こんにちは!
もう10月も半ば、秋ですね。
今回も、現代語訳の続きを、失礼します。m(_ _)m
「たけくらべ」 第六章の主役は 正太郎 です。
正太郎が、ひたすらに かわゆい 章なのです。
暑さバテ、秋バテ、お疲れ気味の皆様に、
特に読んで頂けると嬉しいです🌾
正太郎が、大人になっても思い出す、
初恋のお姉さんと二人で過ごした「少年時代」の大切なひと時だったのではないかと、
想像してしまいます。
たけくらべ 第六章 (夏祭り翌日 正太郎と美登利)
「めづらしい事もあるものだ。この炎天下に、雪が降りはしないだろうか?
美登利が学校を嫌がるとは、よくよく不機嫌なのだろう。
朝食がすすまないなら、後で鮨(やすけ)でも出前を頼もうか?
風邪にしては熱もないし、おおかた昨日の疲れなのだろう。
太郎稲荷神社への朝参りは、母さんが代理してあげるから、神様には勘弁して頂きなさいよ。」
と、母が言ったのだが、
「いえいえ、姉さんが繁盛する様にと、私が願掛けを始めたのだから、自分でお参りしなければ気が済みません。お賽銭を下さい。行ってきます」
と、家を駆け出して、田んぼの中のお稲荷様のところで鰐口を鳴らして手を合わせた。いったいお願いは何だったのか?
行きも帰りも、首をうなだれて、田んぼのあぜ道づたいに帰ってくる姿を、美登利と気づいて、正太郎が遠くから声をかけた。
正太は駆けよって、美登利のたもとを押さえて、
「美登利さん、昨夜はごめんよ」
と、出し抜けに謝ると、
「何も、お前に謝られる事はないよ」
「それでも俺が憎まれているのだし、俺が喧嘩の相手だもの。
お祖母さんが呼びにさえ来なければ、帰りはしなかったし、そんなにむやみに三五郎を打たせはしなかったのに。
今朝、三五郎のところへ見に行ったら、アイツも泣いて悔しがっていた。俺は、聞いているだけでも悔しかった。
お前の顔へ、あの長吉め!草履を投げたと言うじゃないか!
あの野郎、乱暴にもほどがある。だけど美登利さん、堪忍しておくれよ。
俺は、知りながら逃げていたのではないんだ。飯をかっ込んで、表へ出ようとすると、お祖母さんがお風呂に行くと言ったんだ。留守番をしているうちの騒ぎだろ?
本当に知らなかったんだよ」
と、自分の罪の様に、平謝りに謝罪して、痛みはしないかと美登利の額際を見上げれば、美登利はにっこり笑って
「何、ケガというほどでは無いよ。
だけど正さん、誰が聞いても、私が長吉に草履を投げられたと言ってはいけないよ。
もし、万一に、おっかさんが聞きでもすると、私が叱られるから。
親でさえも、頭に手はあげないものを、長吉なんかの草履の泥を額に塗られては、踏まれたも同じだからね」
と言って、背ける表情が何ともいとおしい。
「本当に堪忍しておくれ、みんな俺が悪い。だから謝る。機嫌を直してくれないか?お前に怒られると俺が困るんだよ」
と、話している間に、いつしか正太の家の裏近くに来たので、
「うちに寄っていかないか?美登利さん。誰も居やしないよ。
お祖母さんも日がけをを集めに出ているだろうし、俺一人で寂しくてならないよ。
いつか話した錦絵を見せるから、お寄りなよ。色々のものがあるからさ」
と、袖を捉えて離れないので、美登利は無言でうなづいて、侘しい折戸の庭口より入ると、広くは無いけれども鉢植えが綺麗に並んでおり、軒には釣り荵が。これは正太郎の、午の日(注釈一)の買い物だと見える。
事情を知らない人は、小首をかしげて意外に思うだろうが、町内一の財産家なのに、家の中は祖母と孫の正太郎の二人きり。
腰に巻いているたくさんの鍵で下腹が冷えているだろうに、留守の時は、周りが全て長屋なので、さすがに玄関の錠前を壊す者もいなかった。
正太は先に家に上がって、風通しの良い場所を見つけて
「ここへ来ないか?」
と言いながら、うちわも用意する気の使いよう。十三歳の子供にしては、ませ過ぎていておかしい。古くから家で受け継がれている錦絵の数々を取り出して、美登利に褒められる事を喜ぶ正太。
「美登利さん、昔の羽子板を見せてあげる。
これは俺の母さんが、お屋敷に奉公している頃に、頂いたのだとさ。
おかしいだろう?この大きい事!人の顔も、今のとは違うね。
ああ、この母さんが生きていたら良いのだけれど。俺が三つの歳に死んで、お父さんは、いるのだけれど、田舎の実家へ帰ってしまったから、今はお祖母さんだけさ。
お前は家族がいて羨ましいね」
と、何とはなく親の事を言い出す正太郎。
「それ、泣いたら絵が濡れるよ。男が泣くものでは無いよ」
と、美登利に言われて、
「俺は気が弱いのかなあ?
時々、色々の事を思い出すよ。
まだ今時分は、いいんだけれど、冬の月夜なんかに田町のあたりを集金に回っている時、土手まで来て幾度も泣いた事がある。
なに寒いくらいじゃ、泣やしないよ。なぜだか自分でも分からないけど、いろんな事を考えるよ。ああそうさ、一昨年から、俺も日がけの集めに回っているさ。
お祖母さんは年寄りだから、そのうちにも夜は危ないし、目が悪いから印鑑を押したり、何かと不自由だからね。
今まで、何人も大人の男を雇ったけれど、うちが老人と子供だけの家庭だから、馬鹿にして、みんな思うようには働いてくれないのだと、お祖母さんが言っていたっけ。
俺がもう少し大人になったら質屋を出させて、昔の通りでなくても田中屋の看板をかけるといって、楽しみにしているよ」
「よその人たちは、お祖母さんをケチだと言うけれど、俺のために倹約してくれているのだから、気の毒でならないよ。
集金に行く家でも、通新町や何かに、随分と可愛そうな人達がいるから、さぞ、お祖母さんを陰で悪く言っているだろう。
それを考えると、俺は涙がこぼれる。
やっぱり気が弱いんだね。
今朝も三公の家へお金を取りに行ったら、アイツったら、体が痛いくせに、親父に知らせるまいとして働いていた。
それを見たら、俺は口がきけなかったんだ。
男が泣くって言うのは、おかしいじゃ無いか」
だから横町の長吉の奴らに馬鹿にされるのだ……と、言いかけて、自分の弱々しいのを恥じるような顔色と、何気なく美登利と見合す目つきのかわゆさ。
「お前の祭りの姿は、とても良く似合っていて私は羨ましかった。
私も男だったら、あんな格好がしてみたい。他の誰よりも格好良く見えたよ」
と、美登利に褒められた正太郎。
「何だ俺の事なんて。お前こそ美しいや。
廓中の大巻さんよりも綺麗だと、みんなが言っているよ。
お前が姉だったら、俺はどんなに誇らしいだろう。
どこへ行くにもついて行って、大威張りに威張るんだけどなあ。
一人も兄弟がいないから、仕方がないね。
ねえ美登利さん、今度一緒に写真を撮らないか?
俺は祭りの時の格好で、お前は透綾のあら縞の着物で粋な姿をして、水道尻の加藤写真館で写そうよ。
龍華寺のヤツが羨ましがるようにさ。」
「本当だぜ、アイツはきっと怒るよ。真っ青になって怒るよ。
アイツは大人しそうに見えて、実は癇癪持ちだからね。
赤くはならないだろうな。それとも笑うかなあ?
俺は、アイツに笑われても構わないさ。
大きく撮ってもらって、店の看板に出たらいいな。
お前は嫌かい?嫌そうな顔だもの」
と、恨むような正太郎の様子も可愛らしい。
「変な顔に写ると、お前に嫌われるから」
と言って美登利が吹き出した。その高く美しい笑い声の響きで、美登利の機嫌が直った事がわかる。
朝の涼しさはいつしか過ぎて、日ざしが暑くなってきたので、
「正太さん、また晩にね、私の寮へも遊びに来なさいよ。
とうろう流して、お魚を追いましょ。
池の橋が直ったから、怖い事は無いよ」
と、言い置き、立ち去る美登利の姿を、正太は嬉しそうに見送って、やはり美しいと思ったのだった。
注釈一
稲荷神社の縁日の日
参考文献はこちらです。
と言う訳で、第六章の心のBGMは、井上陽水さんの名曲「少年時代」でした。
お付き合い、ありがとうございます。
皆様、季節の変わり目、ご自愛ください。