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樋口一葉「たけくらべ 」について  〜 私なりの現代語訳 第八章 〜

※4月9日午後に記事を一部変更、追記しました。

 

こんにちは!

今日から再び、学校が休校になりました。

日々、慎重に、丁寧に暮らしたいです。

 

たけくらべ 第八章  (吉原の情景・その場所における美登利の立場)

 

 

 「走れ!飛ばせ!」

の、夕方(の勢い)に比べて、明け方の(ご贔屓の遊女との)別れの(一夜の)夢を乗せて走る(人力)車の寂しさといったら。

 帽子を深くかぶり、人目を避ける男もいる。手ぬぐいを頬かぶりしている男は、女が別れぎわにくれた(なごりの)ひと打ちの痛さが身に染みていて、思い出す度に嬉しいのか、ニタニタの笑い顔の者もあり、うす気味の悪い事。

 

 坂本(通り)まで出たら、用心しなされ。千住帰りの青物(果物?)車に、お足元が危ない。三島様の角までは(まるで)気違い街道だ。

 お顔の締まりが、どちら様も緩んでいて、はばかりながら(恐れ多いことかもしれませんが)、お鼻の下を長々と伸ばしておいでだと、他では立派な紳士で通っていても、本来の値打ちが(評判?)が台無しだ・・などと道角に立って、陰口を言う者もいた。

 

 楊家の娘(楊貴妃)が君(唐の玄宗皇帝)寵を受けて・・と「長恨歌」を引き出すまでもなく、娘という存在は何処(いづこ)でも貴重がられる、この頃だけれど、この辺の裏家から「かぐや姫」が生まれる例は多い事。

 築地の、ある置屋に今は移って、御前様たちのお相手をし、踊りの上手な雪という美女がいた。

「ただいまのお座敷でお米のなります木は・・」

などと、とてもあどけないことを言っていても、元はここの町内の仲間内で花カルタの内職をしていた者である。評判は一時は高くても、すぐに去るもの。うかうかしている間に、名物の花(売れっ子の女性)が一つ姿を消して、二度目の花は、紺屋の末娘(という次第)。今、千束町に新しく建った置屋の御神燈(売れっ子?)をほのめかす、小吉(こきち)と呼ばれる公園の貴重な娘(?)も、生まれ育ちは、同じここの土地の者・・

と、噂の絶えない中でも、(このあたりで)出世と言えば女に限った事で、男は「塵塚探す黒斑の尾」といって、ゴミの山を漁る野良犬の様に、居ても役に立たない者とみなされている。

 

 この界隈で「若い衆」と呼ばれる青少年たちは、生意気ざかりの十七、八歳からのグループ、五人から七人組(で行動している)。腰に尺八をつけるような、粋な派手さはないけれど、なにやら、厳しい(怖い?)名前の親分の手下になり、揃いの手ぬぐいと長ちょうちんを持ち、サイコロを振ることを覚えない間は(格好が悪くて)、冷やかしに置屋の格子先で、思い切っての冗談も言いづらいと見える。

 

 真面目に勤めている家業は昼間の間ばかりで、仕事を終えて、一風呂浴びて日が暮れれば、下駄をつっかけ、七五三(夜遊びスタイル?)の(丈の)着物で繰り出し、

「どこそこの店の新しい娘を見たか?金杉の糸屋の娘に似ていて、ちょっと鼻が低い・・」などと、頭の中をそんなことでいっぱいにして、店の一軒ごとの格子にタバコの無理とり、鼻紙(ちり紙)のおねだり。

 (そうしたやり取りの中での男女間の)打ちつ、打たれつを、人生の名誉だと心得ているので、堅気(かたぎ)の家業の相続息子が、地元のヤクザに改名して、大門のそばで喧嘩を買いに出た(などという)事もある。

 

「見てくれ、(売れっ子の)女子のような勢いだろう」

と、言わんばかり。春秋(季節の移り変わり)を知らない五町丁の賑わい。見送りのちょうちんは、今は流行らないが、茶屋が廻す女の雪駄の音に響く歌舞音曲。

 浮かれ浮かれて、やって来る人達に「何がお目当て?」と尋ねてみると、

「赤襟、赭熊(髪型)に、打ち掛けの裾が長く、にっと笑う口元目もと(とかさ)。どこが良い(美しい)のかは、言いにくいけれど、花魁たちとは、ここでは敬うもの。離れていては、お知り合いになれない(からね)。」

 

 この様な環境の中で、朝夕を過ごせば、白い衣が紅色に染まるのも無理はない。

 美登利の眼には、男というものが、さして怖くも恐ろしくも映らず、女郎という者を、それほど卑しいお務めとも思っていないので、昔、故郷を出発する姉を泣いて見送った事が(今は)夢の様に思えている。

 

 (姉が)今日この頃の全盛(人気ぶり)で、両親に親孝行できている事を羨ましいと(さえ)思う。売れっ子で居続ける姉の身の、(本当の)苦しみの数も知らないので、(遊女たちの)まち人(お客)を呼ぶための鼠泣きや格子の呪文、別れぎわの(お客の)背中を叩く手加減の秘密までも、ただ、面白く耳に聞いて、廓言葉を町で使うことも、それほど恥ずかしく思えないのも、哀れ(かわいそう)である。

 

 (美登利は)歳はようやく数えの十四歳。人形抱いて頬ずりする心は、華族のお姫様とも変わらないけれど、修身の学問、家政学のいくらかでも学んだのは、ただ学校でだけ。誠に、明けても暮れても耳に入ってくる事といえば、好いた好かないの客の噂話。お仕着せ積み夜具、茶屋への行き渡り、派手な事は魅力的に、そうでないものは見すぼらしく見えて、他人の事と自分の事の分別がつくにはまだ早い(年頃)。(美登利の)少女心には、目の前の花にばかり目が行くし、持ち前の負けず嫌いの性格が勝手に暴走して、雲のような形(夢の世界)をこしらえている(ようだ)。

 

  気違い街道。寝ぼれ(寝坊?)道。朝帰りの殿方がお帰りになり、一仕事が済んで、朝寝坊(していた?)の町人達も、門に箒の後が波模様を描いて、打ち水がほどよく済んだ表町の通りを見渡すと・・

 来るは来るは、万年町、山伏町、新谷町辺りを寝床にしている、一能一術があるので、芸人と呼ばれる者たち。飴屋、軽業師、人形使い大神楽、住吉踊り、角兵衛獅子など。思い思いの扮装で、ちりめんすきやの洒落者もいれば、薩摩かすり洗い着に、黒繻子の幅の狭い帯などなど。

 いい女もいれば男もいる。五人、七人、十人ひと組の、大所帯もあれば、ひとり寂しく痩せた老人が、破れた三味線を抱えて歩いている事もある。(そうかと思えば)五、六歳の女の子に赤たすきをさせて、紀の国を踊らせているのも見る。

 

 (そうした芸人達の)お得意様は、廓内に居続けている客と(慰みのため)、女郎(憂さ晴らしのため)である。あの場所(廓内)に入る芸人達は、生涯やめられない程その場所で儲けている(?)と知られていて、来る者来る者、このあたりの町角での、少ない儲けは気にも留めない。着物の裾が海草のように破れた、いかがわしい乞食でさえ、町角には立たないで行き過ぎるものである。

  

 ある日、器量の良い女太夫が、笠をとって品のある頬を見せながら、のど自慢、腕自慢をしながら通り過ぎた。

  「あれあれ、あの美声を、この町(の自分たち)には聞かせないのが憎らしい」

と、筆やの女房が舌打ちをして言うと、店先に腰をかけて往来を眺めていた、風呂帰りの美登利。はらりと落ちる前髪を黄楊(つげ)の鬢櫛(びんぐし)にちゃっとかきあげて、

  「おばさん、あの太夫さんを呼んできましょう。」

と言って、ぱたぱたと駆け寄って女太夫のたもとにすがり、そこ(たもとの中)に(何かを)投げ入れた。(その一品が何だったのか)誰にも笑って言わなかったが、好みの明烏(あけがらす)をさらりと歌わせて、

 「 またご贔屓に」

と、愛嬌あるお礼の言葉(を言わせたのだが)、これはたやすく買えるものではない。あれが子供の仕業か?と、寄り集まっていた人たちが舌を巻いて、太夫よりも美登利の顔を眺めたのだった。(そんな大人達の反応に得意になった美登利は)

「粋な事だ(と思う)から、通り過ぎる芸人たちを皆、町内にせき止めて、三味線の音、笛の音、太鼓の音、歌わせて踊らせて、(そんな)人がしない事をしてみたい。」

  と、その時に美登利が正太にささやいて聞かせると、正太は呆れて、

  「俺らは嫌だな。」 

 

 

以上で八章、終了です。

 

 まず、吉原に夕方駆けつけて、翌朝早くに去っていく男性客達と、それを見て陰で噂している町人達の様子が、皮肉を含めて描写されています。

 

 次に、吉原という土地では、男子より女子の方が貴重がられている事。どのような貧しい家からでも「楊貴妃」や「かぐや姫」が生まれる可能性があると思われていたのでしょうか。と言っても当然ながら、遊女の人気にも浮沈みがある様です。

 

 いずれにしても、人気、出世といえば、この界隈に住む者で対象になるのは「女性」の方だけで、「男性」は、「居ても役に立たない者」と、辛辣に認識されている様です。地元に住む青年達は不良的に格好をつけ、本業稼業はそこそこに、バクチや女遊びにうつつを抜かしているばかりの様子。

 

 そんな土地で暮らしているので、紀州から越してきた少女の美登利も、吉原の常識、生活に染まっていった様です。今はまだ、吉原の遊女達の派手さ、美しさにばかり惹かれて、姉の本当の苦労、吉原の本当の姿も知らず、素直に憧れている美登利。そんな美登利の事を、一葉さんは「哀れである」と表現しています。

 

 (宵っ張り朝寝坊の)吉原の遊郭内を、「稼げる場所」にしている人々は、他にもおり、それは一芸を持った「芸人達」の様です。彼らは昼間の遊郭に入り込み、一稼ぎしている様ですが、郭外の町内では、ろくに稼げないのを知っているので、いつもみんな素通り。

 ある日、いい声の女太夫が通り過ぎるのを筆やの女房が惜しがっていた。そこでさっと駆け寄り、気前よく振る舞ったため、太夫を喜ばせ町民を驚かせた美登利。こんな事なら、もっとたくさん芸人をせき止めて、みんなのしない事をしてみたいなどと打ち明け、しっかり者の正太をドンびかせた(?)様です。

 

 この章でもわかるのは、いかに美登利が、まだ、吉原の実態、自分の身の行く末を、まともに教わってもいなければ、理解もしていないという事です。

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 この章に関する過去記事は、こちらです。

obachantoarts.hatenablog.jp

 

こちらは、アニメ「ガラスの仮面」の桜小路優くんです。

私個人のイメージでは、やはりといいますか、信如のイメージは、ずっと

桜小路くんでした。 

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ですが、原文を読み込んだ今は、信如のイメージは、やはりといいますか、

速水真澄になっています。性格も、行動も。

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ありがとうございます。