芸術は心のごはん🍚

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『ゴンドラの唄』と、父の記憶

こんにちは。

 

今回は、個人的な記憶について少し書きます。

 

 

先日、『太陽の子』と言う映画を見ました。

太平洋戦争についての映画でした。

その映画についてではなく、その映画の挿入歌として聴いた『ゴンドラの唄』ついて、少し書こうと思います。

 

映画では、バイオリンで演奏されていて、それに合わせて登場人物の女性がかなしげに口ずさんでいました。

 

私個人にとっては、『ゴンドラの唄』といえば、鮫島有美子さんと言うイメージがあります。

父が鮫島有美子さんのファンだったからです。

 


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ゴンドラの唄

ゴンドラの唄

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数年前に亡くなった私の父は、非常にクラシック音楽が好きな人でした。

私の音楽好きは、おそらく父の影響かと思われます。

 

そのように共通点があった割には、私が物心ついてから、父が亡くなるまでの約50年の間、私たち親子には、ほとんど会話がありませんでした。

私は、子供の頃から、母によって父に話しかけることを止められていました。 

 

「仕事で疲れているから、休日はお父さんを休ませてあげなければいけない」

 

そう言われていたので、そういう習慣がついたように思います。

 

なので、長い間、私は父の家での存在を、実像ではなく、父が自室のステレオで聴いているレコードの音で確認するような毎日でした。

 

そんな父が、一度だけ私に積極的に話しかけるようになった時期がありました。

それは私が25歳になった頃です。

当時は、20代中盤が女性にとって結婚適齢期とされていた時代でした。

 

当時、私も私なりに、社会人としての生活も、婚活も努力していたつもりなのですが、なかなかうまくいきませんでした。

 

特に25歳の時は、辛い失恋をした後で、落ち込んでいました。

 

そんな時、珍しく、父が私の部屋にやってきて声をかけてきました。

 

父がその時、私に『ゴンドラの唄』の出だしの部分を歌ったのです。

 

前後の会話は忘れてしまいました。

ただ、その後、自分が父に向かって言葉もなく、顔と眉をしかめたことだけを覚えています。

 

「命短し、恋せよ、乙女」

 

父が口ずさんだ、この歌詞が、私には

 

「適齢期すぎるぞ 結婚せよ 娘」

 

と言うニュアンスにしか聞こえなかったのです。

 

父がどこまでも、自分の保身のために、その歌を口にしたのか、

少しは娘の幸せを願ってのことだったのか、

真意を想像するにも、あまりにも会話が少なかったと改めて思います。

 

今回映画を見たことで、戦前戦中、戦後を生きてきて、戦争に思春期を奪われてしまった父たちの時代の人々の価値観について、改めて考えてみました。

 

この曲は、大正時代に生まれた曲だと知りました。

 

昭和1桁生まれの父たちにとっては、幼い頃から親しんできた曲だったのかもしれません。

 

私事の記事で失礼しました。