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樋口一葉「たけくらべ 」  〜 私なりの現代語訳 第十二章 時雨の朝、格子ごし 〜

今日も、引き続き、こちらについて、失礼します。

 

私は、ちょうど一年ほど前に、ふとした事がきっかけで「たけくらべ 」を読みました。

そして、素晴らしい作品だと思い、にも関わらず、古典なので、原文のままでは現代の人には

解りづらいことも痛感しました。

 

一年前には、要約として記事を特集的に書いたのですが、その後、今年の3月ごろまでをかけて、自分なりに、要約ではない現代語訳を書いてみました。

 

どの様な形で、この文章を発信しようか、悩んでいまいしたが、この様な状況になったので、

ブログという形で発信させて頂く事にしました。

 

たけくらべ  十二章 (時雨の朝、格子ごし)

 

 

 信如がいつも田町へ通う時に、本当は通らなくても事は済むのだけれど、言うなれば近道なので通る土手前に、偶然にも(ある)格子門がある。

 

 (この門を)のぞけば、(京都の)鞍馬の石灯籠に、萩の袖垣の、しおらしく美しい様子なのが見られて、(家の)縁側近くに巻いてあるすだれの様子も、親しみが持てて心惹かれる。

 中ガラスの障子の内側には、今風の按察の後室(源氏物語の登場人物で、若紫の祖母)が、数珠を指先にかけて手を合わせており、(そこに)おかっぱ頭の(少女)の若紫も、不意に現れるのではないかと思われる佇まい。その一構えの建物が、(美登利の住む)大黒寮なのであった。

 

 昨日も今日も時雨(しぐれ)の空なのだが、

 

「田町の姉から頼まれていた長胴着が仕上がったので、親心としては少しでも早く着させてあげたいから、ご苦労だけれど、学校の前の少しの間に、あなたが持っていってくれないかい?

きっと、姉のお花も、待っているだろうから。」

 

との、母親からの言いつけを、特に嫌とも言い切れない、おとなしい真如。ただ、

 

「はいはい。」

 

と、小包を抱えて、ねずみ小倉の鼻緒をすげた、朴の木の下駄を履き、ひたひたと、信如は雨傘をさして出かけたのだった。

 

 お歯黒どぶの角から曲がって、いつも行き慣れた細道を歩いていると、運悪く、大黒やの前まで来た時、さっと吹く風が、大黒傘の上を掴んで、宙に引き上げるかと疑うばかりに、激しく吹いた。

 

「これはいかん。」

 

と、力一杯足を踏ん張った途端、大丈夫だと思っていた下駄の鼻緒がズルズルと抜けてしまい、傘よりも、こちらの方が一番の大事(おおごと)になった。

 信如は困って舌打ちをしたけれども、今更、仕方がないので、大黒やの門に傘を寄せかけて、降る雨を(門の)ひさしの下に避け、鼻緒を直そうとしたが、いつも(そのような事を)し慣れていないお坊さまである。

(これは、どうしたらいいのだろう)気ばかりは焦っても、どうしても上手くは、すげることができないので、悔しく(自分でも)じれて、もどかしい。

(仕方なく)たもとの中から、文章を下書きしておいた大半紙をつかみ出し、急いでそれを割いて、こよりをよっていると、意地悪い嵐が、またもや襲って来て、立て掛けていた傘が、ころころと転がりだした。

 それを

 

「いまいましい奴め!」

 

と、腹立たしげに言いながら、引き止めようと手を伸ばしたら、(今度は)膝に乗せておいた小包が、意気地もなく落ちてしまい、風呂敷は泥まみれ、自分の着物のたもとまで汚してしまったのだった。

 

 

 

 見かけて気の毒といえば、雨の中で傘がなく、道中で(下駄の)鼻緒を踏み切った人ほど気の毒な状況はない。

 美登利は、障子の中からガラス越しに、遠くを眺めて、その様子に気がついた。

 

「あれ、誰か鼻緒を切った人がある。

母(かか)さん、布切れを使ってもようござんすか?」

 

と、たずねて、針箱の引き出しから友仙ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭下駄を履くのも、もどかしい様子で駆け出し、縁側の外のコウモリ傘をさす事もせずに、庭石の上を伝って、急ぎ足でやって来たのだった。

(門前の)その人が信如だとわかった途端に、美登利の顔は赤くなった。一体どの様な一大事にあったのかという様子で、胸の鼓動の早い響きを、人に悟られはしないかと後ろを気にしながらも、恐る恐る門のそばへ寄った。(その時)信如も、ふっと振り返ったが、こちらも無言のまま。脇を冷や汗が流れるのを感じて、(恥ずかしさに)いっそ裸足になって逃げ出したい気持ちになっていた。

 いつもの美登利なら、信如が困っている様子を指差して、

 

「あれあれ、意気地のない人!」

 

と、笑って笑って笑い抜いて、言いたい放題、憎まれ口を叩いた事であろう。

 

「よくも、お祭りの夜には、正太さんをやっつけるといって、私達の遊びの邪魔をさせたわね。そして罪のない三ちゃんを叩かせて、お前は高みで采配を振るっていたのでしょう?

さあ、謝りなさいよ!(さあ)どうでござんすか!

私の事を女郎女郎と、長吉なんぞに言わせるのも、(どうせ)お前の指図でしょう?女郎でも良いでしょ?(何が悪いのよ!)ほんの少しだって、お前さんの世話にはならないわ!

私には父さんも母さんもあり、大黒やの旦那も姉さんもある。

お前の様な生臭坊主のお世話には、絶対にならないのだから、余計な女郎呼ばわりは、やめてもらいましょ!

言いたい事があるなら、陰でクスクス笑わないで、ここでお言いなされ!お相手には、いつでもなって見せまする。さあ、どうでござんす?」

 

 と、たもとを掴んで、まくし立てる勢いのはずである。

 (本当に)そうであったなら、(信如も)反論しづらい状況だっただろうに。

 (それなのに)物も言わずに、格子の影にそっと隠れて、そうかと言って立ち去るでもなく、ただ、もじもじと胸をどきどきさせているのは、いつもの美登利の様ではなかった。

 

 

以上が、第十二章です。

 

一文一文が、重要で、繊細で、美しい文章だと思いました。

 

あえて、私が個人的に書かせて頂きたい事は、

 

この場面も前回の筆屋の場面と同じ

雨の中

なのです。はい、今回もがとても重要だと思います。

ですが、前回は夜、

今回は朝

という違いがあります。

 

そして、この章は、

情景の描写と、二人の心の動き、動揺、行動、仕草、

美登利が本来なら言いそうなセリフ

しか描かれておらず、

美登利が格子門のところへ来てからは、二人の間に

生の言葉のやり取りがない

という事です。

 

あともう一つ、個人的に気になったのは「友仙ちりめん」と打ち込むとき

「友禅」と出て、

友仙 という漢字では、出てこなかったので、

私は仙という字を水仙と打ち直して、文章を入力しました。

そうした言葉の使い方も、最終章への伏線になっているのではないかと感じました。

 

改めて、こちらの美内すずえ先生の「ガラスの仮面」劇中劇の「たけくらべ」の描写が優れているかを実感しました。 

ガラスの仮面 (第2巻) (白泉社文庫)

ガラスの仮面 (第2巻) (白泉社文庫)

 

 

樋口一葉文学 

ものすごく 深い です。 芸術 です。

 

私は、 

樋口一葉さんの文学は 樋口一葉」という一つのジャンル

 

の様に感じています。

 

参考文献はこちらです。

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

 
たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

 

 

ありがとうございます。