

読書感想文と言う、お約束の宿題に頭を悩ませていた私。

当時は本を読む習慣も図書館に行く習慣もまだありませんでした。

長い夏休みもあと10日ほどと言う頃。

困った私は、当時定期購読していた学研の雑誌、おそらく「良い子の学習」と言う本だったと思うのですが、その雑誌に載っていたマザー・テレサに関する文章を読んで感想文を書いたのです。

その文章のタイトルが、確か「白いサリーの天使 マザー・テレサ」だったと思います。

 

自分が感想文にどんなことを書いたかは、全く覚えていないのですが、10歳の私は10歳なりに

「すごい人だなぁ」

と思い、感動し、尊敬の念を抱きました。

 

あれから、40年が経ったんだなぁと、今日、思いました。

私はつい最近まで、この映画の存在も知りませんでした。

 

この映画を見ることができて、本当に良かったと思います。

 

だいぶ寒くなって参りましたが、皆様ご自愛ください。

 

 

 

 

 

樋口一葉『たけくらべ』について 感想・解釈のまとめ  「水仙の作り花」

こんにちは。

 

今回は「たけくらべ」感想解釈のまとめです。 

 

水仙」の「作り花」を「格子門」に挿していった理由

 

 

 私は原文を読んだ事で、それまで以上に、水仙の作り花を格子にさしていったのは、信如の意志による行動だったと思う様になりました。

 そして、このラストシーンの時期は、十二月の中旬から下旬なのではないかと、私は推測しています。

 

 

「作り花にした理由」

 

 おそらく信如は、学校からの帰り道で、美登利から可愛らしいお願いをされた時、希望に添える様に綺麗な花の枝を選んで折り、渡してあげられなかった事を、ずっと後悔していたのでしょう。それでを贈りたかったのではないでしょうか。

 

 けれども枯れてしまう生花は、贈りたくなかった。

 鼻緒を自分で直せない、手先が不器用な自分を見られてしまった事も、恥ずかしかった。

 その汚名挽回もしたくて、作り花を手作りする事にしたのではないかと。美しく、丈夫な花を作るよう、努力したのではないかと。もしかすると、第二章で登場した京みやげの刀を、作り花のために使ったかもしれません。

 

 そして本当は、素直に感謝して受け取りたかった、ハンカチ友仙ちりめんの事も、何かの形で償いたかったのではないでしょうか。 

 だから町を離れる前に、美登利に喜んでもらえる様な物を、今度は自分が贈る側になりたいと、決心したのではないでしょうか。

 

 

水仙にした理由」

 

 

 信如は、美登利の美しさだけでなく、明るさ、強さ、素直さ、親切さ、優しさに惹かれたのではないかと、私は思います。自分にはない美点を美登利の中にみたのではないかと、感じました。

 

 水仙の花、茎や葉の凛とした姿と色彩が美登利の印象と名前に重なったのではないでしょうか。

 水仙の花は、冬の始まりから春先までの間に、凛として美しく咲き続ける、清楚な花です。冬の花です。

 

 作り花を格子門に挿していった時期には、もう咲き始めていたかもしれません。

 この花の様に、困難な状況の中でも、誇りと可憐さを失わずに、美登利にも生きて欲しいと願ったのではないでしょうか。

 そして水仙花言葉には「思い出」「記念」などがあるのです。

 

 

「格子門に挿していった理由」

 

 信如にとって、とても大事な場所だったのではないかと 

 だから作り花を、時雨の時と同じ早朝の格子門にさして行ったのではないでしょうか。

 

 私は、信如が近道を口実に格子門の前を通る様になったのは、夏祭りの後、自分たちに腹をたてた美登利が、学校へ来なくなってからかも知れないと思います。

 学校は、信如にとって唯一、美登利の姿を確実に見る事ができる場所だったのかも知れません。

 

 下駄の一大事があるまでは、お使いという大義名分の元、何度か、格子門の前をさりげなく通っていたのでしょう。けれども、この出来事の後からは、信如の性格から考えると、それまでの様に大黒寮前を通る事は出来なくなったのではないだろうか?今は、そのように感じています。

 

 作り花には、手紙も何も、添えられてはいませんでした。添える事が出来なかったのかもしれません。

 けれど、早朝の格子門に挿していく事で、信如は、

 

それが自分から美登利への贈り物だと気付いてもらえるかもしれない、気付いて欲しい

 

 そう、願ったのではないでしょうか。

 

 最終章の最後の数行は、

 

 聞くともなしに伝え聞いた話では、その事があった次の日は、信如がどこかの学校に入り、袖の色を変えた、ちょうどその当日だった…

 

といった記述で締めくくられています。

 

 作り花が早朝の格子門に挿してあった事、

 信如が遠くの学校に行ってしまったのを知った事で、

 美登利は、徐々にかも知れませんが、贈り主が信如であり、それが自分への贈り物だという事に気付いたのだと思います。

 その事に気付いたという事は、美登利は、今まで勘違いしていた様に、信如には憎まれても、蔑まれてもいなかった事、そればかりでなく、気にかけていてもらえていた事に気づけたのではないかと、私は感じています。

 

 

  解釈のまとめ  

 

 吉原という土地・環境で、人気花魁を姉に持ち、自分も同じ道を歩むであろう美登利。僧侶の息子である信如。

 

 そんな環境に生まれ育った二人は、お話の終盤には、お互いに「不本意」「不自由」「過酷」な将来が、十代半ばの身で予測できる立場となりました。二人とも早急に「大人になる」「成長する」事を、周りから要求されているように思います。

 

 その他の少年たち「長吉」「三五郎」、まだ十三歳の「正太郎」でさえ、生まれた家庭、親の都合で、将来の仕事が決められていて、その手伝いや修行を始めています。

 

 現実的な未来がお互いに近づく中で、信如は、

 親切への感謝、傷つけた事への謝罪だけでなく、

 

「励まし」「告白」「普遍性」を込めた贈り物を、したかったのではないかと。

 自分も美登利も、未来に希望を持てる状況では無い事が、信如には分かっていたでしょう。

 それでも

「絶望せずに生きたい」

「生きて欲しい」

と、思ったのではないでしょうか。

 

 

  長々と書いてきましたが、本当は、ただ、次の様な事を伝えたかっただけなのかもしれません。

 

水仙が綺麗な季節になります。元気を取り戻して下さい。」

 

 私は最近まで、この物語の締めくくりは、格子門の水仙のイメージでした。ですが、原文には、短い文章ながら、美登利が作り花を「違い棚」「一輪挿し」に挿して、眺めたという描写がありあます。

 枯れない作り花は、その後も美登利の心の支えになり続けたのかもしれません。

 

 私は、美登利の方は、自分と違い冷静で賢く、心身ともに自分よりも大人びている信如に惹かれたのではないかと思っています。

 

 

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 今から百二十年以上前に、樋口一葉さんが発表した

たけくらべ

という物語について書いてきました。

 

 信如が作り花を残した様に、作者の樋口一葉さんも

 

「自分の頭の中の物語を、作品として書き残したい」

 

という強い情熱と意思を持った作家だったのではないかと、私は改めて思いました。

 

 

 創作物、つまり文学、音楽、美術などは、長く残す事が出来るのではないかと、樋口一葉さんも作家として感じたのではないかと、改めて感じました。

 

 この物語の素晴らしさを、現代の皆様に、少しでも伝える事が出来ましたら幸いです。

 

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参考文献

 

にごりえたけくらべ 』 樋口一葉 著  新潮社

たけくらべ  現代語訳・樋口一葉 』樋口一葉 著 松浦理英子 訳 河出文庫

『図説 吉原事典』 永井義男 著 朝日文庫

広辞苑 第六版』 岩波書店

最終学歴、卒業校は「図書館です」と、答えたくなってしまう時があります。

こんにちは。

 

今日は自分のことを少し書かせていただきます。

 

バブルの時代、私は進学高校を卒業しました。

しかし、親の都合で大学や専門学校に進学できませんでした。

   

就職をしてからも、その他の時間はよく図書館にいました。

たくさんの本を、無料で読むことができる場所だったからです。

 

子供向けの絵本、難しい専門書、古今東西の小説、児童文学に、漫画、CDやレコード…

いろんなものを無料で借りることができましたし、夕方の閉館時間まで、安心して、そこに居ることができました。

図書館は、私の「安らぎの場所」「聖域」

そして何より「学びの場」でした。

 

18歳から40歳前半まで、

絵本から難しい専門書まで、いろんな本を、図書館で読みました。

 

30歳前後に、通信教育で、大学の勉強を始めました。

その勉強は大変困難でしたが、とても良い経験になりました。しかし、

 

その勉強を4年近く続けて、後は卒論ともう少しの単位だけ…

と言う状況になった頃、結婚をすることになりました。

 

その後は、婚家の事情で、大学卒業を諦めざるを得なくなりました。

 

そんな訳で、私の履歴書は「高卒」です。

 

ここ数年は自分が学歴を問われる機会は全くなく、今後もないのではないかと思っていました。

 

最近になって一度だけ、最終学歴を伝えなければならない経験をしました。

 

とても残念でした。

 

勉強は、とても大事だと思います。

 

今の世の中は、30年前とは、随分変わってきたと感じています。

それでも、まだまだ学歴が「就職」「友達づきあい」「恋愛」「結婚」に影響している世の中だと思います。

 

とりとめのない文章で、失礼しました。

 

もう十二月ですね。

 

 

 

 

漫画「ガラスの仮面」の劇中劇「たけくらべ」について  美内すずえ先生の漫画の素晴らしさ

こんにちは。

樋口一葉たけくらべ」の感想・解釈のまとめを書く前に、こちらの作品について、

少し書かせて頂きます。

 

私は、この漫画を読んで、初めて「たけくらべ」のお話を知りました。

ちょうど美登利と同じ14歳の頃でした。

 

ガラスの仮面 (第2巻) (白泉社文庫)

ガラスの仮面 (第2巻) (白泉社文庫)

 

 

 漫画のストーリーとして、主人公のマヤと、ライバルの亜弓さんが、それぞれの劇団で「たけくらべ」の美登利を演じ、コンクールで競う事になります。

 

亜弓さんが美登利の、劇団「オンディーヌ」版「たけくらべ

マヤが美登利の、劇団「月影」版「たけくらべ

 

 まず、原作のあらすじ紹介があり、その後、二つの劇団、役者たちの練習風景、

コンクール本番での、それぞれの劇団の劇中劇のシーンなどなど、

 漫画の中でも「たけくらべ」の内容は、原作に忠実な内容で、とても丁寧に表現されています。

 

 漫画では、舞台劇の演出として、素晴らしいストーリー展開なのですが、原作と違う点が一点だけあると、私個人は感じました。

 それは

 

ラスト・シーンで「水仙」の作り花を作り、贈ったのが

 

漫画では 「美登利の希望・願い」に答える形での行動

原作では 「信如自身の意志」からの行動

 

という点だと、私は感じました。

 

 

私は2年ほど前に、「たけくらべ」原作を読み始め、その違いに、初めて気づきました。

それをきっかけに読み込むうちに、すっかり、この物語の虜になってしまいました。

 

 

余談ですが、

私は「ガラスの仮面」の影響で、原作を読んだ本が他にも、いくつかあります。

 

エミリー・ブロンテの「嵐が丘」や、

シェークスピアの「ロミオとジュリエット」「真夏の夜の夢」などです。

 

美内すずえ先生、

ガラスの仮面」は幾つになっても、私の人生のバイブルです✨

 

 

お付き合い、ありがとうございます。

 

樋口一葉『たけくらべ』について 第十六章の感想・解釈 「冬」 ある霜の朝

 皆様、いかがお過ごしでしょうか?

今日は勤労感謝の日ですね。

 

私は数ヶ月前に樋口一葉さんの伝記を読みました。

それによると、今日は一葉さんの命日なのです。

 

命日という事もあり、今日は「たけくらべ」最終章の感想・解釈をさせて頂きます。

 

 

第十六章

 

 大黒寮を飛び出した正太が筆やの店へ走り込むと、祭の店じまいを済ませた三五郎がいた。動揺している正太を見て、喧嘩か?と息巻く三五郎。

ケンカではない!

と叫んだものの、本当の心配事は言えません。

すると三五郎が、

もう喧嘩はないかもね。信如がもうすぐ遠くの坊さん学校へいくらしいから

と話します。

 しかし正太郎は、その事よりも、先ほどの美登利のそぶりが頭の中で繰り返されて、何時もの歌の癖も出ないほど。

 今日の酉の市は、メチャメチャで、何もかもが訳の分からない事だらけです。

 

 美登利は、酉の市の最終日を境に元気を失います。

 外出は廓の姉のところへは通うくらいで、全く友達と遊ばなくなります。あれ程仲良しだった正太郎とさえも。 

 そのため、火が消えた様に寂しくなった表町。

 正太の可愛い歌声を聞く事も少なくなり、夜に集金に廻る時の弓張りちょうちんを見かけるだけ。 

 

  信如が、修業の場所に旅立つ噂さえも、美登利は、ずっと知りませんでした。

 

 ある霜の朝水仙作り花を、格子門の外から差し入れていった者がありました。

 誰がした事なのか分かりませんでしたが、美登利は訳もなく愛しい思いがして、ちがい棚の一輪ざしに入れて、その姿を愛でていたのですが……

 

 その後、聞くともなしに伝え聞いた話では、その次の日は、信如がどこかの学校に入り、袖の色を変えた、ちょうどその当日だったという事です。

 

 

 

 

 酉の市の頃には、信如は、それまでの予定より早く、遠くの坊さん学校に出発する事が決まった様です。

 早まった理由が、親の希望だったのか、本人の希望だったのかは、説明されていません。

 

 私は想像してみました。ちりめんの事でも美登利を傷つけてしまった信如は、それまで以上に、美登利へ顔向けが出来ない気持ちになった様に思います。その後は、田町への近道も通らなくなったのではないかと。

 

 そうした理由で彼自身、学校にも、住み慣れた土地にも、急速に未練が薄れ、疑問だらけの実家からも離れたい気持ちが強くなったのかも知れません。

 しかし、出発までの何日か、または何週間かの間に、信如も、元気をなくした美登利の噂を耳にしたのかも知れません。信如は、自分自身が傷つけた事も、その原因の一つかも知れないと、思ったのかも知れません。

 

 美登利が自分の立場への自信と希望を失った理由は「遊女」の実状を知ったからでしょう。それが今まで想像していた仕事と全く違っていたのではないかと。

 だから、長吉や信如が自分を貶していた理由が漸くわかり、誇りが恥ずかしさと不安にかわってしまったのではないかと推測します。

 

 

今回は、ここまでに致します。

お付き合い、ありがとうございます。

 

樋口一葉『たけくらべ』について 第十四章・第十五章の感想・解釈 「冬の訪れ」 酉の市

 こんばんは。

連休の二日目ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

私は今日一日、冬支度でバタバタしていました。

当ブログでの「たけくらべ」についても「晩秋」から「冬」へと進んできました。

十一月下旬ごろ、ちょうど今時分のシーンだと思います。

 

 

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第十四章

 

 この年は、酉の市が三日間で、神社は大にぎわい。吉原の人々も、ここが稼ぎ時と活気付いてる様子。

  酉の市の最終日は、家業の休みをもらった正太郎。市の見物をしながら、美登利を探していました。

 団子屋の汁粉屋をのぞくと、材料の飴が品切れになりそうで困り果てていました。

 その場をしのぐ知恵を教えてやると、おまえは商人向きだと褒められ、複雑な心境の正太郎。

 団子屋のトンマに美登利を見たかと尋ねると、

さっき俺の家の前を通った時、髪を島田に結って、とても綺麗だったという。

花魁になるのでは可哀想だという正太郎。

そうなったら、俺はお金を貯めて買いに行くという団子屋のトンマ。

 それを呆れてたしなめる正太郎。

 別れの挨拶をし、人ごみを歩き出した正太郎は、廓の向こうから番頭新造と一緒にやってくる美登利を見つけます。

 

 大島田に結った髪に鼈甲をさし、花簪をひらめかせ、色鮮やかな装いで、京人形の様。

 あっと驚き見ていると、気が付いた美登利が走り寄ります。連れの女性に別れを告げ、逃げる様に正太郎と歩き出す美登利。

 正太郎が美登利の袖を引いて装いを褒め、いつ結ったのと甘えて尋ねても、美登利は元気がありません。

姉さんの部屋で今朝結って貰ったの。私は厭でしょうが無い。

と呟き、人々の視線を恥じるのでした。

 

 

第十五章

 

 その日の美登利には人に言えない事情があり、人々の褒め言葉は、あざけりの言葉に聞こえるだけ。

 島田の髷の美しさに振り返る人たちがあっても、それはただ自分を蔑む目つきに思えてしまう。たまらず、逃げるように自宅へ向かいます。

 

  酉の市へは、一緒に行こうと言っていたのに、美登利が自宅へと急ぐので、怪訝に思う正太郎。

 訳を聞いても、美登利は顔だけ真っ赤にして

何でもない

と言うだけです。

 

 正太郎も後を追って寮に入っていくと、美登利の母親が彼に声をかけます。しかし正太が具合を尋ねても、母親は心配している様には見えません。

  美登利は、いつの間にか小座敷に布団とかい巻きを持ち出して、布団にうつ伏しているばかり。

 正太郎は遠慮がちに具合を訪ねますが、美登利は返事もせず、顔を押さえつけた袖に、忍び泣きの涙。

 

帰っておくれ、正太さん。お願いだから帰っておくれ!

お前がいると、私は死んでしまう。

話しかけられると頭痛がする、口を利くと目が回る。

誰も、誰も、私のところへ来ては嫌だから、お前もどうぞ、帰って!

 

 と、愛想尽かしの言葉。正太には、何故なのか訳も分かりません。売り言葉に買い言葉、キツい言葉でやり返してしまいます。

 

それならば帰るよ。お邪魔さまでございました!

 

 と言い捨て、正太は庭先から駆け出したのでした。

 

 

 

 酉の市を境に、おそらく美登利は、自分の本当の運命を知り、嘘のように、それまでの快活さ、自信を失ったのだと思います。

 何らかの事情で、今まで自信を持てていた事、信じられていた事柄が、一度に失われたのではないかと思います。

 

 この場面では、改めて昔の人々の価値観について、吉原という場所の価値観について、考えさせられました。

 

お付き合い、ありがとうございます。

 

樋口一葉『たけくらべ』について 第十二章・第十三章の感想・解釈 「晩秋」 時雨の朝

こんばんは!

最近、晩秋とは思えない気候ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

今回も「たけくらべ」感想・解釈の続きです。

 

第十二章 「時雨の朝(前編)」

 

 信如が田町へ行く時、近道を口実に通る道があります。

 時雨の朝、母に遣いを頼まれた信如。

 はいはいと素直に、雨傘をさして出かけたのでした。

 信如がその細道を歩いていると、運悪く大黒屋の前で突風が。思わず踏みこらえると、下駄の鼻緒が抜けてしまいました。

 雨の中で直そうと悪戦苦闘するも上手くいかず、気ばかりが焦る。半紙を取り出し、裂いてこよりにするも、意地悪な嵐が立てかけていた傘を転したため、小包も着物の袂まで泥だらけです。

 

 その様に困っている人が、格子門前にいる事に気づいた美登利。針箱の引き出しから、ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭石づたいに駆けつけました。

 けれど信如だとわかった途端、美登利の顔は赤く成り、動揺して立ち尽くすばかり。

 いつもの美登利なら、困っている信如に向かって、憎まれ口を並べ立てたところでしょう。しかしそれができませんでした。

 

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第十三章 「時雨の朝(後編)」

 

 ここが大黒屋の前だと慌てた信如。鼻緒が切れ、困って紙縒をよっているのは、辛く耐えられない心地でした。その上、飛石の足音が聞こえて更に動揺します。

 

  門の内側から、それを見ていた美登利は、信如の不器用さを歯がゆく思うものの、立ち尽くしているだけ。そうとは知らない母親が、遥か屋内から呼ぶ声がします。

 

火のし(炭火を使ったこて)の火がおこりましたぞえ……

 

 大きな声で返事をしたので、信如に聞こえたのが恥ずかしい。迷いながらも思い切って、格子の間からちりめんを投げたのに、信如はそれにも気づかぬふり。

 またかという思いで、深く傷ついた美登利。そこへ、また母親の声がかかったので、未練を残しながらも、飛び石を鳴らして去っていきます。

 

 信如が淋しく振り返ると、紅入り友仙が自分の足の近くに落ちていました。しかし手に取る勇気もなく、空しく眺めるだけ。

 その時、声をかけられて振り返ると、遊郭からの朝帰りらしい長吉がいました。事情を知った長吉は、気前よく自分の新しい履物と信如の下駄を交換してくれます。その後、それぞれの方向へ歩き出す少年二人。

 

 大黒寮の門前には、紅入りの友仙 だけが、雨に濡れたまま残ったのでした。

 

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  第十二、十三章で私が気になった事は、前回の筆屋の場面と同じの中だという点です。二人の悲しい気持ちが、雨でも表現されている様に感じます。

 ですが、前回は秋雨の夜、今回は時雨(しぐれ)の という違いがあります。

 辞書で調べてみました。

 

秋雨】秋の雨。特に9月から10月にかけての長雨にいう。【時雨】通り雨の意。秋の末から冬の初め頃に、降ったり止んだりする雨。

 

 なので、この場面の季節が、おそらく晩秋だという事がわかります。

 

 次の第十四章のはじめに、

 この年は酉の市が三日ある年で、二日目は雨でつぶれたが、前後の二日は天気で神社が賑わった…といった説明がされています。

 

 第十四・十五章は、酉の市の三日目、恐らく十一月下旬の出来事だと思われます。

 そうしますと、時雨の朝の出来事は、

十一月の中旬で、雨で潰れた二日目の酉の市の前あたりだったかもしれないと思います。

 そうだとすれば、雨の早朝にも関わらず、信如の母が遣いを頼んだ理由は

酉の市の二日目に、商売上手な娘に新しい着物を着させたかった 

という事もあったのかもしれないと思いました。

 

 田町への遣いで、昨日も今日も時雨ている中を、近道だからと大黒寮の前を通った信如。

 夏祭りの乱闘以降、学校ですら美登利の姿を見る事が出来なくなった信如にとって、田町へのお遣いは、美登利のいる大黒寮の前を通る、良い口実になっていたのかもしれません。

 

 しかし、その日は、大黒寮前で鼻緒が切れてしまい、時雨の中で着物の袂も泥だらけ。そこに美登利と思われる人がやってくる気配が。

 かっこう悪い姿を美登利に見られてしまいました。春の運動会に続いて二度目です。恥ずかしくてたまらない。

 

 だから、美登利が庭にいた間には、信如は美登利の方を振り向けなかったのではないかと感じました。

 私は、信如が友仙(友禅ちりめん)の存在に気が付いたのは、美登利が去ってしまった後ではないかと思いました。

 

 そのため、長吉が現れたからだけではなく、今更それを拾う事を躊躇ったのではないかと。

 それに、美しい布切れでも、男の子が鼻緒に使うには、派手すぎて恥ずかしかったのかもしれません。

 

 無邪気で親切心の強い美登利としては、鼻緒を切った人が誰であれ、美しい布の方が喜ばれるだろうと思ったのかもしれませんが。

 

 そして、この場面の特徴は、情景の描写と、二人の心の動き、動揺、行動、仕草、美登利が本来なら言いそうなセリフしか描かれておらず、美登利が格子門のところへ来てからは、二人の間に生の言葉のやり取りがないという事です。

 

 もう一つ、個人的に気になったのは「友仙」と打ち込もうとした時「友禅」と出て、友仙 という漢字では、出て来なかった事です。なので私は、仙という字を水仙と打ち直して、文を入力しました。

 そうした文字の使い方も、最終章への伏線になっているのではないかと感じました。

 

 

 このシーンでも改めて分かるのですが、信如も美登利も、お互いに相手から嫌われていると感じています。

 不器用で愛想のない信如は、春の頃から、美登利の親切心や好奇心に、どう受け答えたら良いか分からず、悩んでいました。そして、周囲から揶揄われるのが嫌でした。

 そんな理由からの言動や、夏祭り、夜の筆や、今朝の態度で、更に嫌われたと感じたでしょう。

 けれども、嫌っている自分に対してでも、困っているところを助けようとしてくれた美登利の優しさに、改めて感動したのかもしれません。

 

 一方の美登利は、春の頃からの素っ気ない態度と、長吉の言動を通し、信如が表町組で、女郎の妹である自分を嫌っていると思っています。

 しかし酉の市までは「女郎」の実状を知らなかったため、信如や長吉に軽蔑されるのは心外だと信じていました。自分の立場に誇りを持っていました。

 だから、信如がちりめんを拾ってくれなかった様に見えた事も、とてもショックだったのだろうと思います。

 

お付き合い、ありがとうございます。