芸術は心のごはん🍚

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映画「今を生きる」〜 かーぺ でぃえむ !! 〜

こんにちは!

今日は、80年代末の映画

「今を生きる」について、書きます。(満を持して!!!!)

 

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オオ・キャプテン!マイ・キャプテン!

 

1989年

「今を生きる」 原題 「DEAD POETS SOCIETY」

 

監督  ピーター・ウィアー

脚本  トム・シュルマン

音楽  モーリス・ジャール

 

《キャスト》

キーティング先生  ロビン・ウィリアムズ

トッド       イーサン・ホーク

 


Dead Poets Society trailer

 

《あらすじ》

1959年アメリカ、バーモント。厳格な名門校ウェルトン・アカデミーは、新学期を迎え、新入生と休暇明けの生徒たち、そして彼らの家族とで賑わっていた。バグパイプの音色とともに四人の生徒によって掲げられた旗には、「伝統」「名誉」「規律」「美徳」の文字が誇らしげに刻まれていた。 

そのウェルトン校に、一人の新任国語教師ジョン・キーティングと、中途入学者トッド・アンダーソンもやってきた。キーティングは、同校のOBであり、トッドは優秀な兄が、やはり同校出身者だった。 トッドの両親は、次男に無関心ながらも、世間体を気にし、彼にも兄と同じ道を進むことを希望していた。

 

家族の理解と愛を得られず、自分の能力にも自信のないトッドだったが、寄宿舎の同室となったニールと、熱い友情で結ばれていく。ニールは、成績優秀な生徒だったが、心優しく、純粋な少年で、彼もまた、両親の無理解と一方的な要求に苦しんでいたのだった。

 

そんな中、最初の授業に現れたキーティングは、厳格な校風に縛られているトッドたち生徒に対し、無意味と思われる教科書の序章を破り捨てろと言ったり、生徒たちを教室の外へ連れ出すなど、型破りな授業で仰天させる。しかし、他の教師たちと、違った視点、価値観から、彼らに人生のあり方や言葉(国語)の大切さを教えようとするキーティングの授業に、生徒たちは少しずつ魅せられていく。

 

カーペ ディエム!ラテン語「今を生きろ」)」キーティングは、生徒たちに熱く語りかける。彼は生徒たちに、自分(の心の声)に正直に生きることの大切さを教えたかったのである。

 

キーティングの教えに深く感銘を受けた(トッドとニール含む)7人の生徒は、キーティングが学生時代につくったという「死せる詩人たちの会」を復活させる。

 少年たちは次第に、自分たちの内なる声に耳を傾けるようになる。しかしそれは、厳格な教師や両親たちが、理解出来る事ではなかった。

そして、ある悲劇が起こってしまう。

 

この映画も、私にとって、特別な意味を持つ映画の一つです。

まず、イーサン・ホーク君の名演を、久しぶりに見れたのが嬉しかったです。

映画の中の彼の役柄は、私には、ある意味他人事ではありませんでした。

無理解な大人たちの圧力によって、自分を見失ってしまった若者たちが、真の自分を取り戻すには、大きな、そして愛情ある出会いやきっかけが必要なのではないかと、考えさせられました。

 

私は、この映画で「ディサプリン(規律)」という英単語を覚えました。

私の大変苦手な言葉の一つです。

 

私は、この映画を思うとき、キーティング先生と、「家なき子」のビタリス師匠が重なります。そしてガロフォリ親方(対照的師匠)についても考えます。

子供達、若者たちにとって、「理解ある両親」だけでなく、「良き師匠」との出会いも、彼らのより良き人生に欠かせない、大切な事だと、私はいつも思います。

 

子供たちを不幸へと導く大人たちは、今もこの世の中にたくさん存在していると感じます(私自身も、そうではないと言い切れないとは思いますが)。そしてそういう大人たちは、ガロフォリ親方のような、あからさまな悪人づらをしているわけではなく、善人そうな仮面を上手にかぶっている人も多いと感じます。そして、そういう大人たちは、自分が関わる子供達にも、そうした仮面のかぶり方を教える事を怠りません。

 

そして、今見返しても、胸の詰まるような、キーティング扮するロビン・ウィリアムズしのセリフがあります。(かけませんが)

数年前に、一ファンであり、同国の人間ではない私からすると、大変信じがたい最後を遂げたロビン・ウィリアムズ氏の冥福を祈らずに入られません。 

 

若い人たち、子供達が、良き家族、良き師匠と出会える事を、切に願います。

 

おつきあいありがとうございました。