こんにちは。
今回は「たけくらべ」要約(?)の続きです。
今回は
物語の クライマックス です。
12 時雨の朝 格子門 ごし (前編)
信如が田町へ行く時、近道を口実に、いつも通る道にちょっとした格子門があるが、
そこは(美登利の住む)大黒屋の寮の門前である。(この建物と門、通り過ぎる若者、中の少女を、「源氏物語」の一説に例えて・・?いる様なのですが、私は「源氏物語」を漫画で昔読んだだけなのですm(_ _)m)
時雨れていたが、学校前に、母親から(田町の)姉への使いを頼まれた信如は、はいはいと(大人しく)小包を抱え、鼠小倉の緒をすげた朴木歯(ほおのきば)の下駄を(現代語訳)はき、雨傘をさして出かけたのでした。
信如がいつも行くことにしている細道を歩いていると、
運わるう大黒やの前まで来し時、さっと吹く風大黒傘の上を(原文より)
つかんで、宙へ飛ばされるかと疑うほど吹き付けられたのです。
思わず足に力を込めて踏みこらえると、下駄の鼻緒が抜け、
傘よりもこれこそ一の大事に成りぬ。(原文より)
困って舌打ちするも、仕方がなく、大黒屋の門に傘を寄せ掛け、
雨の中で自力でこれを直そうと悪戦苦闘するも全くうまくいかない信如。
早くなんとかしなければと、気ばかりが焦る。半紙を取り出し、裂いてこよりにするも、意地悪な嵐が今度は立てかけていた傘を転したため、小包も着物の袂まで泥だらけです。
その様に困り果てた人が、格子門前にいる事に、障子の中ながら硝子ごしに遠く眺めて(原文より)、気づいた美登利。
あれ誰か鼻緒を切った人がある、母(かか)さん切れを遣つても宣う御座んすかと尋ねて、針箱の引き出しから友仙ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭下駄はくも鈍かしきやうに、(原文より)
外に飛び出し、洋傘(かうもり)もささずに庭石づたいに駆けつけるも、
信如だとわかった途端、美登利の顔は赤く成り、一大事にでもあった様に(?)胸の動悸、動揺を誰かに見られはしまいかと、恐る恐る門の傍へ寄れば、(原文より)
信如もふつと振り返りて、これも無言に脇を流るる冷汗、跣足(はだし)に成りて逃げ出したき思ひなり。(原文より)
いつもの美登利なら
困り果てている信如に向かって、からかい、悪(にく)まれ口の言いたい放題。祭りの夜についての文句、謝罪を要求し、
私には父さんもあり母さんもあり、大黒屋の旦那も姉さんもある、お前のやうな腥(なまぐさ)のお世話には能うならぬほどに(原文より)…
言いたいことがあるなら(陰でこそこそ言わずに)直接私に言いなさいよ!さあどうなのよ!・・などと捲したてるところでしょう。
それでこそ信如も太刀打ちしづらいだろうに、ものも言わず格子の陰に隠れて、かといって立ち去るでもなくただうじうじと胸をとどろかせているこの様子はいつもの美登利の様ではなかった。(原文より)
ここで12章終了です。
正直言いまして、このあたりは、要約は必要なかった様な気がします。
原文でも分かりやすいところで、省ける箇所がほとんどない様に感じました。
一文一文が、重要で、繊細で、美しい文章だと思いました。
あえて、私が個人的に書かせて頂きたい事は、
この場面も前回の筆屋の場面と同じ
雨の中
なのです。はい、今回も雨がとても重要だと思います。
ですが、前回は夜、
今回は朝
という違いがあります。
そして、この章は、
情景の描写と、二人の心の動き、動揺、行動、仕草、
美登利が本来なら言いそうなセリフ
しか描かれておらず、
美登利が格子門のところへ来てからは、二人の間に
生の言葉のやり取りがない
という事です。
あともう一つ、個人的に気になったのは「友仙ちりめん」と打ち込むとき
「友禅」と出て、
友仙 という漢字では、出てこなかったので、
私は仙という字を「水仙」と打ち直して、文章を入力しました。
そうした言葉の使い方も、最終章への伏線になっているのではないかと感じました。
改めて、こちらの美内すずえ先生の「ガラスの仮面」劇中劇の「たけくらべ」の描写が優れているかを実感しました。
今回のBGMは、もうこちらしかない!!!と思いました。
前回記事に載せました、こちらの曲の歌詞も、とてつもなく深かったので、ぺたり。
原曲の英語歌詞は、シンプルで分かりやすいところが好きです✨
ユーミン様の日本語歌詞は・・ものすごく深いです。文学です。芸術です✨
そして、樋口一葉文学も
ものすごく 深い です。 芸術 です。
私は、
の様に感じています。
参考文献はこちら
今回は、ここまでにいたしとうございます。