こんにちは。
今回は「たけくらべ」感想解釈のまとめです。
「水仙」の「作り花」を「格子門」に挿していった理由
私は原文を読んだ事で、それまで以上に、水仙の作り花を格子にさしていったのは、信如の意志による行動だったと思う様になりました。
そして、このラストシーンの時期は、十二月の中旬から下旬なのではないかと、私は推測しています。
「作り花にした理由」
おそらく信如は、学校からの帰り道で、美登利から可愛らしいお願いをされた時、希望に添える様に綺麗な花の枝を選んで折り、渡してあげられなかった事を、ずっと後悔していたのでしょう。それで花を贈りたかったのではないでしょうか。
けれども枯れてしまう生花は、贈りたくなかった。
鼻緒を自分で直せない、手先が不器用な自分を見られてしまった事も、恥ずかしかった。
その汚名挽回もしたくて、作り花を手作りする事にしたのではないかと。美しく、丈夫な花を作るよう、努力したのではないかと。もしかすると、第二章で登場した京みやげの刀を、作り花のために使ったかもしれません。
そして本当は、素直に感謝して受け取りたかった、ハンカチと友仙ちりめんの事も、何かの形で償いたかったのではないでしょうか。
だから町を離れる前に、美登利に喜んでもらえる様な物を、今度は自分が贈る側になりたいと、決心したのではないでしょうか。
「水仙にした理由」
信如は、美登利の美しさだけでなく、明るさ、強さ、素直さ、親切さ、優しさに惹かれたのではないかと、私は思います。自分にはない美点を美登利の中にみたのではないかと、感じました。
水仙の花、茎や葉の凛とした姿と色彩が美登利の印象と名前に重なったのではないでしょうか。
水仙の花は、冬の始まりから春先までの間に、凛として美しく咲き続ける、清楚な花です。冬の花です。
作り花を格子門に挿していった時期には、もう咲き始めていたかもしれません。
この花の様に、困難な状況の中でも、誇りと可憐さを失わずに、美登利にも生きて欲しいと願ったのではないでしょうか。
「格子門に挿していった理由」
信如にとって、とても大事な場所だったのではないかと 。
だから作り花を、時雨の時と同じ早朝の格子門にさして行ったのではないでしょうか。
私は、信如が近道を口実に格子門の前を通る様になったのは、夏祭りの後、自分たちに腹をたてた美登利が、学校へ来なくなってからかも知れないと思います。
学校は、信如にとって唯一、美登利の姿を確実に見る事ができる場所だったのかも知れません。
下駄の一大事があるまでは、お使いという大義名分の元、何度か、格子門の前をさりげなく通っていたのでしょう。けれども、この出来事の後からは、信如の性格から考えると、それまでの様に大黒寮前を通る事は出来なくなったのではないだろうか?今は、そのように感じています。
作り花には、手紙も何も、添えられてはいませんでした。添える事が出来なかったのかもしれません。
けれど、早朝の格子門に挿していく事で、信如は、
それが自分から美登利への贈り物だと気付いてもらえるかもしれない、気付いて欲しい
そう、願ったのではないでしょうか。
最終章の最後の数行は、
聞くともなしに伝え聞いた話では、その事があった次の日は、信如がどこかの学校に入り、袖の色を変えた、ちょうどその当日だった…
といった記述で締めくくられています。
作り花が早朝の格子門に挿してあった事、
信如が遠くの学校に行ってしまったのを知った事で、
美登利は、徐々にかも知れませんが、贈り主が信如であり、それが自分への贈り物だという事に気付いたのだと思います。
その事に気付いたという事は、美登利は、今まで勘違いしていた様に、信如には憎まれても、蔑まれてもいなかった事、そればかりでなく、気にかけていてもらえていた事に気づけたのではないかと、私は感じています。
解釈のまとめ
吉原という土地・環境で、人気花魁を姉に持ち、自分も同じ道を歩むであろう美登利。僧侶の息子である信如。
そんな環境に生まれ育った二人は、お話の終盤には、お互いに「不本意」「不自由」「過酷」な将来が、十代半ばの身で予測できる立場となりました。二人とも早急に「大人になる」「成長する」事を、周りから要求されているように思います。
その他の少年たち「長吉」「三五郎」、まだ十三歳の「正太郎」でさえ、生まれた家庭、親の都合で、将来の仕事が決められていて、その手伝いや修行を始めています。
現実的な未来がお互いに近づく中で、信如は、
親切への感謝、傷つけた事への謝罪だけでなく、
「励まし」「告白」「普遍性」を込めた贈り物を、したかったのではないかと。
自分も美登利も、未来に希望を持てる状況では無い事が、信如には分かっていたでしょう。
それでも
「絶望せずに生きたい」
「生きて欲しい」
と、思ったのではないでしょうか。
長々と書いてきましたが、本当は、ただ、次の様な事を伝えたかっただけなのかもしれません。
「水仙が綺麗な季節になります。元気を取り戻して下さい。」
私は最近まで、この物語の締めくくりは、格子門の水仙のイメージでした。ですが、原文には、短い文章ながら、美登利が作り花を「違い棚」の「一輪挿し」に挿して、眺めたという描写がありあます。
枯れない作り花は、その後も美登利の心の支えになり続けたのかもしれません。
私は、美登利の方は、自分と違い冷静で賢く、心身ともに自分よりも大人びている信如に惹かれたのではないかと思っています。
今から百二十年以上前に、樋口一葉さんが発表した
「たけくらべ 」
という物語について書いてきました。
信如が作り花を残した様に、作者の樋口一葉さんも
「自分の頭の中の物語を、作品として書き残したい」
という強い情熱と意思を持った作家だったのではないかと、私は改めて思いました。
創作物、つまり文学、音楽、美術などは、長く残す事が出来るのではないかと、樋口一葉さんも作家として感じたのではないかと、改めて感じました。
この物語の素晴らしさを、現代の皆様に、少しでも伝える事が出来ましたら幸いです。
参考文献