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樋口一葉「たけくらべ」について 〜 私なりの現代語訳 第四章 〜

引き続き失礼します。

 

たけくらべ  第四章

 

 年中いつも、太鼓や三味線の音色に事欠かない、こうした場所(吉原)でも、祭りは特別な日。秋の酉の市を除いては、一年に一度の賑やかな行事である。

 三島様、小野照様、お隣どうし、負けるものかという競争心が面白い。横町も表町も、揃いは同じの木綿の浴衣に、(それぞれの)町名をくずして入れたのを、去年よりは好ましくないと、つぶやく人もいた。

 

 くちなし染めの麻のたすきは、太いのが好みの、十四、五歳より小さい子供達は、ダルマ、ミミズク、犬のはりこなど、(祭りのお店で買い集めた)様々なオモチャの数を自慢げにして、七つ、九つ、十一も、つけている子供もいる。大小の鈴を背中にガラつかせて、駆け出していく(子供達の)足袋、素足は、勇ましくも微笑ましい。

 

 (その様な子供達の?)群れを離れた田中の正太は、赤スジ入りの印はんてん、色白の首筋に紺の腹がけと、いつもとは見慣れぬいでたち。

しごいて締めた帯の水浅黄も、見てくれよカッコ良いだろ、ちりめんの上染(じょうぞめ)、エリの印も際立っていて、うしろハチマキに山車(だし)の花のひと枝、革の鼻緒の雪駄(底に金具がついた、高価な草履の一種)の音はさせつつ、正太は(他の少年達の)馬鹿ばやしの仲間には入らなかった。

 

 宵宮(よいみや:祭りの前夜の事)は、何事もなく過ぎ、祭り当日の日も暮れてきて、筆やの店に集まった仲間は十二人。一人欠けている美登利の夕化粧の長さに、まだかまだかと、門を出たり入ったりしていた正太。

 

「おい、呼んで来い、三五郎、お前はまだ大黒屋の寮へ行った事がないだろう。庭先から美登利さんと呼べば、聞こえるはずだから、早く早く!」

 

と、正太郎。

 

「それならば俺が呼んでくるよ。万燈(ちょうちん?)はここへあづけていけば、誰もロウソクを盗まないだろう。

正太さん、番を頼むよ。」

 

と三五郎。

 

「ケチなやつめ!そんな事してる間にも早く行けよ!」

 

と、(三五郎は)年下(正太郎)に叱られながらも、

 

「おっときたさの次郎左衛門!」

パッと駆け出した。(その姿を見送った女の子達が)

「韋駄天(いだてん)とはこの事なのか?あれあれ、あの飛び方がおかしいわ。」

といって、笑うのも無理はない。

(三五郎は)横太りで背が低く、頭の形も悪く短い首。顔の作りは、出たおでこ、獅子鼻、反っ歯と言うあだ名通り。色は黒いが、感心なのは、どこまでもひょうきんで愛嬌のある目つき、両方の頬のえくぼ、福笑いのような眉毛も、それはおかしいが、罪の無い子である。

 

 貧しいからなのか(祭りの日にしては)質素な服装で、

俺は揃い(の浴衣)が間に合わなかったんだと、事情を知らない友人には言い訳をしている。

 自分を頭に六人の子供を養う父親は人力車夫で、それなりにお得意さんはいるけれども、やはり貧しい暮らし。

 

 (三五郎も)十三歳になれば片腕になるだろうと期待されていたのだが、怠け者なので十日も辛抱が続かなかった。

 一月と同じ職もなくて、霜月より春までは、突羽根の内職、夏は検査場(公認の遊女達の健康診断所)の氷屋の手伝いをして、面白い呼び声で客を引くのが上手いので、重宝がられた。

 

 去年は、にわかの屋台引きに出たので、友達がいやしがって、「万年町(貧民街の一つ)」と言う呼び名が今も残っているけれど、(近所では)三五郎といえば、おどけ者ひょうきん者で有名で、憎む者がいない事は一つの美徳である。

 

 田中屋(金貸し)は三五郎の一家にとって、命の綱の様な存在である。日歩(ひぶ)といって、金利は安く無い借金(金貸し)だけれども、これがなくては、暮らしていけない。

(だから)正太に

 

「三公(三五郎のこと)、俺の町(表町)へ遊びに来い!」

 

と、呼ばれれば、嫌とは言えない義理がある。

けれども(本来は)横町に生まれ育った身であり、住んでいる地所は龍華時のもので、家主は長吉の親なので、表立ってそちら(横町)に背くことはできない。(今夜の様に)事情があって、こちら(表町組)の用事をして、(横町組に)睨まれる時の役回りは辛い。

 

 正太が、筆やの店へ腰をかけて、(美登利を)待つ間の暇つぶしに、忍ぶ恋路の歌を小声で歌っていると、

 

「あれまあ、油断がないですね(おませさんですね)」

 

(筆やの)お内儀(かみ)さんに笑われたので、(正太は)何となく耳の根っこを赤くし、誤魔化す様に声高に

 

「皆んなも来いよ!」

 

と、呼んで表へ駆け出した出会い頭に、(正太郎の祖母がやって来て)

 

「正太は夕飯をなぜ食べないのか?遊びほうけて、さっきから呼んでいるのも知らないのか?

どなた様も、また、のちほど遊んでやってくださいね。

これは(いつも)お世話様です。」

 

と、筆やの妻にも挨拶しての、祖母の自らのお迎えに、正太も嫌とは言えない。

 そのまま連れて帰られてしまったので、その後、急にその場が寂しくなった。

 

 人数は、そう変わらないのに、あの子(正太郎)がいないと、大人達までもが寂しい様子。

 

 (正太郎は他の少年たちの様に)バカ騒ぎもしないし、冗談も三ちゃん(三五郎)の様(滑稽)ではないけれど、人々から好かれるのは、金持ちの息子さんには珍しく愛嬌があるからだろう。

(それに比べて)何と、ご覧になったか、田中屋の後家さんのいやらしさを。

あれで歳は六十四歳。白粉をつけないでいるのは、まだましだけど、丸髷(まるまげ)の大きさ、猫なで声を出して、人が死ぬのも構わない様子。

おおかた死ぬ時は、金と心中なさるのではないか?

それでもこちら(自分達)の頭が上がらないのは、あの物(お金?正太の祖母?金貸し?)のご威光は、そうは言っても欲しいもの。

遊郭内の大きな遊女屋にも、たくさんの貸付があるらしいと聞きましたよ。

 

などと、大通りに立って、2、3人の女房たちが、よそ(田中屋や遊郭)の財産(たから)について噂話をしたのだった。

 

以上が、四章の、私なりの現代語訳です。

 

 

四章では、

 

 

夏祭り当日の始まりの様子、

その日の夕方までの様子、

祭りを楽しむ子供達の様子、

お金持ち(?)で可愛らしい正太の、祭りの日の晴れ姿、

対照的な、三五郎と、その家庭事情の描写、

対照的な二人の少年の、ルックスや人柄、

筆やで美登利が来るのを待っている時の人々のやりとり、

金貸しである、正太郎の祖母の風貌や人柄についての描写、

彼女やその商売、遊郭事情などについての、女性達の井戸端会議の様子

 

などが、シニカルな描写も含めて描かれていると思いました。

四章は、文章を変換するのに、個人的に時間がかかりました。

理解するのが難しい部分が多い章でした。

 

参考文献はこちらです。

 

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

ありがとうございます。