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樋口一葉『たけくらべ』について 第十二章・第十三章の感想・解釈 「晩秋」 時雨の朝

こんばんは!

最近、晩秋とは思えない気候ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

今回も「たけくらべ」感想・解釈の続きです。

 

第十二章 「時雨の朝(前編)」

 

 信如が田町へ行く時、近道を口実に通る道があります。

 時雨の朝、母に遣いを頼まれた信如。

 はいはいと素直に、雨傘をさして出かけたのでした。

 信如がその細道を歩いていると、運悪く大黒屋の前で突風が。思わず踏みこらえると、下駄の鼻緒が抜けてしまいました。

 雨の中で直そうと悪戦苦闘するも上手くいかず、気ばかりが焦る。半紙を取り出し、裂いてこよりにするも、意地悪な嵐が立てかけていた傘を転したため、小包も着物の袂まで泥だらけです。

 

 その様に困っている人が、格子門前にいる事に気づいた美登利。針箱の引き出しから、ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭石づたいに駆けつけました。

 けれど信如だとわかった途端、美登利の顔は赤く成り、動揺して立ち尽くすばかり。

 いつもの美登利なら、困っている信如に向かって、憎まれ口を並べ立てたところでしょう。しかしそれができませんでした。

 

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第十三章 「時雨の朝(後編)」

 

 ここが大黒屋の前だと慌てた信如。鼻緒が切れ、困って紙縒をよっているのは、辛く耐えられない心地でした。その上、飛石の足音が聞こえて更に動揺します。

 

  門の内側から、それを見ていた美登利は、信如の不器用さを歯がゆく思うものの、立ち尽くしているだけ。そうとは知らない母親が、遥か屋内から呼ぶ声がします。

 

火のし(炭火を使ったこて)の火がおこりましたぞえ……

 

 大きな声で返事をしたので、信如に聞こえたのが恥ずかしい。迷いながらも思い切って、格子の間からちりめんを投げたのに、信如はそれにも気づかぬふり。

 またかという思いで、深く傷ついた美登利。そこへ、また母親の声がかかったので、未練を残しながらも、飛び石を鳴らして去っていきます。

 

 信如が淋しく振り返ると、紅入り友仙が自分の足の近くに落ちていました。しかし手に取る勇気もなく、空しく眺めるだけ。

 その時、声をかけられて振り返ると、遊郭からの朝帰りらしい長吉がいました。事情を知った長吉は、気前よく自分の新しい履物と信如の下駄を交換してくれます。その後、それぞれの方向へ歩き出す少年二人。

 

 大黒寮の門前には、紅入りの友仙 だけが、雨に濡れたまま残ったのでした。

 

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  第十二、十三章で私が気になった事は、前回の筆屋の場面と同じの中だという点です。二人の悲しい気持ちが、雨でも表現されている様に感じます。

 ですが、前回は秋雨の夜、今回は時雨(しぐれ)の という違いがあります。

 辞書で調べてみました。

 

秋雨】秋の雨。特に9月から10月にかけての長雨にいう。【時雨】通り雨の意。秋の末から冬の初め頃に、降ったり止んだりする雨。

 

 なので、この場面の季節が、おそらく晩秋だという事がわかります。

 

 次の第十四章のはじめに、

 この年は酉の市が三日ある年で、二日目は雨でつぶれたが、前後の二日は天気で神社が賑わった…といった説明がされています。

 

 第十四・十五章は、酉の市の三日目、恐らく十一月下旬の出来事だと思われます。

 そうしますと、時雨の朝の出来事は、

十一月の中旬で、雨で潰れた二日目の酉の市の前あたりだったかもしれないと思います。

 そうだとすれば、雨の早朝にも関わらず、信如の母が遣いを頼んだ理由は

酉の市の二日目に、商売上手な娘に新しい着物を着させたかった 

という事もあったのかもしれないと思いました。

 

 田町への遣いで、昨日も今日も時雨ている中を、近道だからと大黒寮の前を通った信如。

 夏祭りの乱闘以降、学校ですら美登利の姿を見る事が出来なくなった信如にとって、田町へのお遣いは、美登利のいる大黒寮の前を通る、良い口実になっていたのかもしれません。

 

 しかし、その日は、大黒寮前で鼻緒が切れてしまい、時雨の中で着物の袂も泥だらけ。そこに美登利と思われる人がやってくる気配が。

 かっこう悪い姿を美登利に見られてしまいました。春の運動会に続いて二度目です。恥ずかしくてたまらない。

 

 だから、美登利が庭にいた間には、信如は美登利の方を振り向けなかったのではないかと感じました。

 私は、信如が友仙(友禅ちりめん)の存在に気が付いたのは、美登利が去ってしまった後ではないかと思いました。

 

 そのため、長吉が現れたからだけではなく、今更それを拾う事を躊躇ったのではないかと。

 それに、美しい布切れでも、男の子が鼻緒に使うには、派手すぎて恥ずかしかったのかもしれません。

 

 無邪気で親切心の強い美登利としては、鼻緒を切った人が誰であれ、美しい布の方が喜ばれるだろうと思ったのかもしれませんが。

 

 そして、この場面の特徴は、情景の描写と、二人の心の動き、動揺、行動、仕草、美登利が本来なら言いそうなセリフしか描かれておらず、美登利が格子門のところへ来てからは、二人の間に生の言葉のやり取りがないという事です。

 

 もう一つ、個人的に気になったのは「友仙」と打ち込もうとした時「友禅」と出て、友仙 という漢字では、出て来なかった事です。なので私は、仙という字を水仙と打ち直して、文を入力しました。

 そうした文字の使い方も、最終章への伏線になっているのではないかと感じました。

 

 

 このシーンでも改めて分かるのですが、信如も美登利も、お互いに相手から嫌われていると感じています。

 不器用で愛想のない信如は、春の頃から、美登利の親切心や好奇心に、どう受け答えたら良いか分からず、悩んでいました。そして、周囲から揶揄われるのが嫌でした。

 そんな理由からの言動や、夏祭り、夜の筆や、今朝の態度で、更に嫌われたと感じたでしょう。

 けれども、嫌っている自分に対してでも、困っているところを助けようとしてくれた美登利の優しさに、改めて感動したのかもしれません。

 

 一方の美登利は、春の頃からの素っ気ない態度と、長吉の言動を通し、信如が表町組で、女郎の妹である自分を嫌っていると思っています。

 しかし酉の市までは「女郎」の実状を知らなかったため、信如や長吉に軽蔑されるのは心外だと信じていました。自分の立場に誇りを持っていました。

 だから、信如がちりめんを拾ってくれなかった様に見えた事も、とてもショックだったのだろうと思います。

 

お付き合い、ありがとうございます。