度々失礼します。
今回は「たけくらべ」
クライマックス 後半 現代語訳です。
たけくらべ 第十三章 (雨に濡れた紅葉の友仙)
ここは大黒やの前だと思った時から、信如は自然と恐ろしくなって、左右を見ずに、ひたすら歩いていた。しかし、あいにくの雨、あいにくの風。その上、下駄の鼻緒すらも踏み切ってしまい、仕方なく格子門の下で(紙縒)こよりをよっている時の心中といったら、心配な事が色々浮かんできて、どうにも耐えられない思いだった。
そこに飛び石を踏む足音が聞こえて来たことは、(まるで)背中から冷水をかけられたのも同じであった。それが(美登利)その人だとわかれば、ワナワナと震えて顔色も変わるはずである。
後ろ向きになって、それでもまだ鼻緒に集中しているふりをしながら、半分は上の空で、その下駄はいつまでかかっても履ける様にはなりそうにない。
(一方、門内)庭の美登利は、格子越しに、その様子を伺っていた。
(ええ、なんて不器用な・・あんな手つきをして、どうなるものか。紙縒は逆よりだし、わらしべなんかを前つぼにあてがっても長持ちするはずがない。
それそれ、羽織の裾が地面に着いて泥がついているのはご存知か?あれ、傘が転がる!あれを畳んで立てかけておけば良いのに。)
と、一々もどかしく、歯がゆくは思っても、
(ここに切れがござんす。これでおすげなされ。)
と、呼びかける事もできず、こちらも立ち尽くして、降る雨が袖をわびしく濡らしているのを避ける事もせず、そっと格子越しに伺っているばかり。
そうとは知らない母親が、はるか屋内から声をかけてきた。
「火のしの火がおこりましたぞえ。これ、いったい美登利さんは、外で何を遊んでいるのかい?雨が降っているのに、表へ出てのいたずらは、なりませんよ。また、この間のように風邪を引きますよ。」
と、呼びたてられたので、
「はい、今行きます。」
と、大きく返事をした。その声が真如に聞こえたであろうことが恥ずかしく、胸は、ワクワクと高鳴る。そして、どうしても開ける事が出来ずにいる門の横で、それでも見過ごすこともできないこの状況である。いろいろと思案を巡らせたあげく、美登利は格子の間から、手に持っていた布切れを、物を言わずに門の外側へ投げ出したのだった。
(すると)見ない様に見て(気づいているはずなのに)知らぬ顔を信如が作った(様に見えた)ので、
(ええい、いつもの通りの根性悪め!)
と、やるせない思いを瞳に集めて、少し涙の恨み顔になった。
(何が憎くて、私にその様な冷たいそぶりを見せられるの?言いたい事はこちらの方にあるのに。あんまりだわ、本当にひどい人!)
と、怒りと悲しみがこみ上げて来て、心が詰まる。
けれど、母親の呼び声が、しばしばかかるのも辛くなり、仕方なく一足、二足踏み出し、それから
(ええい、何よ未練がましい!こんな自分の想いが恥ずかしい!)
と、身を翻し、カタカタと音を立てて飛び石伝いに走り去った。
信如がその時、やっと寂しく振り返ってみると、紅入りの友仙の、雨に濡れて紅葉の美しい模様が、自分の足の近くに落ちていた。
(それを見た信如は)そわそわして心が惹かれたのだが、手に取り上げる事もせずに、(ただ)空しく眺めて、うち萎れていた。
自分の不器用を諦めて、羽織のひもの長いものを外し、結わえつけにクルクルとみっともない間に合わせをして、これならどうかと、踏んで試してみると、歩きにくいと言わざるを得なかった。
この下駄で田町まで行くのかと改めて困ったと思ったのだが、仕方なく立ち上がった信如。
小包を脇に抱え、二歩ばかり門から離れたのだが、友仙の紅葉が目に残って、そのまま捨てて過ぎるのも耐え難く、心残りで見かえった。
(するとその時)
「信さんどうした、鼻緒を切ったのか?そのなりはどうだ!みっともないなあ。」
と、不意に声をかける者があった。
驚いて振り返ると、(そこには)暴れ者の長吉がいた。今、ちょうど廓内からの朝帰りと見えて、浴衣を重ねた唐桟のしゃれた着物に柿色の三尺帯を、いつもの様に腰の先に巻き、黒八丈の立派で新しいはんてんという装いである。
(おまけに)印のついた傘をさしかざして、高下駄の雨よけ革も、今朝下ろしたてだとわかり、漆の色も際立って見えて、いかにも誇らしげである。
「僕は鼻緒を切ってしまって、どうしようかと思っている。本当に困っているんだ。」
と、信如が意気地のないことを言うと、
「そうだろう、お前に鼻緒は直せるまい。そうだ、俺の下駄を履いて行きねえ、この鼻緒は大丈夫だよ。」
と、言ったので
「それでは、お前が困るだろう?」
「何、俺は慣れたもんだ。こうやって、こうする・・」
と、言いながら、慌ただしく着物の裾を七分三分に端折って帯にはさむと
「そんな、その場しのぎよりも、これの方がさっぱりするよ。」
と、下駄を脱ぐので
「お前、裸足になるのか?それでは気の毒だよ。」
と、信如が困り切っていると、
「いいよ、俺は慣れた事だ。信さんなんぞは、足の裏が柔らかいから、裸足で石ころ道は歩けないよ。さあ、これを履いておいで。」
と、一足を揃えて出す親切さである。
人には、疫病神の様に嫌われながらも、毛虫眉毛を動かして、優しいセリフを口にしたのが、おかしい。
「信さんの下駄は、俺が下げていこう。家の台所へ放り込んでおけば、差し支えないだろう?さあ、履き替えてその下駄を出しな。」
と、世話を焼き、鼻緒の切れた下駄を片手に下げた。
「それじゃあ信さん、行っておいで。あとで学校で会おうぜ。」
と、約束し、信如は田町の姉のもとへ、長吉は我が家の方へと別れたのだった。しかし、(美登利と信如の)思いを残した紅入りの友仙は、そのいじらしい姿を、空しく格子門の外に止めたままだった。
以上が第十三章です。
信如は、紅葉の友仙を、さぞかし持って帰りたかったんだろうなと。
でも、長吉の前では、それができなかったのでしょうか。
タイミングが悪かったものの、長吉の信如に対する心遣いも、感動しました。
長吉は、廓帰りで服装もかっこよく決めていた事もあり、機嫌が良かったのかもしれませんが。
美登利の方は、運動会の時、ハンカチを拒否られたことが思い出されたのでしょうか。
今日のBGMは、こちら、米津玄師さんの「Lemon」です。
信如と米津さんて、なんとなく、よくは知らないのですが、個人的にイメージが重なるところがある様に感じます。
という訳で、
信如が美登利と、(まともには)会い損ねる日って・・
結構雨なんだね
と、改めて思いました。
参考文献はこちらです。
ありがとうございます。