今日も、映画の紹介を致します。1980年作品の「普通の人々」です。
原題は「Ordinary People」です。
私がこのブログで紹介していく映画は、これからも、70・80・90年代のものが多くなると思います。ですが、私は、個人的にですが、
「何年たっても色褪せない傑作」「現代にも通じる傑作」だと思うものを、出来るだけ紹介していきたいと思っています。
監督 ロバート・レッドフォード
父親 ドナルド・サザーランド
母親 メリー・タイラー・ムーア
精神科医 ジャド・ハーシュ
私は、この映画を初めて観たとき、何歳だったか忘れましたが、何となく「他人事じゃない」気がしていました。
母親像は、外見的には私の実母とは懸け離れたイメージですし、私は息子じゃなく「娘」でしたが、漠然と、自分は母にとって『普通でない子供』『理解できない存在』『悩みの種=愛せない存在』という罪悪感に苛まれていました。
この映画の母親と、私の母親の一つの共通点は、実際の心の中は不満だらけなのに、体裁的に、「うちの家族は、いたって普通で、平凡ですが、満ち足りた平和な家族です」と、アピールしようとしていた…感じのところと「自分が実の子供に、キツイ言葉を言わずにはいられないのは、子供の性格が、自分と違い普通じゃないからだ」と思っているところ?かなあと、今は思います。
父親は、そんな母と息子の間で、良い社会人、良い夫、良い父であろうと努力するのですが、うまくいかず、途方に暮れ、やはり苦しみ、「やはり、何かがおかしいのではないか、このままではいけないのではないか」と、思うようになるのです。
テーマ曲の「パッヘルベルのカノン」が、切なくも「魂と人生の再生」であるドラマ全体を癒してくれます。
悩みましたが、淀川長治氏の映画解説をアップ致します。
私はこの解説を初めて観ました。そして、淀川さんの最後のコメントに、少なからずショックを受けました。なぜなら、ラストの方で、息子(ティモシー・ハットン)は自分の方から母親に歩み寄ろうと行動を起こしていましたし、母親の無意識な言動に傷ついている思春期の子供が、自分からその母親に歩み寄るという事は、母親よりも、十代の息子の方が、精神的に、随分と大人にならなくてはならない…という事だと感じるからです。
おそらく、どのような母親でも「母親は子供にとって神のような存在」そういう価値観が、今以上に色こい時代だったのだろうとは思います。
ですが私には、自分の「存在価値」を見失ってしまった子供が、母親の理解の得られない中で、自分の力で「自己肯定感」と「自分の人生」を取り戻していく事は、とても骨の折れる事だと思えてならないのです。