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「たけくらべ 」の続きを失礼します。
たけくらべ 第六章
めづらしい事(もあるものだ)。この炎天下に、雪が降りはしないだろうか?
美登利が学校を嫌がるとは、よくよく不機嫌(なのだろう)。
朝食がすすまないなら、後で鮨でも(出前を?)頼もうか?
風邪にしては熱もないし、おおかた昨日の疲れなのだろう。
太郎様(太郎稲荷神社)への朝まいりは、母(かか)さんが代理してあげるから、
(神様には)勘弁して頂きなさいよ。
と、母が言ったのだが、
いえいえ、姉さんが繁盛する様にと、私が願掛けを始めたのだから、(自分で)お参りしなければ気が済みません。お賽銭を下さい。行ってきます。
と、家を駆け出して、田んぼの中のお稲荷様のところで鰐口を鳴らして手を合わせた。
(いったい)お願いは何だったのか?
行きも帰りも、首をうなだれて、田んぼのあぜ道づたいに帰ってくる姿を、それ(美登利)と気づいて(正太郎は)遠くから声をかけた。
正太は駆けよって、(美登利の)たもとを押さえて、
美登利さん、昨夜はごめんよ。
と、出し抜けに謝ると、
何も、お前に謝られる事はないよ。
それでも俺が憎まれて(いるのだし)、俺がケンカの相手だもの。
お祖母さんが呼びにさえ来なければ、帰りはしなかったし、そんなにむやみに三五郎を打たせはしなかったのに。
今朝、三五郎のところへ見に行ったら、アイツも泣いて悔しがっていた。俺は、聞いているだけでも悔しかった。
お前の顔へ、(あの)長吉め!草履を投げたと言うじゃないか!
あの野郎、乱暴にもほどがある。だけど美登利さん、堪忍しておくれよ。
俺は、知りながら逃げていたのではないんだ。飯をかっ込んで、表へ出ようとすると、お祖母さんがお風呂に行くと言ったので、留守番をしているうちの騒ぎだろ?
本当に知らなかったんだよ。
と、自分の罪の様に、平謝りに謝罪して、痛みはしないかと(美登利の)額際を見上げれば、
美登利はにっこり笑って(言った。)
何、ケガをするほどでは無いよ。
だけど正さん、誰が聞いても、私が長吉に草履を投げられたと言ってはいけないよ。
もし、万一に、おっかさんが聞きでもすると、私が叱られるから。
親でさえも、頭に手はあげないものを、長吉なんかの草履の泥を額に塗られては、踏まれたも同じだからね。
と言って、背ける表情が、いとおしい。
本当に堪忍しておくれ、みんな俺が悪い。だから謝る。機嫌を直してくれないか?
お前に怒られると俺が困るんだよ。
と、話している間に、いつしか(正太の)家の裏近くに来たので、
(うちに)寄っていかないか?美登利さん。誰も居やしないよ。
お祖母さんも日がけをを集めに出ているだろうし、俺一人で寂しくてならないよ。
いつか話した錦絵を見せるから、お寄りなよ。色々のものがあるからさ。
と、袖を捉えて離れないので、美登利は無言でうなづいて、侘しい折戸の庭口より入ると、広くは無いけれども鉢植えが綺麗に並んでおり、軒には釣り荵が。これは正太の、午(うま)の日(稲荷神社の縁日の日)の買い物だと見える。
事情を知らない人は、小首をかしげる(意外に思う)だろうが、町内一の財産家なのに、家の中は祖母と孫の正太の二人きり。
(腰に巻いている?)たくさんの鍵で下腹が冷えているのに、留守の時は、周りが全て長屋なので、さすがに(玄関の?)錠前を壊す者もいなかった。
正太は先に家に上がって、風通しの良い場所を見つけて、(美登利に)
ここへ来ないか?
と言いながら、うちわも用意する気の使いよう。十三歳の子供にしては、ませ過ぎていておかしい。古くから家で受け継がれている錦絵の数々を取り出して、(美登利に)褒められる事を喜ぶ正太。
美登利さん、昔の羽子板を見せてあげる。
これは俺の母さんが、お屋敷に奉公している頃に、頂いたのだとさ。
おかしいだろう?この大きい事!人の顔も、今のとは違うね。
ああ、この母さんが生きていたら良いのだけれど。俺が三つの歳に死んで、お父さんは、いるのだけれど、田舎の実家へ帰ってしまったから、今はお祖母さんだけさ。
お前は(家族がいて)羨ましいね。
と、何とはなく親の事を言い出す正太。
それ、(泣いたら)絵が濡れるよ。
男が泣くものでは無いよ。
と、美登利に言われて、
俺は気が弱いのかなあ?
時々、色々の事を思い出すよ。
まだ今時分は、いいんだけれど、冬の月夜なんかに田町のあたりを集め(集金)に回っている時、土手まで来て幾度も泣いた事がある。
なに寒いくらいじゃ、泣やしないよ。なぜだか自分でも分からないけど、いろんな事を考えるよ。ああ(そうさ)一昨年から、俺も日がけの集め(集金)に回っているさ。
お祖母さんは年寄りだから、そのうちにも夜は危ないし、目が悪いから印鑑を押したり、何かと不自由だからね。
今まで、何人も(大人の)男を雇ったけれど、(うちが)老人と子供(だけの家庭)だから、馬鹿にして、みんな思うようには働いてくれないのだと、お祖母さんが言っていたっけ。
俺がもう少し大人になったら質屋を出させて、昔の通りでなくても田中屋の看板をかけるといって、楽しみにしているよ。
よその人たちは、お祖母さんをケチだと言うけれど、俺のために倹約してくれているのだから、気の毒でならないよ。
集金に行く家でも、通新町や何かに、随分と可愛そうな人達がいるから、さぞ、お祖母さんを(陰で)悪く言っているだろう。
それを考えると、俺は涙がこぼれる。
やっぱり気が弱いんだね。
今朝も山公(三五郎)の家へ(お金を)取りに行ったら、アイツったら、体が痛いくせに、親父に知らせるまいとして働いていた。
それを見たら、俺は口がきけなかったんだ。
男が泣くって言うのは、おかしい(みっともない)じゃ無いか
だから横町の不良達(長吉グループ)に馬鹿にされるのだ・・と、言いかけて、自分の弱々しいのを恥じるような顔色と、何気なく美登利と見合す目つきのかわゆさ。
お前の祭りの姿は、とても良く似合っていて(私は)羨ましかった。
私も男だったら、あんな格好がしてみたい。他の誰よりも(カッコ)良く見えたよ。
と、美登利に褒められた正太。
何だ俺(の事)なんて。お前こそ美しいや。
廓中の大巻さんよりも綺麗だと、みんなが言っているよ。
お前が姉だったら、俺はどんなに誇らしいだろう。
どこへ行くにもついて行って、大威張りに威張るんだけどなあ。
一人も兄弟がいないから、仕方がないね。
ねえ美登利さん、今度一緒に写真を撮らないか?
俺は祭りの時の格好で、お前は透綾のあら縞(の着物?)で粋な姿をして、水道尻の加藤(写真館)で写そうよ。
龍華寺のヤツが羨ましがるようにさ。
本当だぜ、アイツはきっと怒るよ。真っ青になって怒るよ。
(大人しそうに見えて実は?)癇癪持ちだからね。
赤くはならない(だろうな)。それとも笑うかなあ?
(アイツに)笑われても構わないさ。
大きく撮ってもらって、(店の)看板に出たらいいな。
お前は嫌かい?嫌そうな顔だもの。
と、恨むような(正太の)様子も可愛らしい。
変な顔に写ると、お前に嫌われるから。
と言って美登利が吹き出した。(その)高く美しい笑い声(の響き)で、(美登利の)機嫌が直った事がわかる。
朝の涼しさはいつしか過ぎて、日ざしが暑くなってきたので、
正太さん、また晩にね、私の寮へも遊びに来なさいよ。
とうろう流して、お魚を追いましょ。
池の橋が直ったから、怖い事は無いよ。
と、言い置き、立ち去る美登利の姿を、正太は嬉しそうに見送って、
(やはり)美しいと思ったのだった。
第六章 ここで終了です。
この章は、祭りの翌日の朝から昼ごろまでの、美登利と正太の様子と会話です。
「姉の商売繁盛」の、本当の意味を知ら無いまま、毎日の日課としてお稲荷さんに願掛けに行っており、その朝の様に、機嫌が悪い日でも神社に出かけた美登利の素直さ、幼さと哀れさ。
神社からの帰り道での、二人のやりとり。
正太郎の家に上がって、錦絵を見ながら始まった、正太郎の身の上の内訳話。
姉の様に正太を慰める美登利。
本来の幼さを覗かせて、恥ずかしがったり、悔しがったり、美登利に慰められて、はしゃいで喜ぶ正太郎。
二人の可愛らしさが際立つ章なのですが、個人的にこの章の一番の読みどころは、
正太郎の かわゆさ
だと思います。
作者の樋口一葉さんも「かわゆさ」と、書いています。
そして、ラストの正太郎のセリフを読んでいると、
正太郎が信如を、横町グループとしてだけでなく、
恋敵
だと理解している事が読み取れると思います。
繊細でおませさん男子の勘の鋭さもすごいな、と、一読者として感じました。
それに対する、美登利の冷静かつ遠回しの断りの言葉に、幼馴染の正太への気持ちと、信如への気持ちが、全く違うものだと言うことも、感じられます。
参考文献はこちらです。
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