芸術は心のごはん🍚

映画・小説・漫画・アニメ・音楽の感想、紹介文などを書いています。

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第十一章 夜の「雨だれ」は知っていたかもしれない、思春期心を解説

こんにちは!

今回は「たけくらべ」第十一章、私なりの現代語訳を失礼します。

 

今日は、少年少女3人の、目には見えない「三角関係」が・・切ない章です。

 

3角関係は、辛そうだなあ…と思っている皆様

3角関係は、辛かったよなあ…と思っている皆様

3角関係は、辛いよなあ…と思っている皆様

 

に、読んで頂けたら…と感じる章です。

 

中村紘子さんのピアノ演奏「雨だれ」のイメージで失礼します。 

雨だれのプレリュード~ショパン名曲集(期間生産限定盤)

  

たけくらべ 十一章 (秋雨の夜 信如、美登利、正太郎)

 

 

f:id:syutaitekizinsei:20201023111539j:plain

 

 

 正太が、くぐり戸を開けて、

 

「ばあ!」

 

と言いながら顔を出すと、その人が二、三軒先の軒下をたどって、ポツポツと歩いていく後ろ姿が見えた。

 

「誰だ、誰だ?おい、お入りよ!」

と、正太が声をかけ、美登利が足下駄を急いで突っかけて、降る雨を構わずに駆け出そうとしたのだが、

 

「ああ、あいつだ!」

と、ひと言いった正太が振り返り、

 

「美登利さん、呼んだって来はしないよ、例のヤツだもの」

と言って、自分の頭を丸めて見せたのだった。

 

「信さんかえ?」と、受けた美登利。

 

「嫌な坊主ったらない。きっと筆か何か買いに来たのだけれど、私達が居るものだから、立ち聞きをして帰ったのでしょうよ!

 本当に意地悪の、根性曲がりの、ひねくれ者の、どんもりの、歯っ欠けの、嫌なヤツめ!

 入ってきていたら、思いっきり、いじめてやったのに!帰ってしまったとは、惜しい事をした。どれ、下駄をお貸し!ちょっと見てやる!」

 

と言って、正太に代わって外に顔を出すと、軒の雨だれが前髪に落ちてきた。

 

「おお、気味が悪い!」

と、美登利は首を縮めながら外を見て、四、五軒先のガス灯の下を、大黒傘を肩で支えながら、少しうつむいている様で、トボトボと歩く信如の後ろ姿を、

何時までも、何時までも、何時までも、

見送っていた。すると

 

「美登利さん、どうしたの?」

と、正太が怪しがって、美登利の背中をつついた。

 

「どうもしない」

と、気の無い返事をして部屋へ上がって、きしやごの数を数えながら美登利は言葉を続けた。

 

「本当に嫌な小僧ったらない。表向きには、いばった喧嘩は出来もしないで、大人しそうな顔ばかりして、根性がいじけているのだもの。憎らしいに決まっているじゃないの。

 ウチの母さんが言っていたっけ。はっきりとモノを言う、ガラガラしている人は、心が良いのだと。

 それだから、グズグズしている信さんなんかは、心が悪いに違いない。ねえ正太さん、そうでしょう?」

と、口を極めて信如の事を悪く言ったので、正太は

 

「それでも龍華寺は、まだ物が分かっているよ。それに比べて長吉ときたら、あれは、いやはや、あきれるよ」

と、生意気に大人の口を真似たので、

 

「およしよ、正太さん。子供のくせに、ませた様でおかしいわ。お前は本当にひょうきん者だね」

と言って、美登利は正太の頬を突いて、

 

「その真面目顔ったら!

と、笑い転げた。すると正太は

 

「おいらだって、もう少し経てば大人になるんだ!蒲田屋の旦那の様に、角袖外套か何かを着てね。

 お祖母さんがしまっておく金時計をもらって、それから指輪もこしらえて、巻きタバコを吸って、履き物は何がいいかな・・おいらは下駄よりも雪駄が好きだから、三枚裏にして、しゅちんの鼻緒と言うのを履くよ。似合うだろうかなあ?」

と聞くと、美登利は、クスクス笑いながら

 

「背の低い人が角袖外套に雪駄姿・・まあ、どんなにかおかしいでしょうね!目薬のビンが歩いているみたいでしょう!

と、からかうと、正太は

 

「バカを言っていらあ!それまでには、オイラだって大きくなるさ。こんなちっぽけのままではないさ!」

と、いばった。なので

 

「それじゃあ、まだいつの事だか知れはしない。あの天井のネズミを見てごらんなさい!」

と、天井に指をさしたので、筆やの女房を始め、部屋にいた人達みんなが笑い転げたのだった。

 

 正太は、一人真面目になって、いつもの様に目玉をぐるぐるとさせながら言った。

 

「美登利さんは冗談にしているんだね?

誰だって大人にならない人はいないのに。おいらの言う事は、なんでそんなにおかしいのさ?

 おいらが大人になったら、綺麗な嫁さんをもらって、連れて歩く様になるんだけどなあ。

 おいらは何でも、綺麗なのが好きだから、せんべい屋のお福の様な痘痕顔、薪やのおデコの様な娘がもしお嫁に来たとしたら、すぐに追い出して、家には入れてやらないや。オイラは痘痕としつかきは大嫌いさ!」

と、力説した。それを聞いた筆やの女房が吹き出して、

 

「それでも正さん、よく私の店へ来て下さいますね。おばさんの痘痕は見えないのかえ?」

と、笑うと、

 

「だって、あなたは年寄りだもの。

おいらの言っているのは、嫁さんの事さ。年寄りは、どうでもいいんだよ」

と、正太が答えたので、

「それは大失敗だね。失礼しました」

と、筆やの女房は、面白そうに正太坊ちゃんのご機嫌をとった。

 

「町内で顔の好いのは、花屋のお六さんに水菓子やの喜いさん。それよりもそれよりも、ずっと好い子は、お前さんの隣に座っておいでだけれど、正太さんは、まあ、誰にしようと決めているのかね?

お六さんの眼つきか、喜いさんの美声か、まぁ、どれなのかい?」

と、問われた正太は顔を赤くした。

 

「なんだ、お六や喜い公の、どこがいいもんか!」

と、釣りランプの下から少し離れて、壁際の方へと後ずさりをすれば、

 

「それでは美登利さんが好いのでしょう?そう決めてござんすの?」

と、図星を指されて、

 

「そんな事、知るもんか!何だそんな事!」

と、くるりと後ろを向いて、壁の腰張りを指で叩きながら「廻れ廻れ水車」を小声で歌い出した。

 一方の美登利は、たくさんのきしやごを集めて

 

「さあ、もう一度初めから」

と、こちらは、顔をも赤らめはしなかった。

 

 

参考文献はこちらです。 

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

という訳で、心のBGMは、ショパンの「雨だれ」 でした。

こちらは、中村紘子さんの演奏です。ずっと尊敬しております。


中村紘子 ショパン作曲 プレリュード第15番変ニ長調「雨だれ」

 

天気予報だと、私の住んでいる地方は、明日は雨ではない様です。

 

余談ですが、こちらの「たけくらべ」解説記事は、もうしばらく「雨」が続く予報です💦

 

お付き合い、ありがとうございます。 

 

 

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第十章「Autumn」の情景と秋雨の夜を「憧れ・愛」を込めて解説🎹

こんにちは!

今回は「たけくらべ」第十章解説を失礼します。

 

秋🍁ですね。

 

秋も、深まってきたなあ・・と、感じている皆様に

 

お薦めの章です。 

 

という訳で、ジョージ・ウインストンさんのアルバム「Autumn」より「longing love」

のイメージで失礼します。こちらは歌ではなく、ピアノ・ソロの名曲です✨

Autumn

 

 

たけくらべ   第十章 (夏祭りから秋 格差、生活の情景)

 

 

 

 祭りの夜は、田町の姉の所へ使いを命じられていたので、信如は夜更けまで家に帰らなかった。

 そのため、筆やの騒ぎの事は全く知らず、翌日になってから丑松、文次、その他の仲間の口から、

 

「かくかくしかじか……だったんだ」

 

と、伝えられたのだった。今更ながら長吉の乱暴ぶりに驚いたのだけれど、済んでしまった事なので、責め立てる意味もなかった。

 信如はただ、自分の名前を使われた事ばかりが、つくづく迷惑に思われて、自分がした事ではないのに、被害者である美登利や三五郎たちへの罪を、一身に背負ったような気持ちである。

 長吉も少しは自分の失態を恥じているのか、信如に会えば文句を言われるだろう……と思ったらしく、その後の三、四日は姿も見せなかった。

 そして、ややほとぼりの冷めた頃に、信如のところにやってきた。

 

「信さん、お前は腹を立てているかもしれないが、時の拍子だったんだ。だから、堪忍しておくれよ。

 誰もお前、正太のやつが留守だなんて、分かる訳がないじゃあないか。

 何も本当はさ、女郎の美登利の一匹ぐらいを相手にして、三五郎を殴りたかった訳ではなかったのだけれど。万燈を振り回しながら駆け込んで見りゃあ、ただでは帰れなかったんだよ。ほんの景気づけのつもりが、つまらない事をしちまった。

 そりゃあ、俺がどこまでも悪いさ。お前の忠告を聞かなかったのは悪かっただろうけれど、お前に今怒られては形無しだ。

 お前と言う後ろ盾があったんで、俺は大船に乗った気持ちだったのに、見捨てられちまっちゃあ困ってしまうじゃないか。

 嫌だといっても、この横町組の大将でいてくんねえ。そうドジばかりは踏まないからさ」

 

と言って、面目なさそうに謝られてみれば、それでも自分は嫌だとも言いづらい。

 

「仕方がない、やる処までやるさ。しかし弱い者いじめは、こっちの恥になるから、三五郎や美登利を相手にしても仕方がないよ。

 これからは正太に取り巻きがついたら、その時はその時の事だ。決してこっちから手出しをしてはいけないよ」

 

と、言い留めて、信如はそれ以上は長吉を叱りとばさなかったけれど、心の中では、再び喧嘩のないようにと祈るのだった。

 

 

 罪のない子は、横町の三五郎である。存分に叩かれ、蹴られて、その二、三日は、立っても座っても身体中が痛くて、夕暮れごとに、父親が空の人力車を五十軒先の茶屋の軒先まで運ぶ時にさえ、

「三公はどうしたんだ?ひどく弱っているようだな」

と、顔見知りの仕出し料理屋に咎められる程だった。

 

 しかし三五郎の父親は「おじぎの鉄」と言われ、目上の人に頭を上げた事がない男である。廓内の旦那は言うまでもなく、大家様である長吉の父、地主様である信如の父の、どちらにも

「ご無理ごもっともな事です」

と、受け入れるたちなので、息子の三五郎が

「長吉と喧嘩して、これこれの乱暴にあいました」

と、訴えたところで、そんな父親なので

 

「それはどうにも仕方がないよ。大家さんの息子さんじゃあないか。こっちに理由があろうが、先方の方が悪かろうが、喧嘩の相手になるという事はできないよ。お前の方から謝ってこい。謝ってこい。全く困ったやつだ!」

 

と、自分の息子の方を叱りつけて、長吉の所へ謝りに行かせるに決まっているので、三五郎は悔しさを噛み殺していた。

 

 それでも七日、十日と過ぎてくると、体の痛いところが癒えるとともに、その恨めしさもいつしか忘れる三五郎。頭である長吉一家の赤ん坊の子守をして、二銭のお駄賃を貰えば素直に喜び、

ねんねんころりよ、おころりよ」

と、おんぶして歩いている。

 歳はいくつだと問えば、生意気ざかりの十六歳にもなりながら、その一方では、その大きな体で恥ずかしげもなく、横町組の敵地である表町へも、ノコノコと出かけてくるので、いつも美登利と正太の、いじられ役になっている。

「お前は性根をどこへ置いてきたのかい?」

と、からかわれながらも、遊びの仲間からは外れた事がないのだった。

 

 春は桜の賑わいから始まり、夏の亡き玉菊の灯籠の頃、続いて秋の新仁和賀(注釈一)には、十分間に人力車が走る数は、この通りだけで七十五りょうと数えても二の替り、つまり秋のにわか三十日間の後半さえもいつしか過ぎて、赤とんぼが田んぼに飛び交い、内堀にウズラがなく頃も近付いた。

(春の桜、夏の灯篭、秋の仁和賀が、吉原の三大行事の風物詩だった)

 

 朝夕の秋風が身に染み渡るようになり、上清の店先の蚊取り線香が当時のカイロの灰にその座を譲り、石橋の田村やが粉を引くウスの音も寂しくなった。

 角海老の時計の響も何となく悲しげな音を伝えるようになれば、四季の一年中絶え間ない、日暮里の火の光も、

「あれが人を焼く煙なのか」

と、うら悲しい。

 

 茶屋の裏の土手下の細道に、落ちてくるような三味線の音色を仰いで聴けば、仲之町の芸者が、冴えた腕に

「君がなさけの仮寝の床に……」

と、何やら歌っている一節の趣も深い。

 この時節から吉原に通いはじめる人々は、浮かれ浮かれた遊び目的の客ではなく、身にしみじみと人柄に中身のあるお方である。

 

 遊女上がりの、ある女が言うには、

「そんな事ごとを書こうとするのは、くどくて煩わしい。それよりも、大音寺前での最近の出来事といえば、盲目の按摩師で二十ばかりの娘が叶わぬ恋をし、身投げをしたそうだ」

と言う噂。

「八百屋の吉五郎と、大工の太吉が、さっぱりと姿を見せないが、どうしたのかい?」

と、誰かが訊ねると、

「この件であげられました」

と、顔の真ん中の鼻を指して、花賭博が原因である事を伝える。

 そうした事以外は他には、これといってうわさ話をする者もいない。大通りを見渡せば、幼い子供達が三、五人、手を繋いで

「ひーらいたーひーらいたー なーんのはーながひーらいたー」

と、無邪気に遊んでいるのも自然と静かな様子で、廓に通う人力車の音だけが、相変わらず勇ましく聞こえるのだった。

 

 

 秋雨が、しとしと降るかと思えば、サッと音がして運ばれてくる様な寂しい夜の事。

 通りすがりの客など待たない店なので、筆やの妻は、日暮れからは店の表の戸を閉めていた。その中に集まっているのは、いつもの様に美登利と正太郎、その他には小さな子供達の二、三人がいて「きしやごおはじき」と言う幼げな事をして遊んでいた。

 美登利が、ふっと耳をたてて、

「あれ、誰かが買い物に来たのではないかしら?ドブ板を踏む足音がするよ。」

と言ったので、

「おや、そうか?おいらはちっとも聞かなかった」

と、正太も「チュウチュウタコカイ(注釈二)」の手を止めて、誰か仲間が来たのではないかと嬉しがったのだが、門の人は、この店の前まで来た時の足音が聞こえただけで、それからは、ふっと気配が耐えて、音も沙汰もない。

 

 

注釈一

初秋の行事で茶番狂言の事

 

注釈二

すごろくなどでの、数の数え方

 

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 


という訳で、今回の心のBGMは、ジョージ・ウインストンさんのピアノ曲

「憧れ・愛(邦題)」でした。 


George Winston - Longing from his solo piano album AUTUMN

 

余談ですが、私はこの曲を高校生の頃に、テレビのCMで知り、憧れました。

そこで、級友からこの曲の楽譜をコピーしてもらいました。

小6でピアノ教室を挫折していた私でしたが、

「この曲だけは、弾けるようになりたい!」

と、頑張ったのですが・・頑張って、3分の1くらいは弾けるようになったような記憶が💦

 

今夜は、秋雨になりそうですね。

 

お付き合い、ありがとうございます。

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第九章 家族の実情が「間違いだらけ」じゃないか?と思う少年の苦悩を解説

こんにちは!

今日はこちらはお天気ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか? 

 

今日は「たけくらべ」第九章を解説いたします。

この章は、信如の家族、つまり「藤本家」の「家族の肖像」と申しましょうか・・

信如の両親、姉、龍華寺の様子、家庭における信如の苦悩などが書かれています。

 

特に

本音を心の中に秘めてしまいがちな、シャイでデリケートな皆様

寡黙で内向的で、ミステリアスな友人、知人がいらっしゃる皆様

 

に、お薦めの章です。

 

 

という訳で、勝手ながら、名曲「まちがいさがし」のイメージで失礼します。m(_ _)m

 

f:id:syutaitekizinsei:20201018120458p:plain


 

たけくらべ 第九章 (龍華寺の人々 思慮深い少年) 

 

 

「如是我聞(かくのごとく、我聞けり)」

仏説阿弥陀経大乗仏教の経典一つ)」

 

 声は松風に調和して心のチリも吹き払える様にありがたいはずの、お寺様の台所の建物から、生魚をあぶる煙がなびいたり、墓場に赤ん坊のオムツが干してあるとは。

 お宗旨によって、あまり構わない事なのだろうが、そこに暮らすお方が、法師を木のはし(注釈一)と、心得ている者の目から見ると、なんだか軽率で、生ぐさく思える。

 

 信如の実父である龍華寺の和尚さまは、財産と共に肥え太ったお腹も、いかにも見事で、その色艶の良い事には、いかなる褒め言葉を差し上げたら良いのだろうか?

 肌の色は桜色でもなく、ひももの花の様に濃い紅色でもない。剃りたてた頭から顔、首筋に到るまで銅色の照りに、一点の濁りもなく、白髪も混じっている太い眉毛をあげて、遠慮のない大笑いをなさる時は、本堂の如来様が驚いて、台座から転び落ちなさりはしないかと危ぶまれる程である。

 

 和尚さまの奥さまは、まだ四十歳の上をいくらも超えていない。色白で髪の毛が薄く、丸髷も小さく結んで見苦しくなくする人柄で、参詣者へも愛想がよい。 

 お寺の門前の花屋の口が悪いおカミさんも、この奥さまについて、あれこれ陰口を言わないところを見ると、着古しの浴衣や、お惣菜の残り物などのご恩を受けているのだろう。

 

 この奥さまは、元は檀家の一人であったのだが早くに夫を失い、頼れる親類もない身で、しばらくここ、龍華寺にお針子の様な扱いで住み込んでいた。

 始めは、食べさせて貰えればそれで良い、という状況で、洗濯から始まり料理はもちろんの事、墓場の掃除にも男達の手助けをするまで働いた。そのため和尚さまは、経済的な面でも考えて、自分にとっても徳であり、その女を不憫にも思い情けをかけたのだった。

 

 年が二十ほど離れているのでみっともない事は、女も心得ていたが、他に行く所もなかったので、結局ここが良い死に場所だろうと、人目を恥じない様になった。

 檀家の者からすれば不愉快な事であったが、女の人柄が悪くなかったので、檀家の者もさしては咎めなかった。

 

 第一子の「花」という子供を身籠った頃、檀家の中でも世話好きで名の知れた坂本という油屋のご隠居さまが、仲人というのも変なものだが、事を進めて表向きのもの、つまりは正式な夫婦にしたのだった。

 

 信如も、この母親から生まれた。蓮華寺の子供は、男の信如と長女の花の二人。

 一人息子の信如は、元からの偏屈者で、ほとんど一日中部屋の中でイジイジとしていて陰気な性分の少年なのだが、姉のお花は、美肌で二重あごがかわゆらしく、人柄も愛嬌がある人。美人という訳ではないが、お年頃で人からの評判も良く、素人として捨てて置くのは惜しいと、周囲からも思われていた。

 

 だが、かと言って、お寺の娘が芸者というのはどうだろう?お釈迦さまが三味線を弾くなどとは、知られていない世の中。

 人の噂が憚られるので、田町の通りに葉茶屋を小綺麗にしつらえ、店先に、この娘を据えて、お茶の葉と愛嬌を売らせてみた。

 すると、秤の目盛りはとにかく、勘定を気にしない若者などが、何気なくこの店に寄るので、大抵は毎晩十二時を過ぎるまで店に客の影が耐えた事がない。

 

 忙しいのは大和尚。貸金の取り立て、娘の店への見回りに法要のあれこれ、月の幾日かは、説教日の予定もある。帳面をくくるやら、お経を読むやらで忙しい。

 

 これでは体が持たないと、夕暮れの庭先に花むしろをしかせて、片肌を脱いでうちわであおぎながら、大きな杯に泡盛をなみなみとつがせて、酒の肴の好物は鰻の蒲焼なので

 

「表町の武蔵家で鰻の大串を買って来い!」

 

と言って買いに行かせるのだった。

 その買い物を仰せ付かるのはいつも信如だったが、信如はその役目が骨に染みて嫌であった。鰻屋への道を歩くにも、上を見る事ができない。鰻屋の筋向こうにある筆やの店に子供達の声を聞くと、友人知人、特に表町組の彼らに目撃されて、自分の事を悪く言われはしないかと不安で、情けなくなる。

 そ知らぬ顔をして鰻屋の角を過ぎてから、辺りに人がいない隙を伺い、急いで戻って鰻屋にかけ入る時の心地と言ったら。そんな訳で信如は、自分は絶対に生臭いものを食べるまいと思うのだった。 

 

 

 父親の大和尚はどこまでもさばけた人。もともと少しは欲深で名が知られていたが、人の噂に左右されるような小心者ではない。手が暇であれば商売繁盛祈願商品の熊手を作る内職もしてみようと言う性格である。

 

 そのため霜月の酉の市には、例外なく門前の空き地にかんざしの店を開き、奥さんに手ぬぐいをかぶらせて

 

「縁起の良い品物をいかがですか?」

 

と客を呼ばせて、儲けの算段。奥さんも、始めは恥ずかしい事に思っていたが、ご近所の素人の商売で大儲けがあったと聞けば、

 

「この混雑の中だし誰にも気づかれない事だろうし、日暮れ以降は、人目にもつかないだろう」と考えた。

 

 昼間は花屋の女房に手伝わせて、夜には自ら店先に立って客呼びをしているうちに、欲が出たのか、いつの間にか恥ずかしさも失せてきたらしい。

 

「負けましょ!負けましょ!」

 

と、人の後を追って叫ぶようになったのだった。

 人波に揉まれて、買い手の目もくらんでいる時であれば、今いる場所が、来世のお参りに一昨日来た、お寺の門前であることも忘れて、お寺の奥さんが

「かんざし三本七十五銭!」

と高めに値段をつければ、

「五本まとめて七十三銭ならば買いましょう!」

と、お客も値切っていく。

 

 そんな闇の様な世の中で、その闇に紛れたインチキ商売でのボロ儲けは、この他にも有るだろうが、信如にはこうした事でも、とても心苦しい。たとえ檀家の人たちの耳には入らなくても、近所の人々からの評価や、自分の友人知人、特に表町の子供達の噂でも

 

「龍華寺では、かんざしの店を出して、信さんのお母さんが狂った様な顔をして売っていたよ」

 

などと言われるのではないか、と恥ずかしいので、

 

「そんな事はやめた方が良うございましょう」

 

と、親に言って止めた事もあったのだが、大和尚は大きく笑い捨てるだけ。

 

「黙っていろ!黙っていろ!貴様などには分からぬ事だわ!」

 

と言って、全く相手にはしてくれない。平然と朝は念仏、夕べは勘定という毎日。日々、ソロバンを手にして、ニコニコしている顔つきは、自分の親ながら浅ましく映って、なぜ、その頭を丸めなさったのだろうか?と、恨めしくもなるのだった。

 

 もともと実の両親と姉弟の中で育っていて、他人の混じらない穏やかな家の中なのだから、さしてこの息子を、陰気な少年にしてしまう原因などないはずなのだが。

 生来はおとなしいのに、自分の言い分が聞き入れられなければ、とにかく面白くなく感じる性格。

 

 父のやる事も、母の振る舞いも、姉の育てられ方も、皆、全て間違いの様に思えてならないのに、どうせ言っても聞いてもらえないのだと諦めると、何となく悲しく思えて情けない。

 友達や学校の仲間特に美登利達からは、偏屈者だの意地悪だのと見られているけれど、どうしようもなく沈んでしまう、心の弱い自分なのだ。

 

 本当は自分の陰口を、少しでも言う者がいたと聞いても、出かけていって喧嘩口論をする勇気もなく、部屋に閉じこもって人に顔を合わせられない、臆病極まりない身なのだが、学校での学業の優秀ぶりと、身分が卑しくないために、それほどの弱虫だとは知るものがいない。

 

「龍華寺の藤本は、生煮えの餅のように真があって気になる奴だ」

 

と、正太の様に、彼を憎らしく思う者もいる様だった。

 

 

 

 

注釈一

特に僧侶や尼のこと。一説によると、とるにたりない者の意

 

 

 

参考文献はこちらです。 

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

という訳で、今回の心のBGMは「まちがいさがし」でした。

余談ですが、私は菅田将暉さん、米津玄師さん、どちらのバージョンも大好きです。

www.uta-net.com

 

 

信如も、この環境に生まれなかったら、美登利には出会えなかったのではないか?

と思った、火曜日の午前でした。

 

お付き合い、ありがとうございます。

 

 

 

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第八章「Night & Day」🏮「はれるや」な吉原情景と無邪気な少女を…解説💦

こんにちは!

今日は雨で、私は少し肌寒いですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

家事がひと段落したので、やはり今日も、こちらの続きを失礼します。

 

たけくらべ」第八章は・・・

 

「吉原」って結局、どういう場所だったの?

と思っている皆様

どんちゃん騒ぎが好き!

サザンオールスターズの、はっちゃけた曲が好き!

という皆様に、特にお薦めの章です。

 

 補足ですが、暮らしに困っていた樋口家当主の一葉さんは、亡くなる数年前、吉原近くに「駄菓子屋」を開いていて、お店をやりながら創作をしていた頃もあった様です。しかし、その時期があったからこそ「たけくらべ」という作品が生まれたのかもしれません。

 第八章は特に、当時の一葉さんの女性視点からの、かなりシニカルなウィットのパンチが効いている文章だと、個人的に思います。

 

今回は、どの曲のどんな写真を選ぶか、非常に悩みました💦

結局、サザンオールスターズのこの曲しか浮かびませんでした💦

f:id:syutaitekizinsei:20201017132016p:plain

 

 たけくらべ 第八章   (吉原の情景 無邪気な少女)

 

 

「走れ!飛ばせ!」

の、夕方の勢いに比べて、明け方の、ご贔屓の遊女との、別れの一夜の夢を乗せて走る人力車の寂しさよ。

 

 帽子を深くかぶり、人目を避けるお方もいる。手ぬぐいをとって、それを頬かぶりしているお人は、女が別れぎわにくれた、なごりのひと打ちの痛さが身に染みていて、思い出す度に嬉しいのか、薄気味の悪いニタニタの笑い顔のお人もある。

 

「坂本通りまで出たら、用心しなされ。千住帰りの青物、果物を積んだ車にぶつかりそうで、お足元が危ないねえ。三島様の角までは、まるで気違い街道だ。

 お顔の締まりが、どちら様も緩んでいて、恐れ多い事かもしれませんが、お鼻の下を長々と伸ばしておいでだと、そんじょそこいらの場所では、立派な紳士で通っていても、本来の値打ち、評判が台無しだ」

 

 などと道角に立って、吉原へ通う男達について、陰口を言う者もいた。

 

 

 楊家の娘(楊貴妃)が君(唐の玄宗皇帝)寵を受けて・・と「長恨歌」を引き出すまでもなく、娘という存在は、いづこでも貴重がられる、この頃だけれど、この辺の裏家から「かぐや姫」が生まれる例は多い事。

 

 築地の、ある置屋に今は移って、御前様方のお相手をし、踊りの上手な「雪」という美女がいた。

「ただいまのお座敷でお米のなります木は……」

などと、とてもあどけない事を言っていても、元は、ここの町内の仲間内で花カルタの内職をしていた者である。

 

 評判は一時は高くても、すぐに去るもの。うかうかしている間に、名物の花……つまり、売れっ子の女性が一つ姿を消して、二度目の花は、紺屋の末娘という次第。

 今、千束町に新しく建った置屋の売れっ子をほのめかす、小吉と呼ばれる公園の貴重な娘も、生まれ育ちは、同じここの土地の者……

と、明け暮れの噂の中でも、このあたりで出世と言えば女に限った事で、男は「塵塚探す黒斑の尾」といって、ゴミの山を漁る野良犬の様に、居ても役に立たない者とみなされている。

 

 この界隈で「若い衆」と呼ばれる街並みの青年たちは、生意気ざかりの十七、八歳からのグループ、五人から七人組で行動している。

 腰に尺八をつけるような、粋な派手さはないけれど、何やら、厳しい名前の親分の手下になり、揃いの手ぬぐいと長ちょうちんを持ち、サイコロを振る事を覚えない間は格好が悪くて、冷やかしに吉原名物の格子先で、思い切っての冗談も言いづらいと見える。

 真面目に勤めている家業は昼間の間ばかりで仕事を終えて、一風呂浴びて日が暮れれば、下駄をつっかけ、気楽な七五三の丈の着物で外に繰り出し、

 

「どこそこの店の新しい娘を見たか?金杉の糸屋の娘に似ていて、ちょっと鼻が低い」

 

などと、頭の中をそんなことでいっぱいにして、店の一軒ごとの格子にタバコの無理とり、ちり紙のおねだり。

 そうしたやり取りの中での男女間の打ちつ、打たれつを、人生の名誉だと心得ているので、堅気の家業の相続息子が、地元のヤクザに改名して、大門のそばで喧嘩を買いに出た……などという事もあり、

 

「見てくれ、売れっ子の遊女の様な勢いだろう!」

 

と、言わんばかりの男もいる。季節の移り変わりを知らないように思える、五丁町の賑わい。お客のための見送り提灯は、今は流行らないが、茶屋が廻す女中の雪駄の音に響く歌舞音曲。

 浮かれ浮かれて、吉原にやって来る人達に

 

「何がお目当て?」と尋ねてみると、

 

「赤襟、赭熊の髪型に、打ち掛けの裾が長く、にっと笑う口元目もととかさ。どこが良いとか美しいのかは、言いにくいけれど、花魁たちとは、ここでは敬うもの。離れていては、お知り合いになれないからね!」

 

 

 この様な環境の中で朝夕を過ごせば、白い衣が紅色に染まるのも無理はない。

 美登利の眼には、男というものが、さして怖くも恐ろしくも映らず、女郎という者を、それほど卑しいお務めとも思っていないので、昔、故郷を出発する当時の、姉を泣いて見送った事が、今は夢の様に思えている。

 

 姉が今日この頃の全盛で、両親に親孝行できている事を羨ましいとさえ思う売れっ子で居続ける姉の身の、本当の苦しみの数も知らないので、遊女たちのお客を呼ぶための鼠泣き格子の呪文、別れぎわの背中を叩く手加減の秘密までも、ただ、面白く耳に聞いて、廓言葉を町で使う事も、それほど恥ずかしく思えないのも、哀れである

 

 美登利は歳はようやく数えの十四歳。人形抱いて頬ずりする心は、華族のお姫様とも変わらないけれど、修身の学問、家政学のいくらかでも学んだのは、ただ学校でだけ。

 

 誠に、明けても暮れても耳に入ってくる事といえば、好いた好かないの客の噂話。お仕着せ積み夜具、茶屋への行き渡りなど、吉原特有の派手な事は魅力的に、そうでないものは見すぼらしく見えて、他人の事と自分の事の分別がつくにはまだ早い年頃。

 少女心には、目の前の花にばかり目が行くし、持ち前の負けず嫌いの性格が勝手に暴走して、頭の中に雲のような世界をこしらえているようだ。

 

 

  気違い街道。寝ぼれ道。朝帰りの殿方がお帰りになり、一仕事が済んで、朝寝坊していたの町人達も、門に箒の後が波模様を描いて、打ち水がほどよく済んだ表町の通りを見渡すと……

 来るは来るは、万年町、山伏町、新谷町辺りを寝床にしている、一能一術があるので、芸人と呼ばれる者たち。飴屋、軽業師、人形使い大神楽、住吉踊り、角兵衛獅子など。思い思いの扮装で、ちりめんすきやの洒落者もいれば、薩摩かすり洗い着に、黒繻子の幅の狭い帯などなど。

 

 いい女もいれば男もいる。五人、七人、十人ひと組の、大所帯もあれば、ひとり寂しく痩せた老人が、破れた三味線を抱えて歩いている事もある。そうかと思えば五、六歳の女の子に赤たすきをさせて、紀の国を踊らせているのも見る。

 

 そうした芸人達のお得意様は、廓内に居続けている客と、憂さ晴らしを求める遊女達である。

 あの廓内に入っていく芸人達は、生涯やめられない程その場所で儲けているらしいと知られていて、来る者来る者、このあたりの町角での、少ない儲けは気にも留めない。 

 着物の裾が海草のように破れた、いかがわしい乞食でさえ、町角には立たないで行き過ぎるものである。

  

 ある日、器量の良い太夫が、笠をとって品のある頬を見せながら、のど自慢、腕自慢をしながら通り過ぎた。

 

「あれあれ、あの美声を、この町の自分たちには聞かせないのが憎らしい!」

 

と、筆やの女房が舌打ちをして言うと、店先に腰をかけて往来を眺めていた、風呂帰りの美登利。はらりと落ちる前髪を黄楊の鬢櫛にちゃっとかきあげて、

 

「おばさん、あの太夫さんを呼んできましょう!」

 

と言って、ぱたぱたと駆け寄って女太夫のたもとにすがり、たもとの中に何かを投げ入れた。その一品が何だったのか、美登利は誰にも笑って言わなかったが、好みの明烏(あけがらす)をさらりと歌わせて、

 

「 またご贔屓に」

と、愛嬌あるお礼の言葉を言わせたのだった。

 

「これはたやすく買えるものではない。あれが子供の仕業か?」

 

と、寄り集まっていた人たちが舌を巻いて、太夫よりも美登利の顔を眺めたのだった。そんな大人達の反応に得意になった美登利は

 

「粋な事だと思うから、通り過ぎる芸人たちを皆、町内にせき止めて、三味線の音、笛の音、太鼓の音、歌わせて踊らせて、そんな人がしない事をしてみたい」

 

と、その時に美登利が正太に、ささやいて聞かせると、正太は呆れて、

 

「俺らは嫌だな!」 

 

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 という訳で、今回の心のBGMは、ドインパクトのある、こちらの曲でした!

「愛の ために 生きりゃ いいじゃーん ♪」

www.uta-net.com

 

 


サザンオールスターズ - 愛と欲望の日々(Short ver.)

 

今回も、野暮な挿絵はいらない章だと思いました💦

 

お付き合い、ありがとうございました。

 

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第七章 信如と美登利が「🧲のNとNの様」になった経緯を解説🚣‍♂️

こんにちは!

引き続き「たけくらべ私なりの現代語訳、失礼します。

 

この章は、特に

「すれ違いラブ・ストーリー」が好き!

ガラスの仮面」が好き!

と言う女性の皆様と

「俺はどうも好きな女性に素直になれない💦」

と言う男性の皆様に

お薦めしたい章です。

 

そして、私個人にとっては、

「スレ違いLOVE・ストーリー漫画の金字塔✨」

と言えば、

 

ガラスの仮面」🌹   です💦

 

私は、30数年前に、

たけくらべ」のストーリーを、こちらの漫画の劇中劇を通して、

初めて知るに至りました。

 

 

美内すずえ先生、大変お世話になっております!

大変、尊敬しております✨💐

 

と言う訳で、私のガラスの仮面」愛も込めつつ、第七章を失礼します。

 

ガラスの仮面 47 (花とゆめCOMICS)

 

 

たけくらべ 第七章  (春から初夏 信如と美登利)

(※第七章の始まりは、物語の場面が、一旦その年の春🌸に戻ります。)

 

f:id:syutaitekizinsei:20201016153956j:plain

 

 龍華寺の信如大黒屋の美登利。二人とも、学校は育英舎である。

 今年の四月の末ごろ、桜が散って青葉のかげに、藤の花見という頃、春の運動会を、水の谷の原で行った。つな引き、まり投げ、縄跳びなどの遊びに、日が暮れるのも忘れて夢中になっていた時の事だった。

 

 信如は、どうしたことか、いつもの落ち着きに似合わず、池のほとりの松の根元につまづいてしまった。赤土の道に手をついたので、羽織りの袂(たもと)にも、泥がついて見苦しくなった所に、(ちょうど)居合わせた美登利が、みかねて自分の絹のハンカチを取り出した。

 

「これで、お拭きなさいな」

 

と、お世話をしたところ、それを見ていた友達の中の焼き餅やきが、

 

「藤本は坊主のくせに、女と話をして、嬉しそうに礼を言ったのは、おかしいじゃないか?」

「きっと美登利さんは、藤本のおかみさんになるのだろう?」

「お寺の女房なら、大黒様(注釈一)と言うんだよ!」

 

などと、からかわれたのだった。

 

 信如は元々、このような事を、他人の事で聞くのも嫌いで、苦い顔をして横を向く性格だから、自分がそんなことを言われれば、尚更に我慢ができるはずがなかった。

 

 それからというもの信如は「美登利」という名前を聞く度に何だか恐ろしくなる様になった。また誰かがああした、からかい事を言い出すかと思うと、胸の中がハラハラして、何とも言えない嫌な気持ちになるのだ。でも、だからと言って、その度に怒鳴りつける訳にもいかなかった。

 

 なるべくは知らぬふりをして、平静を装い、難しい顔をしてやり過ごそうと思うのだけれど、美登利に直接向かい合って、ものを問われる時の動揺と言ったら。

 たいていは

「知りません、わかりません」

の一言で済ませるのだが、本当は苦しい汗が体中に流れて心細い思いになっていた。

 そんな事とは知らない美登利は、はじめは

 

「藤本さん、藤本さん」

 

と、親しげに言葉をかけていた。

 学校帰りに、自分が一足先を歩いていて、道端にめづらしい花などを見つけた時、美登利は後から歩いてくる信如を待っていて、

 

「ほら、こんな美しい花が咲いているのに、枝が高くて私には折れません。信さんは背が高いから、手が届くでしょ?

お願いだから、私の代わりに折ってくださいな」

 

と、居合わせた一群の中では、信如が年長だと思って頼んだ事もあった。

 

 さすがの信如も、この時ばかりは、知らないフリをし、袖を振り切って通り過ぎる事も出来なかったのだが、だからと言って、また人から勘ぐられるのは益々いやだった。

 

 そこで手近の枝を引き寄せて、花の善し悪しをよくも確かめず、申し訳ばかりに折って、投げつける様にして、スタスタと行き過ぎたのだった。

 そうした信如の態度に美登利は、何とまあ、愛想の無い人だろうと、呆れた事もあった。しかし、そうした事が度重なった末には、おのずから、わざとの意地悪の様に思われて来た。

 

 他の人にはそうでもないのに、私にばかり、冷たいそぶりを見せる。

物を尋ねれば、ろくな返事をしてくれた事がないし、そばへ行けば逃げる。話をすれば怒る。本当に陰気で、息が詰まる。

どうして良いやら、機嫌の取りようもない。

 あんな気難し屋は、好きなだけ、ひねくれて怒って、意地悪がしたいのだろうから、友達と思わなければ、口を聞く必要もないわ。

 

 そう感じ、少なからず傷ついた美登利。そんな訳で美登利からも用がなければ、すれ違っても話しかける事もなくなり、偶然会っても、挨拶すら思いもしなくなった。

 そんな風に、いつしか二人の間に、目には見えない大きな川が一つ横たわり、船も筏もこの川の行き来はご法度、二人とも、それぞれの岸に沿って、それぞれの道を歩く様になったのだった。 

 

 

 夏祭りは昨日に過ぎて、その次の日から美登利が学校へ通う事が、ふっと途絶えたのは、聞くまでもなく、洗っても消すことのできない額の泥の屈辱が身に染みて悔しかったからだろう。 

 

 表町だから、横町だからといっても、同じ学校内の教室に並んで座れば、学友に変わりは無いはずなのに。

 おかしな分け隔てをして、いつも意地を張り合っている。私が女なので、力がかなわない弱みに付け込んで、祭りの夜の仕打ちは、なんて卑怯だっただろう。

 長吉がわからずやなのは皆が知っていて、前から、この上ない乱暴者だけれど、今度の事は信如の後押しがなければ、あれほどに思いきって、表町に暴れ込まなかっただろう。

 人前では物知りらしく、大人しそうに振る舞っているのに、陰でカラクリの糸を引いたのは、藤本の仕業に違いない。

 たとえ学年は上にしても、勉強はできるにしても、龍華寺様の若旦那にしても、大黒屋の美登利、紙一枚のお世話にもなりはしないものを。あのように乞食呼ばわりされる筋合いはない。

 龍華寺に、どれほど立派な檀家があるのか知らないけれど、私の姉様三年のおなじみ様には、銀行の川様、兜町の米さまもある。議員の短小様などは、見受けして奥様にとおっしゃったのを、心意気が気に入らなかったので、姉様は嫌ってお受けしなかったのだけれど、あの方だって世には名高いお人だと、やり手衆が言っていた。

 嘘だと思うなら聞いてみるがいい。大黒屋に姉の大巻がいなかったら、あの楼は闇だと聞いている。だからこそお店の旦那様すらも、父さん、母さん、妹の私の身だって、粗末には扱わない。 

 いつも大切に床の間に飾っていった瀬戸物の大黒様を、私がいつだったか、座敷の中で羽つきをすると言って騒いだ時、その横に並んでいた花瓶を、そちらに倒して散々に壊してしまった時も、旦那様が隣の座敷でお酒を召し上がりながら、

 

「美登利はおてんばが過ぎるなぁ」

 

と、言われただけで、それ以上の事はなかった。

「他の人であったら普通の怒られ方では済まなかっただろう」

と、寮の女性達に後々まで羨ましがられたのも、すべては姉様のご威光であろう。

 私は寮住まいで留守番はしたりするけれど、姉は大黒屋の大巻、長吉なんかに負けを取るべきではないし、龍華寺の坊様にいじめられるのは心外だ。

 

と、それから学校へ通うことも面白くなくなった。わがままの本性をあなどられたのも悔しかったので、美登利はその後、硯を捨て筆を折って墨も捨てて、本も算盤もいらない物にして、仲の良い友達と気まぐれに遊ぶばかりになったのだった。

 

f:id:syutaitekizinsei:20201016154110j:plain

 

 

注釈一

大黒は僧侶の妻を指していう蔭語

 

 

参考文献はこちらです。 

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

そんな訳で、今回の心のBGMは、アニメ「ガラスの仮面」ED曲のこちらでした。

Splash Candy さんの「素直になれなくて」です。

www.nicovideo.jp

  

www.uta-net.com

 

 

補足ですが、「たけくらべ」は、第十六章まであります💦

お付き合い、ありがとうございます。

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第六章 十三歳、正太郎の「🌱少年時代🌱」 「おいらの心は夏模様」  

こんにちは!

もう10月も半ば、秋ですね。

今回も、現代語訳の続きを、失礼します。m(_ _)m

 

たけくらべ」 第六章の主役は 正太郎 です。

正太郎が、ひたすらに かわゆい 章なのです。

 

暑さバテ、秋バテ、お疲れ気味の皆様に、

特に読んで頂けると嬉しいです🌾

 

正太郎が、大人になっても思い出す、

初恋のお姉さんと二人で過ごした「少年時代」の大切なひと時だったのではないかと、

想像してしまいます。

 

f:id:syutaitekizinsei:20201013114542p:plain


 

 

たけくらべ   第六章  (夏祭り翌日 正太郎と美登利)

 

f:id:syutaitekizinsei:20201014114340j:plain

「めづらしい事もあるものだ。この炎天下に、雪が降りはしないだろうか?

美登利が学校を嫌がるとは、よくよく不機嫌なのだろう。

朝食がすすまないなら、後で(やすけ)でも出前を頼もうか?

風邪にしては熱もないし、おおかた昨日の疲れなのだろう。

太郎稲荷神社への朝参りは、母さんが代理してあげるから、神様には勘弁して頂きなさいよ。」

 

と、母が言ったのだが、

 

「いえいえ、姉さんが繁盛する様にと、私が願掛けを始めたのだから、自分でお参りしなければ気が済みません。お賽銭を下さい。行ってきます」

 

と、家を駆け出して、田んぼの中のお稲荷様のところで鰐口を鳴らして手を合わせた。いったいお願いは何だったのか?

 行きも帰りも、首をうなだれて、田んぼのあぜ道づたいに帰ってくる姿を、美登利と気づいて、正太郎が遠くから声をかけた。

f:id:syutaitekizinsei:20201014114541j:plain

 正太は駆けよって、美登利のたもとを押さえて、

 

「美登利さん、昨夜はごめんよ」

 

と、出し抜けに謝ると、

 

「何も、お前に謝られる事はないよ」

 

「それでも俺が憎まれているのだし、俺が喧嘩の相手だもの。

お祖母さんが呼びにさえ来なければ、帰りはしなかったし、そんなにむやみに三五郎を打たせはしなかったのに。

今朝、三五郎のところへ見に行ったら、アイツも泣いて悔しがっていた。俺は、聞いているだけでも悔しかった。

お前の顔へ、あの長吉め!草履を投げたと言うじゃないか!

あの野郎、乱暴にもほどがある。だけど美登利さん、堪忍しておくれよ。

俺は、知りながら逃げていたのではないんだ。飯をかっ込んで、表へ出ようとすると、お祖母さんがお風呂に行くと言ったんだ。留守番をしているうちの騒ぎだろ?

本当に知らなかったんだよ」

 

と、自分の罪の様に、平謝りに謝罪して、痛みはしないかと美登利の額際を見上げれば、美登利はにっこり笑って

 

「何、ケガというほどでは無いよ。

だけど正さん、誰が聞いても、私が長吉に草履を投げられたと言ってはいけないよ。

もし、万一に、おっかさんが聞きでもすると、私が叱られるから。

親でさえも、頭に手はあげないものを、長吉なんかの草履の泥を額に塗られては、踏まれたも同じだからね」

 

と言って、背ける表情が何ともいとおしい。

 

「本当に堪忍しておくれ、みんな俺が悪い。だから謝る。機嫌を直してくれないか?お前に怒られると俺が困るんだよ」

 

と、話している間に、いつしか正太の家の裏近くに来たので、

 

「うちに寄っていかないか?美登利さん。誰も居やしないよ。

お祖母さんも日がけをを集めに出ているだろうし、俺一人で寂しくてならないよ。

いつか話した錦絵を見せるから、お寄りなよ。色々のものがあるからさ」

 

と、袖を捉えて離れないので、美登利は無言でうなづいて、侘しい折戸の庭口より入ると、広くは無いけれども鉢植えが綺麗に並んでおり、軒には釣り荵が。これは正太郎の、午の日(注釈一)の買い物だと見える。

 

 事情を知らない人は、小首をかしげて意外に思うだろうが、町内一の財産家なのに、家の中は祖母と孫の正太郎の二人きり。

 腰に巻いているたくさんの鍵で下腹が冷えているだろうに、留守の時は、周りが全て長屋なので、さすがに玄関の錠前を壊す者もいなかった。

 

 正太は先に家に上がって、風通しの良い場所を見つけて

 

「ここへ来ないか?」

 

と言いながら、うちわも用意する気の使いよう。十三歳の子供にしては、ませ過ぎていておかしい。古くから家で受け継がれている錦絵の数々を取り出して、美登利に褒められる事を喜ぶ正太。

 

「美登利さん、昔の羽子板を見せてあげる。

これは俺の母さんが、お屋敷に奉公している頃に、頂いたのだとさ。

おかしいだろう?この大きい事!人の顔も、今のとは違うね。

ああ、この母さんが生きていたら良いのだけれど。俺が三つの歳に死んで、お父さんは、いるのだけれど、田舎の実家へ帰ってしまったから、今はお祖母さんだけさ。

お前は家族がいて羨ましいね」

 

と、何とはなく親の事を言い出す正太郎。

 

「それ、泣いたら絵が濡れるよ。男が泣くものでは無いよ」

 

と、美登利に言われて、

 

「俺は気が弱いのかなあ?

時々、色々の事を思い出すよ。

まだ今時分は、いいんだけれど、冬の月夜なんかに田町のあたりを集金に回っている時、土手まで来て幾度も泣いた事がある。

なに寒いくらいじゃ、泣やしないよ。なぜだか自分でも分からないけど、いろんな事を考えるよ。ああそうさ、一昨年から、俺も日がけの集めに回っているさ。

お祖母さんは年寄りだから、そのうちにも夜は危ないし、目が悪いから印鑑を押したり、何かと不自由だからね。

今まで、何人も大人の男を雇ったけれど、うちが老人と子供だけの家庭だから、馬鹿にして、みんな思うようには働いてくれないのだと、お祖母さんが言っていたっけ。

俺がもう少し大人になったら質屋を出させて、昔の通りでなくても田中屋の看板をかけるといって、楽しみにしているよ」

「よその人たちは、お祖母さんをケチだと言うけれど、俺のために倹約してくれているのだから、気の毒でならないよ。

集金に行く家でも、通新町や何かに、随分と可愛そうな人達がいるから、さぞ、お祖母さんを陰で悪く言っているだろう。

それを考えると、俺は涙がこぼれる。

やっぱり気が弱いんだね。

今朝も三公の家へお金を取りに行ったら、アイツったら、体が痛いくせに、親父に知らせるまいとして働いていた。

それを見たら、俺は口がきけなかったんだ。

男が泣くって言うのは、おかしいじゃ無いか」

 

 だから横町の長吉の奴らに馬鹿にされるのだ……と、言いかけて、自分の弱々しいのを恥じるような顔色と、何気なく美登利と見合す目つきのかわゆさ

 

「お前の祭りの姿は、とても良く似合っていて私は羨ましかった。

 私も男だったら、あんな格好がしてみたい。他の誰よりも格好良く見えたよ」

 

と、美登利に褒められた正太郎。

 

「何だ俺の事なんて。お前こそ美しいや。

廓中の大巻さんよりも綺麗だと、みんなが言っているよ。

お前が姉だったら、俺はどんなに誇らしいだろう。

どこへ行くにもついて行って、大威張りに威張るんだけどなあ。

一人も兄弟がいないから、仕方がないね。

ねえ美登利さん、今度一緒に写真を撮らないか?

俺は祭りの時の格好で、お前は透綾のあら縞の着物で粋な姿をして、水道尻の加藤写真館で写そうよ。

龍華寺のヤツが羨ましがるようにさ。」

「本当だぜ、アイツはきっと怒るよ。真っ青になって怒るよ。

アイツは大人しそうに見えて、実は癇癪持ちだからね。

赤くはならないだろうな。それとも笑うかなあ?

俺は、アイツに笑われても構わないさ。

大きく撮ってもらって、店の看板に出たらいいな。

お前は嫌かい?嫌そうな顔だもの」

 

と、恨むような正太郎の様子も可愛らしい

 

「変な顔に写ると、お前に嫌われるから」

 

と言って美登利が吹き出した。その高く美しい笑い声の響きで、美登利の機嫌が直った事がわかる。

 朝の涼しさはいつしか過ぎて、日ざしが暑くなってきたので、

 

「正太さん、また晩にね、私の寮へも遊びに来なさいよ。

とうろう流して、お魚を追いましょ。

池の橋が直ったから、怖い事は無いよ」

 

と、言い置き、立ち去る美登利の姿を、正太は嬉しそうに見送って、やはり美しいと思ったのだった。

 

f:id:syutaitekizinsei:20201014114705j:plain

 

 

注釈一

稲荷神社の縁日の日

 

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 と言う訳で、第六章の心のBGMは、井上陽水さんの名曲「少年時代」でした。

www.uta-net.com

 

お付き合い、ありがとうございます。

 

皆様、季節の変わり目、ご自愛ください。

 

樋口一葉『たけくらべ』現代語訳 第五章「今夜はエンジェル」&デーモン閣下的な?乱闘シーンをハラハラ解説🦹‍♀️  

 こんにちは!

今回は「たけくらべ」の、かなり重要なシーンです。

 

今夜こそが正に

「若さ(と言うより思春期💦)とは、なんぞや!?」

という感じの夜なのよ🔥

(ゲーノ 勝手な訳m(_ _)m)

 

と言うイメージの第五章解説を、私個人は「筆やのおかみさん」的視点から、

ハラハラ解説します。m(_ _)m

 

セリフ的文章が多いので、色分けします。

長吉 三五郎 美登利 

です。

 

f:id:syutaitekizinsei:20201012152057p:plain

 

たけくらべ  第五章  (夏祭りの夜 乱闘)

 

 

「待つ身につらき夜半の置炬燵(おきごたつ)……」

などという歌がある。それは恋の歌でしょう。

 

 吹く風が涼しい夏の夕暮れ、昼の暑さを風呂に流して、身じたくの姿見の前。

 美登利の母親が、娘の髪のほつれ毛をつくろいつつ、我が娘ながら、美しい様子を、立っては見、座っては見て、

 

「首筋の化粧が薄かったかしら?」

 

などと、まだ言っている。

 

 単衣(ひとえ)は、水色の友仙(友禅)の涼しげな浴衣で、白茶金(しらちゃきん)らんの丸帯は、少し幅の狭いものを結ばせて、庭石に下駄を直す……つまり、美登利の支度が整うまでには、随分と時間が掛かった。

 

 まだかまだかと、塀の周りを七回まわり、あくびの数も尽きて、払おうとしても名物の蚊に首筋、ひたいぎわなど、たくさん刺された三五郎が、弱り切っている時、美登利がやっと出てきて、

 

「もういいよ」

 

と言うので、三五郎は言葉も言わずに、美登利の袖を引っ張って駆けだしたら、

 

「息がはづむ、胸が痛い、そんなに急ぐのなら、私は知らない。お前一人で先にお行きなさいよ」

 

と三五郎は美登利に怒られて、時間差で別々に筆やに到着した。美登利が筆やの店に着いた時は、ちょうど正太が夕飯の途中らしく、不在だった。

 

「ああ、面白くない。おもしろくない。

あの正さんが来なければ、幻燈を始めるのも嫌!

伯母さん、ここの家に智恵の板(注釈一)は売っていませんか?

詰将棋なんかでも、なんでも良いです。

手が暇で困る」

 

と、美登利が淋しがれば、それじゃあと、即座にハサミを借りて、女子達はゲームの駒を切り抜きにかかった。男子は三五郎を中心に、九月行事の、仁和賀の歌と踊りのおさらいを始めた。

 

「北廓(吉原)全体を見渡せば、軒には提灯電気燈、いつも賑わっている五丁町!」

 

と、みんなでおかしく、はやし立てるが、みんな、物覚えが良いので、

去年、一昨年とさかのぼって、手振り手拍子が一つも代わり映えしていない。

 こうした、浮かれだった、十人あまりの騒ぎを聞きつけて、何事か?と門に人垣ができていた中から呼び声がした。

 

「三五郎はいるか?ちょっと来てくれ、大急ぎだ!」

 

と、文次(ぶんじ)という、元結よりが呼んだので、三五郎が、何も疑わずに

 

「おいしょ、よしきた!」

 

と、身軽に敷居を超えた時、

 

「この二股やろう!覚悟をしろ!横町の面よごしめ、タダでは置かないぞ!

誰だと思う?長吉だ!

生ふざけた真似をして、後悔するな!」

 

と、頬骨を一撃ちして、「あっ」と、驚いて逃げようとする三五郎の襟がみを、つかんで引き出す、横町組の少年達。

 

「それ、三五郎をたたき殺せ!正太を引き出してやってしまえ!弱虫め、逃げるな!

団子屋のトンマも、タダでは置かないぞ!」

 

と、海岸の潮の様に沸き返る騒ぎ。筆やの軒の掛けちょうちんが、苦もなくたたき落とされたので、

 

「釣りランプが危ない、店先の喧嘩はやめて下さいよ!」

 

と、筆やの女房が騒ぐのを聞くはずもない。

 人数はおおよそ十四、五人。ねじり鉢巻きに大万燈をふりたてて、当たるがままの乱暴狼藉。土足に踏み込む傍若無人、目指すカタキの正太が見えなければ、

 

「正太をどこへ隠した!あいつはどこへ逃げた?さあ、言わねえか!言わねえか!

言わさずには置くものか!」

 

と、三五郎を囲んで、打つやら、蹴るやら。美登利はくやしくて、止める人をかきのけて、

 

「何よ!あんた達は、三ちゃんに何のとがあるの!

正太さんと喧嘩がしたけりゃ、正太さんとすれば良いじゃないの!

逃げもしなけりゃ、隠しもしないよ!

正太さんはいないじゃない!

ここは私の遊び場よ!

あんた達には、指でもささせはしないよ!

ええ、憎らしい、長吉め!

三ちゃんをなぜぶつの!

もう、また引き倒した!

文句があるなら、私を撃ちなさいよ!相手には私がなるわよ!

伯母さん、止めないでください!」

 

と、身もだえして罵ると、

 

「何を、女郎が大口をたたきやがる!姉の後継の乞食め!

てめえの相手には、これが相応しいぞ!」

 

と、多人数の後ろから長吉が、履いていた泥草履を掴んで投げつけると、狙いを外さず、美登利の額ぎわに、むさ苦しい草履が、したたかに当たった。

美登利が血相を変えて立ち上がるのを、怪我でもしては大変と、抱き止める筆やの女房。

 

「ざまを見ろ!

こっちには、龍華寺の藤本がついているぞ!

仕返しには、いつでも来い!

うす馬鹿野郎め!

弱虫め!

腰抜けの意気地なしめ!

帰りには待ち伏せするぞ!

横町の闇には気をつけろよ!覚悟しとけよ!」

 

と、三五郎を筆やの土間に投げ出すと、その時、靴音が。誰かが、交番へ知らせに行った事を、今、知ったのだった。

 

「それ!」

 

と、長吉が声をかけると、丑松、文次、その他の十余人が、方角を変えて、バラバラと逃げ足も早く、抜け裏の路地にかがんだ者も居たであろう。

 

「悔しい!悔しい!悔しい!悔しい!

長吉め!文次め!丑松め!

なぜ俺を殺さない?殺さないのか!

俺も三五郎だ、唯では死ぬものか!

幽霊になっても、取り殺すぞ!

覚えていろ、長吉め!」

 

と、三五郎は、湯玉の様な涙をハラハラと流し、しまいには大声でわっと泣き出したのだった。

 

 身体中が、さぞ痛い事だろう。袖の処々が引き裂かれていて、背中も腰も砂まみれ。

 止めるにも止めかねて、勢いの凄まじさに、ただオドオドと気を飲まれていた筆やの女房が、走り寄って三五郎を抱き起こし、背中を撫でて砂を払いながら言った。

 

「堪忍をし!堪忍をし!

なんと思っても、相手は大勢、こちらは皆、弱いものばかりだったから。

大人でさえ手が出しかねたのだから、叶わないのは知れているよ。

それでも怪我のなかったは、幸せだった。

この後は帰り道の待ち伏せが危ないよ。

幸い、いらした巡査さまに家まで送って頂ければ、私達も安心だよ。

この通りの事情でございますので」

 

と、これまでの事を巡査に語ると、巡査が

 

「仕事だから、さあ送るよ」

 

と、手を取ろうとすると、三五郎は

 

「いえいえ、送ってくださらずとも帰ります。一人で帰ります」

 

と、小さくなるので、

 

「これ、私を怖がることはない。お前を家まで送るだけの事だよ、心配するな」

 

 三五郎は巡査に、微笑みを含んで、頭を撫でられたので、いよいよ縮みこんだ。

 

「喧嘩をしたというと、とっつあんに叱られます。頭の家は大家さんでござりますから」

 

といって、萎れている理由がわかったので、巡査は

 

「それならば、家の門口まで送ってやるよ。お前が叱られる様な事はせぬよ」

 

といって三五郎が連れられていくので、周りの人々が、ホッとして遠くまで見送っていたのだが、何とけしからん事だろう。

 三五郎は横町の角辺りで巡査の手を離して、一目散に逃げていったのだった。

 

 

注釈一

昔のボード・ゲームの様なもの

 

 

 

以上、第五章です。

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

と言う訳で、今回の心のBGMは、

邦題 「今夜はANGEL」

英題  「Tonight Is What It Means To Be Young」

でした。

 

長吉視点からのイメージでは、デーモン閣下・バージョンが、個人的に合うかなと思いました。

補足ですが、この章の長吉はひどいワルなのですが、実は優しさも隠し持っている16歳

男子なのです💦

f:id:syutaitekizinsei:20201012152211p:plain

 

www.uta-net.com

 

おきゃんな美登利視点からは、やはりビジュアルはダイアン・レインさん・バージョンかなと思いました。 

www.nicovideo.jp

 

以上、第五章の解説でした。

 

今回は、ストーリー展開の臨場感が台無しになりそうなので、

野暮な挿絵は・・やめておきました💦

 

お付き合い、ありがとうございます。

 

樋口一葉『たけくらべ』  第四章「お祭りの夜」で「胸が騒い」でる少年達を、ドキドキ解説🎇  〜 私なりの現代語訳(再推敲) 〜 

 こんにちは!

第四章の解説です。

いよいよ「夏祭り」の夜が、やってきました。

 

「夏祭り」と聞くとソワソワ・ドキドキしちゃう!

そんな皆様に読んで頂けると嬉しいです!!

 

「夏祭り」と言えば、whiteberryさんの名曲♪

 

f:id:syutaitekizinsei:20201010104132p:plain

「お祭りの夜はー 胸がさ・わーいだよー♪」

と言う訳で、胸騒ぎの第四章 解説を、失礼しますm(_ _)m

 

今回も、一部、セリフの色分けをしました。

 

正太  三五郎  正太の祖母

です。

 

たけくらべ  第四章 (夏祭り当日 胸騒ぎの宵の口)

 

f:id:syutaitekizinsei:20201010140422j:plain

  

 年中いつも太鼓や三味線の音色に事欠かない、吉原という場所でも、夏祭りは特別な日。秋の酉の市を除いては、一年に一度の賑やかな行事である。

 

 三島様、小野照様、お隣どうし、負けるものかという競争心も面白い。横町も表町も、揃いは同じの真岡木綿の浴衣に、それぞれの町名をくずして入れたのを、去年よりは好ましくない図柄だと、つぶやく人もいた。

 

 くちなし染めの麻のたすきは、なるたけ太いのが好みの、十四、五歳より小さい子供達。

 そんな幼い子達は、ダルマ、ミミズク、犬のはりこなど、祭りのお店で買い集めた様々なオモチャの数の多いほど自慢げにして、七つ、九つ、十一も、つけている子供もいる。

 大小の鈴を背中にガラつかせて、駆け出していく子供達の足袋、素足の様子は、勇ましくも可愛らしい。

 

f:id:syutaitekizinsei:20201010140502j:plain

 

 そうした子供達の群れを離れた田中の正太は、赤スジ入りの印はんてん、色白の首筋に紺の腹がけと、いつもとは見慣れぬいでたち。

 しごいて締めた帯の水浅黄も、見てくださいな、ちりめんの上染(じょうぞめ)、エリの印も際立っていて、うしろハチマキに山車(だし)の花のひと枝、革の鼻緒の雪駄の音はさせつつ、正太は他の少年達の馬鹿騒ぎの仲間には入らなかった。

 

 宵宮、つまり祭りの前夜は、何事もなく過ぎた。

 祭り当日の日も暮れてきて、筆やの店に集まった、表町組の仲間は十二人。一人欠けている美登利の夕化粧の長さに、まだかまだかと、正太は門を出たり入ったりしていた。

 

「おい、呼んで来い、三五郎、お前はまだ大黒屋の寮へ行った事がないだろう。庭先から美登利さんと呼べば、聞こえるはずだから、早く早く!」

 

と、正太郎。

 

「それならば俺が呼んでくるよ。万燈はここへあづけていけば、誰もロウソクを盗まないだろう。正太さん、番を頼むよ」

 

と、三五郎。

 

「ケチなやつめ!そんな事してる間にも早く行けよ!」

 

と、三五郎は、年下の正太郎に叱られながらも、

 

「おっときたさの次郎左衛門!」

 

 パッと駆け出した。その姿を見送った女の子達が

 

韋駄天(いだてん)とはこの事なのかしらねえ?あれあれ、あの飛び方がおかしいわ」

 

といって、笑うのも無理はない。

 

 三五郎は横太りで背が低く、頭の形も悪く短い首。顔の作りは、出たおでこ、獅子鼻、反っ歯の三五郎と、言うあだ名通り。色は黒いが、感心なのは、どこまでもひょうきんで愛嬌のある目つき、両方の頬のえくぼ、目隠ししてやった福笑いの様に見える眉毛のつき方も、それはおかしいが、罪の無い子である。

 

 貧しいからなのか、祭りの日にしては質素な服装で、

 

「俺は、祭り用の揃いの浴衣が間に合わなかったんだ」

 

と、事情を知らない友人には言い訳をしている。

 自分を頭に六人の子供を養う父親は人力車夫で、それなりにお得意さんはいるけれども、やはり貧しい暮らし。

 

 三五郎も十三歳になれば片腕になるだろうと、一昨年から活版印刷所へも務めたのだが、怠け者なので十日も辛抱が続かなかった。

 ひと月と同じ職もなくて、霜月より春までは、突羽根の内職を、夏は検査場と呼ばれる、遊女達の健康診断所の氷屋の手伝いをして、面白い呼び声で客を引くのが上手いので、重宝がられた。

 

 去年は、仁和賀の時に屋台引きに出たので、友達がいやしがって、「貧しい万年町」と言うあだ名が今も残っているのだけれど……この辺りでは三五郎といえば、おどけ者ひょうきん者で有名で、憎む者がいない事は一つの美徳である。

 

 金貸しの田中屋は、三五郎の一家にとって命の綱のであり、一家が被る恩恵は少なくない。日歩(ひぶ)といって、金利は安く無い借金だけれども、これがなくては、暮らしていけない。

 だから正太に

 

「三公、俺の表町へ遊びに来い!」

 

と、呼ばれれば、嫌とは言えない義理がある。

 けれども本来は横町に生まれ育った身であり、住んでいる地所は龍華時のもので、家主は長吉の親なので、表立って横町組に背くことはできない。今夜の様に事情があって、表町組の用事をして、横町組に睨まれる時の役回りは辛い。

 

 正太が、筆やの店へ腰をかけて、美登利を待つ間の暇つぶしに、忍ぶ恋路の歌を小声で歌っていると、

 

「あれまあ、おませさんですね」

 

筆やのおかみさんに笑われたので、正太郎は何となく耳の根っこを赤くし、誤魔化す様に声高に

 

「皆んなも来いよ!」

 

と、呼んで表へ駆け出した出会い頭に、正太郎の祖母がやって来た。

 

「正太は夕飯をなぜ食べないのか?遊びほうけて、さっきから呼んでいるのも知らないのか?どなた様も、また、のちほど遊んでやってくださいね。これはいつもお世話様です」

 

と、筆やの妻にも挨拶しての、祖母の自らのお迎えに、正太も嫌とは言えない。

 そのまま連れて帰られてしまったので、その後、急にその場が寂しくなった。

 人数は、そう変わらないのに、あの正太郎がいないと、大人達までもが寂しい様子。

 

「正太郎は他の少年たちの様に、バカ騒ぎもしないし、冗談も三ちゃんの様に滑稽ではないけれど、人々から好かれるのは、金持ちの息子さんにしては珍しく、愛嬌があるからだろう」

 

「それに比べて、何と、ご覧になったか、田中屋のお祖母さんのいやらしさを。あれで歳は六十四歳。

 白粉をつけないでいるのは、まだましだけど、丸髷(まるまげ)の大きさ、猫なで声を出して、人が死ぬのも構わない様子。おおかた死ぬ時は、金と心中なさるのではないか?」

 

「それでも自分達の頭が上がらないのは、あのお方のお金と商売のご威光は、そうは言っても欲しいもの。遊郭内の大きな遊女屋にも、たくさんの貸付があるらしいと聞きましたよ」

 

 などと、大通りで立ち話をしていた二、三人の女房たちが、田中屋や吉原遊郭の財産について、噂話をしたのだった。

 

 

参考文献はこちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

そんな訳で、この章の心のBGMは、やはりこちらの曲でした。 


夏祭り - Whiteberry(フル)

 

お付き合い、ありがとうございます。

  

樋口一葉「たけくらべ」を、ある飲み物に例えてみました🥤

こんにちは!

長文続きで失礼します。

 

今回は、なぜ私が

たけくらべ」現代語訳を始めたか、理由を書きます。

 

原文を読み解くのに大変苦労し、

原文の素晴らしさ、ストーリーの素晴らしさ

を知ってしまった私。

 

素晴らしい!! でも 原文では読み辛い!!

 

私は最近、個人的に、こう感じています。

 

たけくらべ」の原文 は 

「カルピス」の原液

 

の様なものではないかと💦

 

f:id:syutaitekizinsei:20201010145520p:plain

 

そんな訳で、カルピスの原液を、適量の水を加えて飲みやすくして飲む様に、

たけくらべ」にも、適量の言葉(?)を加えて、現代の皆様に飲んで・・もとい

読んで頂けたら・・

そんな気持ちで、記事を書いています。

 

今回、新たに、挿絵 や 音楽 を 加えた理由は、

 

水割りだけでなく、

ソーダ割り 

多種のフレーバー

の様な楽しみも、加えられたらいいなと思ったからです。

 


長澤まさみさん CM集 カルピス篇

 

長澤まさみさん、可愛らしいですね!美しい!大好きな女優さんです!!

個人的には、幼稚園先生編の

「先生カルピス作って」→「そこからじゃなくって」

編が、大大好きです✨

 

脱線記事、失礼しました。

お付き合いありがとうございました。

 

樋口一葉『たけくらべ』  「可愛い」美登利が「愛おしい!」第三章を…どうにか解説💦  〜 私なりの現代語訳(再推敲) 〜 

こんにちは!

 

樋口一葉 『たけくらべ』 の 第三章 の解説です。

ようやく、ヒロイン美登利が登場です!!

 

無邪気で明るい、でも繊細な面もあった

現・少年少女 元・少年少女 の皆様

 

に、捧げたい!!

そんな、第三章です。

 

 suiさんの「可愛い君が愛おしい!」という曲の様に、

美登利の魅力を説明できたらとm(_ _)m

f:id:syutaitekizinsei:20201009112214p:plain

 

 

たけくらべ  第三章  (夏祭りの前 表町組)

 

 

f:id:syutaitekizinsei:20201009122957j:plain
 

 解けば、足にも届きそうな髪は、根上りに固くひっつめて、前髪の大きな髷が重たげな、赭熊(しゃぐま)と言う結い方。名前は恐ろしげだが、この髪型が今の流行りで、良家のお嬢様もなさる事だといわれている。

 色白で鼻筋も通り、口元は小さくないけれどスッキリしていて形良く、一つ一つの作りは完璧ではないけれど、話す時の澄んで通った声や、人を見る目にとても愛嬌があって、生き生きした身のこなしが人を惹きつける。

 柿色に蝶鳥を染めた大柄の浴衣を着て、黒繻子と染め分け絞りの昼夜帯を胸高に締め、足には高い塗り木履を履き、朝湯の帰りに、白く美しい首筋に手ぬぐいをかけた立ち姿を、

 

「三年後の姿を見たい!」

 

と、遊郭帰りの若者が言ったものである。

 

 その少女は、大黒屋美登利という。紀州生まれで、まだ少し訛っている言葉もかえって可愛く、そもそも、こうした気前のいい気性を喜ばない人はいないだろう。

 彼女が持ち歩いている、子供には似合わない財布の重さには訳がある。

 実の姉が全盛の花魁なので、その恩恵があり、更には、やり手の新造、つまりは花魁の世話係の女性が、姉のご機嫌とりにも、妹である美登利に、

 

「美いちゃん人形をお買いなされ、これは手毬代にでも」

 

などと言って、ホイホイと小遣いをくれるのである。

 まだ世間知らず、無邪気な美登利は、恩を着せられる訳では無いので素直に受け取り、特にありがたいとも思わず、深く考えずに、散財するはするは……。

 

 同級生の女の子達に揃いのゴム毬を与えたり、表町組のたまり場である筆やの、棚に売れ残りになっていたオモチャを買い占めて、筆やと友達を喜ばせた事もある。

 

 こうした日々昼夜の散財が、本当なら、この歳この身分の娘に出来るはずはない。将来は一体何になる身なのだろうか?

 一緒に暮らしている両親も、そうした次女の振る舞いを大目に見て、厳しい言葉をかけるでも無く、大黒寮の主人が、この娘を大切がる様子も怪しい。

 

 よくよく話を聞けば、美登利は大黒屋主人の養女でも親戚では、もとより無い。

 美登利の実の姉が身売りした時に、鑑定に来た遊郭楼の主人に誘われるままに、この土地、吉原で暮らしたいと思い立ち、両親と美登利の三人、旅姿でやってきたと言う訳らしい。

 

 それ以上に立ち入ればどういう内状かというと、今は寮の番をしながら、母は遊女の仕立物、父は小格子の書記になっている。

 

 美登利は、遊芸手芸学校にも通わされているが、その他は気ままに、半日は姉の部屋、半日は町で遊び、見聞きするのは三味線に太鼓、朱色や紫の派手な色ものの着物という毎日である。

 

 紀州から越してきたばかりの頃は、地味な着物で歩いていると、田舎者、田舎者と、町内の娘達に笑われたものだった。それを悔しがって、三日三晩泣き続けた事もあったが、今では、美登利の方が人々を嘲り、野暮な姿をけなす様な事を言っても、言い返す者がいなくなった。

 

f:id:syutaitekizinsei:20201009123109j:plain

 

 八月二十日は、お祭りだから、思いっきり面白い事をして欲しいと、友達にせがまれた美登利。

 

「趣向は何なりと、皆それぞれに工夫して、大勢で楽しめる事が良いでしょう。幾らでも良いよ、お金は私が出すから!」

といって、いつもの通り気前よく引き受ける美登利。

 そうした子供仲間内の女王様からの、ありがたいお恵みは、子供達には、大人よりも利き目が早く、みんなを喜ばせた。

 

茶番にしよう。どこかの店を借りて、往来からも見えるようにして……」

 

と、一人が言ったら、

 

「馬鹿を言え、それよりは、お神輿をこしらえておくれよ。蒲田屋の奥に飾ってある様な、本物のやつを。重くても構わないさ。やっちょいやっちょい、訳ないさ」

 

と、ねじり鉢巻をする男の子の側から、

 

「それでは私たちがつまらない。みんなが騒ぐのを見るばかりでは、美登利さんだって面白くないでしょ?あんた達は何でも、勝手に好きな様にしなさいよ!」

 

と、女子の一群は、祭りよりも、何なら常盤座のお芝居をと、言いたげな様子なのがおかしい。

 

 田中の正太は、可愛らしい眼をぐるぐると動かして、

 

幻燈にしないか?幻燈に。

 俺のところにも少しはあるし、足りないのを美登利さんに買って貰って、筆やの店でやらせてもらおうよ。俺が映し役で、横町の三五郎に口上を言わせよう。美登利さん、それにしないか?」

 

と言うと、

 

「ああ、それは面白いだろうね。三ちゃんの口上ならば誰も笑わずにはいられないよ。ついでに、あの面白い顔が映ると、なお面白いだろう」

 

 その様に相談が整って、正太が不足の品の買い物役になり、汗だくで飛び回るのも面白い。

 祭りがいよいよ明日となるころには、横町にまでも、その噂は聞こえたのであった。

 

 参考文献は、こちらです。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)

  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 今日の、心のBGMは、こちらのキュートな曲でした。

<a href="https://utaten.com/lyric/nk20082402">可愛い君が愛おしい! 歌詞</a> 

 

最近、少しずつですが、2010年以降の歌も、聴くようにしています。

素敵な歌、たくさんありますね!

 

雨が心配ですが、みなさま、ご自愛ください。

 

ありがとうございます。