※ 3月21日夕方に、一部、追記しました。
こんにちは!
今回も「たけくらべ 」についての続きです。
15 晩秋 打ち沈む美登利
つらく恥ずかしく、気おくれすることが自分の身にあるので人が褒めるのは嘲りに聞こえて、(現代語訳より)
飾り立てられた自分に振り返る人々の目も、軽蔑的にしか感じられない美登利。
正太さん私は自宅(うち)へ帰るよと言ふに、(原文より)
・・何かあったの?姉さんと喧嘩でもしたのか?
などと、正太郎に心配して尋ねられても、
何とも答えられず(?)
顔の赤らむばかり、(原文より)
連れ立って団子屋の前を通り過ぎる時、団子屋の息子から二人一緒なのをからかわれ、
(いっそう)惨めに感じた美登利は泣きそうな顔。
祭(酉の市)は一緒に行く約束だったのに、美登利が自宅の方へ急ぎ帰ろうとするので、約束と違うじゃないかと、正太が尋ねて袖を引っ張って(?)訝しがっても、
美登利顔のみ打赤めて、何でも無い、と言ふ声理由(わけ)あり。(原文より)
美登利が(大黒屋)寮の門を入っていったので、正太はいつもの勝手で、後から続いて縁先から上がり込むと、それを美登利の母親が見るなり、
おお正太さん宜く来て下さった、今朝から美登利の機嫌が悪くて皆あぐねて困ってゐます。遊んでやつて下されと言ふに、(原文より)
正太が加減がどうしたのかと尋ねると、
いいゑ、と母親怪しき笑顔をして少し経てば癒(なほ)りませう、いつでも極りの我がまま様(さん)、さぞお友達とも喧嘩しませうな、真実(ほんに)やり切れぬ嬢さまではあるとて見かへるに、(原文より)
美登利は、いつの間にか布団、かい巻きを部屋に出していて(帯と上着を脱ぎ捨て、そこに潜り込み?)
うつ伏し臥して物をも言はず。(原文より)
正太が心配そうに枕元に来て、どうしたのと声をかけても返事はなく、しのび泣いているので、正太は(幼いながらも)かける言葉がわからず、困るばかり。
自分が何か怒らせたのかと心配する正太に、そうではないですという美登利。
それならどうして・・と、聞かれても、
色々複雑で、誰にも言えない、話し辛いことなので、口では言えなくても頬が赤くなってしまう、ただ次第に心細くなり、
すべて昨日の美登利の身に覚えなかりし思ひをまうけて(原文より)
恥ずかしさ限りなく、
できる事ならずっと此処にこうして籠って、誰にも会わずに一人で暮らせたら・・
何時までも何時までも人形と紙雛(あね)さまとをあひ手にして飯事(ままごと)ばかりしてゐたらばさぞかし嬉しき事ならんを、ゑゑ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、(原文より)
どうして大人にならねばならないのか・・一年も前に戻りたいのに・・
年寄りじみたことを考えて(現代語訳)
宥めようとする正太にも気遣いできず、感情的になり、
帰っておくれ正太さん、後生だから帰つておくれ、お前が居ると私は死んでしまふであらう、(原文より)
・・頭痛がする・・目が回る・・誰もそばに来ないでほしい・・
お前も何卒(どうぞ)帰つてと例に似合わぬ愛想づかし、(原文より)
正太も、突然の美登利の変わり様を理解できず、その言動に戸惑い傷つくばかり。
いつまでもいる様なら絶交だ・・とまで言われたので
それならば帰るよ、お邪魔様で御座いましたとて、(原文より)
風呂場で湯加減を見ている美登利の母には挨拶もせず、ふいと立って正太は庭先から駆け出したのだった。(現代語訳より)
(十五章は此処まで)
色々考えて、非常に意味深な美登利の母親の言動は
原文のまま、黄土色の太文字でかき出させて頂きました。
今回のBGMは、敬愛する高畑監督の「かぐや姫の物語」より「天女の歌」です。
改めて、昔の親子事情、価値観について、考えさせられました。
娘の幸せ、女の幸せ、という事の価値観が、今とは違ったという事なのでしょうか。
明治という時代は、「開国」「文明開化」という激動の中で、もしかすると
文明・学問・物質社会というものが急速に発展し、それに人々が追いつこうともがき苦しむ中、
もしかすると
「心の教育」というものが、優先され難い時代だったのかなと、最近感じます。
現代にも言える事だと、個人的に思うのですが、
「人の情けを育みて(「天女の歌」歌詞より)」とある様に
「心」「知識」「身体」の教育が、平行になされる事が、
「教育」「養育」なのではないかと、感じています。
参考文献はこちらです。
次回は、最終章の予定です。