引き続き、失礼します。
たけくらべ 第十五章 (大人に成るは)
悲しく、恥ずかしく、人に知られたくない事が自分の身にあるので、人々の褒め言葉は(かえって)あざけりの言葉に聞こえるだけ。島田の髷(まげ)の美しさに振り返る人たちがあると、それはかえって、自分を蔑む目つきに思えた。
「正太さん、私はうちへ帰るよ。」
と、いうと、
「なぜ、今日は遊ばないのかい?お前、何か小言を言われたのか?大巻さんと喧嘩でもしたのじゃないか?」
と、正太に子供らしい事を尋ねられたけれど、なんと答えたらよいのか・・(何も言えず)顔が赤らむばかり。
連れ立って、団子屋の前を通り過ぎた時、トンマが店から大声で
「お仲がよろしゅうございます!」
と、大げさにはやし立てたのを聞くと、美登利は(益々)泣き出しそうな顔つきをして、
「正太さん、一緒に来ては嫌だよ。」
と、正太を置き去りにして、一人足を早めたのだった。
お酉様(酉の市)へは、一緒に行こうと言っていたのに、そちらへの道ではなく、自宅の方へと美登利が急ぐので、
「お前、一緒には来てくれないのか?なぜそちらへ帰ってしまう?あんまりだぜ。」
と、正太がいつもの様に甘えてかかると、美登利は振り切る様に、物も言わずに言ってしまう。
何が原因かはわからないけれど、正太が呆れて追いすがり、袖を捕まえては怪しがると、美登利は顔だけ真っ赤にして
「何でもない。」
と、一言。それには何か訳がある様だった。
美登利が(大黒)寮の門をくぐって入っていくと、正太は前から遊びに来慣れていて、さほど遠慮する(必要がある)家でもなかった。なので美登利の後から続いて、縁側からそっと家の中に上がり込むと、美登利の母親が見つけて言った。
「おお正太さん、よく来てくださった。今朝から美登利の機嫌が悪くて、みんな、どうしたらいいかわからず、困っています。遊んでやってくだされ。」
と、言ったので、正太は大人のようにかしこまって、
「(体の)具合が悪いのですか?」
と、真面目に尋ねた。すると
「いいえ。」と、母親は、怪しい笑顔をした。
「少し経てば治りましょう。いつでもこの通りのわがままさん。さぞ、お友達とも喧嘩しましょうな。ほんに扱い切れないお嬢様です。」
と言って振り返った。すると美登利は、いつの間にか小座敷に布団とかい巻きを持ち出して、帯と上着を脱ぎ捨てると、(布団に入り)うつ伏して、ものも言わない。
正太は、恐る恐る枕元へ寄って行き、
「美登利さん、どうしたの、病気なのかい?気分が悪いとか、一体どうしたの?」
と、むやみには近寄らずに、(しゃがみこんだ)膝に手を置いて、心ばかりを悩ませていると、美登利はやはり返事もせずに、(顔を)押さえつけた袖に、忍び泣きの涙。まだ結こまない前髪の先が濡れて見えるのにも、何か事情があるように思えるのだけれど、子供心にも正太は、何も慰めの言葉も出て来ず、ただ、ひたすらに困り果てるばかり。
「何がそんなに腹が立つの?」
と、覗きこみ、途方に暮れながら尋ねると、美登利は目を拭って言った。
「正太さん、私は怒っているのではありません。」
「それなら、どうして?」
と、正太に問われても、憂鬱で情けない事情がいろいろある。これはどうしても話せない、人に知られたくない事なので、誰に打ち明けて話す事もできない。(しかし)言葉はなくても、おのずと頬は赤くなり、特に何とも答えなくても、だんだんと心細い思い。すべては、昨日の美登利の身には覚えがなかった気持ちが宿っていて、事態の恥ずかしさは言い様がない。
(できる事なら、薄暗い部屋の中で、誰にも声をかけられず、自分の顔を眺める者もなく、朝から晩まで一日中、一人気ままに時を過ごす事ができれば・・そうすれば、この様な憂鬱なことがあっても、人目を恥ずかしがる事も無いので、ここまで思いつめる事も無いだろうに。
何時までも何時までも人形とお雛様を相手にして、ままごとばかりしていられたら、どんなかに嬉しいだろうに。
ええ、嫌や嫌や!大人になるのは嫌な事!何故この様に歳をとる?もう一度、七月、十月、一年も前に帰りたい!)
と、年寄りじみた考えをしていて、正太がここにいる事にも気遣うことが出来ず、(正太が)何か言いかけても、それをことごとく蹴散らして言った。
「帰っておくれ、正太さん。お願いだから帰っておくれ!お前がいると、私は死んでしまう。話しかけられると頭痛がする、口を利くと目が回る。誰も、誰も、私のところへ来ては嫌だから、お前もどうぞ、帰って!」
と、何時もに似合わぬ、愛想尽かしの言葉。正太は、何故なのか訳も分からず、(まるで)煙の中にいる様なので、
「(今日の)お前は、どうしてもヘンテコだよ。(いつもなら)そんな事をいうはずはないのに。変な人だね。」
と、これは少しがっかりした思いだったので、落ち着いて言いながらも、目には気弱な涙が浮かんでいた。にも関わらず、今日の美登利は、正太の、そうした様子に気遣う事も出来ない。
「帰っておくれ、帰っておくれ!(これ以上)いつまでもここにいるのならば、もう、お友達でも何でもない。嫌な正太さんだ!」
と、憎らしそうに言われたので、正太は
「それならば帰るよ。お邪魔さまでございました!」
と、言い捨てて、風呂場で湯加減を見ている母親には挨拶もせずに、プイッと立って、正太は庭先から駆け出したのだった。
以上が15章です。
色々考えて、非常に意味深な美登利の母親の言動は
原文のまま、黄土色の太文字でかき出させて頂きました。
改めて、昔の親子事情、価値観について、考えさせられました。
娘の幸せ、女の幸せ、という事の価値観が、今とは違ったという事なのでしょうか。
明治という時代は、「開国」「文明開化」という激動の中で、もしかすると
文明・学問・物質社会というものが急速に発展し、それに人々が追いつこうともがき苦しむ中、
もしかすると
「心の教育」というものが、優先され難い時代だったのかなと、最近感じます。
現代にも言える事だと、個人的に思うのですが、
「人の情けを育みて(「天女の歌」歌詞より)」という歌詞の様に
「心」「知識」「身体」の教育が、平行になされる事が、
「教育」「養育」なのではないかと、感じています。
参考文献は、こちらです。
ありがとうございます。