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今日も前回の続きです。
たけくらべ 第十章 (夏から秋への移り変わり・秋雨の夜)
祭りの夜は、田町の姉の所へ使いを命じられていたので、信如は夜更けまで家に帰らなかった。
(そのため)筆やの騒ぎの事は全く知らず、翌日になってから丑松、文次、その他の仲間の口から、
「かくかくしかじか・・だったんだ。」
と、伝えられたのだった。今更ながら長吉の乱暴ぶりに驚いたのだけれど、済んでしまった事なので、責め立てる意味もなかった。
(信如はただ)自分の名前を使われた事ばかりが、つくづく迷惑に思われて、自分がした事ではないのに、(被害者の)人々(美登利や三五郎たち)への罪を、(自分の身に)一身に背負ったような気持ちである。
長吉も少しは自分の失態を恥じているのか、信如に会えば文句を言われるだろう…と(思ったのか)その後の三、四日は姿も見せなかった。
(そして)やや、ほとぼりの冷めた頃に(信如のところに)やってきた。
「信さん、お前は腹を立てているかもしれないが、時の拍子だったんだ。だから、堪忍しておくれよ。
誰もお前、正太のやつが(あの店に)留守だなんて、分かる訳がないじゃあないか。
何も(本当は)女郎(美登利)の一匹ぐらいを相手にして、三五郎を殴りたかった訳ではなかったのだけれど。万燈を振り回しながら駆け込んで見りゃあ、ただでは帰れなかったんで・・ほんの景気づけのつもりが、つまらない事をしちまった。
そりゃあ、俺がどこまでも悪いさ。お前の忠告を聞かなかったのは悪かっただろうけれど、(お前に)今怒られては形無しだ。
お前と言う後ろ盾があったんで、俺は大船に乗った気持ちだったのに、見捨てられちまっちゃあ困ってしまうじゃないか。
嫌だといっても、この横町組の大将でいてくんねえ。そうドジばかりは踏まないからさ。」
と言って、面目なさそうに謝られてみれば、それでも自分は嫌だとも言いづらい。
「仕方がない、やる処までやるさ。しかし弱い者いじめは、こっちの恥になるから、三五郎や美登利を相手にしても仕方がないよ。
(これからは)正太に取り巻き(味方)がついたら、その時はその時の事だ。決してこっちから手出しをしてはいけないよ。」
と、言い留めて、(信如は)それ以上は長吉を叱りとばさなかったけれど、(心の中では)再び喧嘩のないようにと祈るのだった。
罪のない子は、横町の三五郎である。
存分に叩かれ、蹴られて、その二、三日は、立っても座っても(身体中が)痛くて、夕暮れごとに、父親が空の車(人力車)を五十軒先の茶屋の軒先まで運ぶ時にさえ、(三五郎の父親が)
「三公はどうしたんだ?ひどく弱っているようだな。」
と、顔見知りの台屋(仕出し料理屋)に咎められる程だった。
しかし三五郎の父親は「おじぎの鉄」と言われ、目上の人に頭を上げた事がない男である。廓内の旦那は言うまでもなく、(そして)大家様(長吉の父)地主様(信如の父)どちらにも
「ご無理ごもっとも(な事です)。」
と、受け入れるタチなので、(息子の三五郎が)
「長吉と喧嘩して、これこれの乱暴にあいました。」
と、訴えたところで(そんな父親なので)
「それはどうにも仕方がないよ。大家さんの息子さんじゃあないか。こっちに理由があろうが、先方の方が悪かろうが、喧嘩の相手にする事はできないよ。(お前の方から)謝ってこい。謝ってこい。(全く)困ったやつだ。」
と、自分の息子(三五郎)を叱りつけて、長吉の所へ謝りに行かせるに決まっているので、三五郎は悔しさを噛み殺していた。
(それから)七日、十日と過ぎてくると、(体の)痛いところが癒えるとともに、その恨めしさもいつしか忘れる三五郎。頭(長吉の父親)の家の赤ん坊の子守をして、二銭のお駄賃を(貰えば)素直に喜び、
「ねんねん(ころり)よ、おころりよ。」
と、おんぶして歩いている。
歳は(いくつだと)問えば、生意気ざかりの十六歳にもなりながら、(その一方では)その大きな体で恥ずかしげもなく、(横町組の敵地の)表町へも、ノコノコと出かけてくるので、いつも美登利と正太の、いじられ役になっている。
「お前は性根(プライド?)をどこへ置いてきたのかい?」
と、からかわれながらも、遊びの仲間からは外れた事がないのだった。
春は桜の賑わいから始まり、(夏の)亡き玉菊の灯籠の頃、続いて秋のにわか(初秋の行事で茶番狂言の事)には、十分間に(人力)車が走る数は、この通りだけで七十五りょうと数えても、二の替り(秋のにわか三十日間の後半の事)さえもいつしか過ぎて、赤とんぼが田んぼに飛び交い、内堀にウズラがなく頃も近付いた。
(春の桜、夏の灯篭、秋のにわかが、吉原の三大行事の風物詩だった)
(この頃は)朝夕の秋風が身に染み渡るようになり、店先の蚊取り線香が(当時の)カイロの灰にその座を譲り、石橋の田村やが粉を引くウスの音も寂しくなった。
角海老の時計の響も何となく悲しげな音を伝えるようになれば、四季の一年中絶え間ない、日暮里の火の光も、
「あれが人を焼く煙なのか・・」
と、うら悲しい。
茶屋の裏の土手下の細道に、落ちてくるような三味線の音色を仰いで聴けば、仲之町の芸者が、冴えた腕に
「君がなさけの仮寝の床に・・」
と、何やら歌っている一節の趣も深い。
この時節から(吉原に)通いはじめる(人々は)、浮かれ浮かれた遊び目的の客ではなく、身にしみじみと実(中身)のあるお方である。
遊女上がりの、ある女が言うには、
「そんな事ごと(を書こうとするのは)くどくて煩わしい。(それよりも)大音寺前での最近の出来事といえば、盲目の按摩師で二十ばかりの娘が叶わぬ恋をし、身投げをしたそうだ。」
と言う噂。
「八百屋の吉五郎と、大工の太吉が、さっぱりと姿を見せないが、どうしたのかい?」
と、(誰かが)訊ねると、
「この件であげられました。」
と、顔の真ん中の鼻(花札賭博のこと)を指して答える・・
(そうした事以外は)他には(これといって)うわさ話をする者もいない。大通りを見渡せば、幼い子供達が三、五人、手を繋いで
「ひーらいたーひーらいたー なーんのはーながひーらいたー」
と、無邪気に遊んでいるのも自然と静かな様子で、廓に通う人力車の音だけが、相変わらず勇ましく聞こえるのだった。
秋雨が、しとしと降るかと思えば、サッと音がして運ばれてくる様な寂しい夜の事。
通りすがりの客など待たない店なので、筆やの妻は、日暮れからは店の表の戸を閉めていた。その中に集まっているのは、いつもの様に美登利と正太郎、その他には小さな子供達が二、三人がいて「きしやごおはじき」と言う幼げな事(ゲーム)で遊んでいた。
美登利が、ふっと耳をたてて、
「あれ、誰かが買い物に来たのではないかしら?ドブ板を踏む足音がするよ。」
と言ったので、
「おや、そうか?おいらはちっとも聞かなかった。」
と、正太も「チュウチュウタコカイ(すごろくなどでの、数の数え方)」の手を止めて、誰か仲間が来たのではないかと嬉しがったのだが、門の人は、この店の前まで来た時の足音が聞こえただけで、それからは、ふっと気配が耐えて、音も沙汰もない。
以上が第十章です。
この章は
夏祭り後の横町組の、信如、長吉、三五郎の様子。
夏が過ぎ、秋への季節の移り変わり。その情景。
吉原で持ち上がる、世俗的な噂話の例。
秋雨の夜の出来事のプロローグ。
が描かれています。
同じ吉原内でも、地域による微妙な価値観の違い、上下関係、地域社会の縮図、近所づきあいの難しさなど、色々あったという事なのだろうかと思いました。
この章に関する、過去記事はこちらです。
今日のBGMは、こちらです。
中村紘子 ショパン作曲 プレリュード第15番変ニ長調「雨だれ」
参考文献はこちらです。
ありがとうございます。